怠け者は嫌いだった
自分のことを自分でしない者も嫌いだった

まだ丁という名前だった頃
自分以外の人間が全て敵だと思っていた

朝から晩まで働かされ
村中の家を盥回しにされ
時々かけられる労いの言葉も上辺だけに聞こえた
子を亡くした親の見せた共感すらも信じられず
同世代の子たちの笑い声を遠くで聞いていた

鬼として新たな生を受けてから初めて思ったことは
これで自分を生贄にした村人たちに制裁を加えることが出来る
あの頃は本当にそれだけが出来れば良かった

それ以外は何も望まない
友人も恋人も伴侶も要らない
血の繋がった家族など以ての外だ

丁にとって己の身の内に灼熱の炎だけが唯一の頼りだった
世界中の全てが敵だったから


『黄泉までの道を案内しますよ』

道筋を教えられた
誰かと手を繋いだのは初めてだった


『改名しなよ、鬼灯ってのはどう?』

価値を与えられた
誰かに頭を撫でられるのは初めてだった


『一緒に教え処に通おうぜ!』

居場所を得られた
誰かに友達だと言われたのは初めてだった



私は……



『うわっ!闇鬼神!なんでお前がこんなとこに』
『うるさいですね貴方こそ、こんな時間からサボりですか?』
『サボり!?ちがうよ休憩してるだけ』
『怠け者の貴方が一丁前に休みを取ろうなんて厚かましい』
『怠け者って何さ、仕事は真面目にしてるだろ』

桃源郷に流れる川、そこの水辺に生えた柳の木の元に彼はいた

『薬草を買いに来たんですよ』
『……なに?お前なんか新しい研究でも始めてるの?』

そう言えば容易く身を乗り出す白澤をみて本当に神様なのかと思う
柳の下で何度も鰍が釣れるわけがないと言うが、コレなら何度でも釣られそうだ

『違いますよ、これから忙しくなるので栄養剤など作っておこうかと』
『なんだぁ……』

残念そうにする理由が、自分が忙しくなると言ったからなら良いのに

『ていうか、それなら僕が作ってやるのに』
『結構です』
『……別にお前が自分で作れないとか思ってるわけじゃないよ、ただ忙しい時には他を頼った方がいい』
『結構ですよ、自分のことは自分ですると決めているので』

あの時、この神は何故か傷付いたような顔をして、すぐに笑みを浮かべた

『まぁいいけどね……でも、お前の周りにはお前の世話をしたいって思う者もいるだろ……その人達の好意まで拒んではいけないよ』
『神様みたいな口調やめてもらえます?……だいたい困ってもいないのに世話を焼かれるのは迷惑ですし、返すのが面倒くさい』
『……誰も、お前に恩を売ってるわけじゃないさ』

彼の言葉はその名のとおり白い澤の水のようだと思う
鬼火の宿るこの身とは正反対の――

『誰かの代わりをやってあげられる幸せってのもあるんじゃないの?』

神獣は唄うように語る
その人がひとりでは成し得ないことを、一緒にできたら嬉しいさ
たとえ、その人から望まれなくても……

『そんなわけで、僕の作った薬のお陰でお前の仕事が捗って、獄卒の女の子たちが少しでも楽ができたら僕も幸せだ』

だから受け取れ、そう言う彼はやはり澤を流れる水だ
そこに在るのが当然だと思われて、枯れてしまえば恨まれる

『……感謝なんてしませんよ、貴方が勝手にすることですから』

どんなに愛を降らせようと押し付けがましいと感じさせない神獣
いつか、その愛に埋もれてしまう者は現れるのか

『ハハ……いらない、お前からの感謝なんて最初から期待してないよ』


怠け者は嫌いだった
だけど意味なく過ごす時間の織りなす柔らかな空気は嫌いではなかった

自分のことを自分でしない者は嫌いだった
だけど他人の世話をしてやりたいという気持ちは解らなくもなかった




* * *




曼珠沙華、確か彼の国の言葉で天上の花という意味だ。
その亜種が咲き群れる神域の中で、其処の主は一人の赤子に言祝を贈った。

『この花は現世の花であり、地獄の花でもある』

『だから、かつて人だった鬼神の子に相応しいと思うんだ』

ニニギの言葉に泣き崩れる白澤。
浄瑠璃の鏡に映しだされる事はすべてが真実だ。
しかし、真実の一部を見たからといって、そこに至るまでの事象すべてを理解できるわけではない。

「大王、今日はもう上がらせていただきます」

いつも一応は許可を乞う形をとるのに、今回は断言だった。
閻魔大王は頷いて、彼の背中を押すように言った。

「行って来なさい、天界の方には話を通しておくから」
「ありがとうございます」

鬼灯は閻魔大王に一礼すると、次の瞬間物凄いスピードで駆け出す。

彼が去った後の裁きの間は騒然となった。

共に浄瑠璃の鏡を見ていた獄卒が閻魔大王に近付き尋ねる。

「どういう事なのでしょう……フォフゥイちゃんを生んだのは白澤様?」
「うん、ワシの推測でしかないんだけどね……もしかすると鬼灯君の子どもは……」

鏡の中で燃え盛る火柱が見えた時、鬼灯の中の鬼火も共鳴するように質量を増したのが解った。
だから、もしかしてと閻魔大王が語った事にその場にいた全ての者は絶句する。

それが真実だとしたら、あの神獣はのしたことを――我々は裁かなければならないのだろうか……?



閻魔殿から飛び出た瞬間、気付けば鬼灯は白い大きな宮殿の前に立っていた。
どうやら、あちらから招かれたようだ。

歩く度に足元に漂う海のような霞が衣を重くする。
ここは日本天国でも特別な、開闢の神々とソレに近い者が住まう聖域。
神であれど鬼であり、かつては人であった鬼灯には少々清浄すぎる場所の筈だが、その空気は不思議と体に馴染んできた。

「鬼灯!久しぶりですね!元気でしたか?仕事は順調?きちんと三食とって……」
「ニニギさんはいらっしゃいますか?」

鬼灯の姿を見るなり実家の母のような事を矢継ぎ早に聞いてくるナキサワメの言葉を遮る、彼が此処で平然としていられるのも彼女との関係性によるのだが、特に感謝すべき事でもないと考える……今は助かるが、自分の居場所は日本地獄以外ありえないのだから。

「ニニギに……?まさか白澤様の事で?」
「貴女もなにかご存知なんですか?」

ならばどうして教えてくれなかったのかと、普段関わろうとしない癖に、こんな時ばかり責めるように見詰める。

「……それは」

言葉を詰まらせるナキサワメに、更に鋭い目線をやると、それを遮るように影が現れた。

「コラ、鬼の子よ……他人の所有地へ足を踏み入れたのだ、まずは主へ挨拶すべきではないか?」
「あなたは」

イザナキノミコト
ナキサワメの父でありイザナミの元夫でもある、国を産んだ片神だ。
自分が招いておいてその言い草はないのではないかと鬼灯は彼を見据える。

「久しいな、鬼灯殿」
「はい、お久しぶりです」

頭を下げながら鋭い目線で見上げるのを止めない。
こんな所がイザナミに気に入られているのだろうとイザナキは愉快になった。

「白澤のことで訊ねたいことがあるのだろう……入ってまいれ」
「私はニニギさんに用があったのですが」
「ニニギなら、おらぬ……居場所の目途はついておるが、お主一人では辿り着けまい」

儂では不満か? と訊かれて肯定できるわけがない。
連れられて来た部屋は、硝子で出来たテーブルを挟んで黒のソファーが置かれた応接室のようだった。
和風ではない、と思ったが、今自分が思っている和風はこの神が生まれて何千年も経った後に出来た様式でしかない。

「……なにやってるんですか?」

硝子のテーブルの手前、丁度自分とイザナキが両端に写り込むような位置にセッティングされたカメラを見て鬼灯が聞く。
正直こんなところで油を売っている場合ではなかった。
昨日、自分が襲っている最中に吐血して、動揺している間に子どもを連れて逃げ出した白澤を追いたい、だが何処にいるのかさっぱり見当がつかなかった。
だから今日仕事が終わった後、中華天国まで赴こうと思っていたのに、何故か日本天国の天界まで来ている。

「天国では最近インターネットで動画を配信するのが流行っていてな」
「……」

神達って暇だな、と思ったが言わないでおく、それに国の神が元気ということは国も元気であるという証拠だ。

「今、このカメラに映されている映像もインターネットで生配信されている」
「はい?貴方なに勝手に……」
「白澤の居場所を教える条件だ」

悲しいかな自分の動画や画像が勝手にネット上に流されることには慣れているので(その分制裁も与えているが)そう厭うことでもない、相手が位の高い神であり、何か考えがあってのことだろうと解れば余計に。
……とりあえず白澤がなにをしたのか、この神は鬼灯よりは知っている筈だ。

「私は何をすれば良いのですか」
「……なに、簡単だ。このカメラの前でお主が白澤をどう思っているのか語ってくれたらよい」
「ッ!!?」

もし、これが地獄の雑誌やテレビのインタビューなら、周知の通り「嫌いですよ、あんな極楽蜻蛉」とでも言ってやればよいことだ。
しかしこの国造神が求めているのは鬼灯の“本当の気持ち”だろう、鬼灯が本心から想う白澤のことを誰が見ているか解からないインターネット上で語れと言っているのだ。

「何故そんな」
「それが出来ないのなら、白澤とは永遠に逢わせられない……我が一族が総力を挙げてあの神獣をお主から護ろう」
「……私があの男に危害を与えるとでも?」
「実際、お主のことで傷付いているだろう?まぁお主が悪いわけではないがな」

白澤が傷付いているのは殆ど自業自得だ、と溜息交じりに言葉を零す。

「お主が話すなら、儂も教えてやろう。儂が聞いたあの神獣の想いを、それに……あの赤子のこともな」
「……わかりました」

あの神獣への想いを露呈する事は、今まで築いてきた鬼神鬼灯という存在の根底を覆すことになる、冷徹な閻魔大王の第一補佐官の正体がどんなものか知られるのだと思うと憚られる。
浄瑠璃の鏡を自分の手の届く範囲に置いたのだって隠しておきたい気持ちが少なからずあったからだ。
しかし、そんな鏡に映してしまったのだろう……白澤の知られたくないと思う真実を、ならば自分も見せなければ彼と対等とは認められない。

「私はあの男……白澤のことを自分とは遠い存在だと思っていました」

一度大きく息を吐く。

そこから、鬼灯は今まで彼に感じてきた全てを語った。
人間時代に不公平な扱いを受けてきたから子鬼時代に誰にでも分け隔てなく接する神を見て惹かれたのだと。
青年時代に中国に留学し、彼から政治を教わり、その知識の多さに感嘆し、しかし酒癖の悪さに落胆したと。
彼が黄帝に捕らわれている間どうにかまだ聞けていない知識を教わろうと画策したが結局実行に移す力がなかったと。
補佐官として再会してからは喧嘩ばかりしていたけれど、時折交わす和漢薬の話などは面白かったと。
女性を見れば軽薄に愛を語りだすところは軽蔑するが、まだ誰も彼の特別ではないのだと感じると安心したと。
人には無理をするな自己管理がどうのこうの言うくせに、自分の事には無頓着だった彼が弟子をとり、体を労り始めた時は弟子に感謝と同時に嫉妬を覚えたと。

「いつの間にか、本当にいつの間にかですよ……私の心の大部分にアレが住まうようになっていたのは」

気付いた時には遅かった。
復讐出来ればそれでいいと思っていた子鬼は黄泉で色んなものを学んだ。
みなしご時代に得られなかった、欲しいものを欲しいと思ってよい自由を手に入れたのだ。
人としての生を終えた今もまだ、己の世界は無限に広がっている。

鬼灯と、初めて名前で呼ばれた時は嬉しかった。
神獣が初めて自分を認識してくれたのだと感じた、実際はそれより前から彼は自分を見てくれていたのだけど。

「これが恋だと気付いたのは……そうですね、初めて女性から告白された時でしょうか……何故だかあの男の顔が頭に浮かんで」

遊女のリップサービスではない、真剣に想いを伝えてきた女性を見て、嗚呼この想いは己の身の内にもあるのだと自覚した。

乾いた心に火がついた瞬間だった。
あの男が好きだ。
過去を想い出せば必ず出てくる白い獣が好きなのだ。

みなしごで、人と鬼火の混ざった異端者で、血縁も同類もいない天涯孤独の存在だった自分が、ひとりぼっちの神様にどれだけ救われてきたか。
あの男が嫌いだという気持ちに嘘はない、嫌いなところは本当に嫌いだけど好きなところだって沢山ある。

己の孤独をいつの間にか癒やしてしまった彼の孤独を、今度はこちらが癒やしたい。
いつも笑顔でいて欲しい。
本当は傷付けたくない。
他の誰でもない自分自身の手で……彼を幸せにしたい。

「そうですね私は確かに白澤の事を愛しています」

だから、少しでも近付きたい。

最後にそう締めくくった鬼灯の言葉を聞いてイザナキは満足げに頷いた。

「そうか解った……では白澤を迎えに行くとするか」
「ちょっと待って下さい、先程仰いましたよね?あの神獣の想いを教えてくださると」
「それは……今でなくても」

言葉を濁すイザナキに鬼灯は地を這うような声を出し。

「教えてくださらなければナキサワメさんを嫌いになりますよ」

脅すと、部屋の隅にいたナキサワメが「ひっ」と怯えたような声を上げた。

「わかったわかった……話すから、最後にもう一つ聞いてもよいか?」
「なんですか?」

まだ語らせるか、と思ったが自分の想いを正直に語ってしまうと、何故今まで隠せていたのだろうと思うくらいスルスルと言葉が出てきた。
というよりも今まで溜めていた分、勢いよく口についてしまったのか、全て吐露した後とても楽な気持ちになった。
どうせ明日には地獄全土に知れ渡ってしまうのだから、これから先はもう開き直るしかない、アレは私のものなのだと皆が認識するくらい語ってしまえ。

「お主のその愛は一生のものと誓えるか」
「ええ」

何を当然な事を聞いている。

「生涯あの者だけを愛し続けると誓えるか」
「ええ」

愚問だと言わんばかりの鬼灯にイザナキも覚悟を決めたようだ。

「そうか、ならば大丈夫だろう」

お主にとっては、少しショックなことを言うけれど……と、前置きしてイザナキは遙かを見詰めるように鬼灯の胸元へ視線を向けた。

「先程お主は人と鬼火が混ざった者だと言ったな」
「はい」
「では、お主の子どもはどうなると思う?」
「……そうですね、私の場合は途中から鬼火と融合しましたが、私の種子から生まれる子なら初めから鬼火を宿……まさか」

元々色の白かった鬼灯の顔が一気に青褪める、自分の子のことなど今まで考えたことがなかった。
何故なら恋した相手があの神獣だったからだ。

「ああ、お主の子はな、受精した時点で小さな鬼火となるのだ……そして母の胎内でどんどん成長していき、十月十日を待たぬ内に母の体を焼き尽くしてしまう」

鬼火という特殊な炎に身の内から灼かれるのだから、火属性の妖魔であっても無事でいられるか解らない。

「我が息子カグツチと同じよ、いや妊娠初期で母体を灼いてしまう分アレよりも恐ろしいやもしれん」

当時の事を思い出してかイザナキの声が怒り震える、何千何万と時が経っても己が妻を殺した子を許せない、同時に我が子を殺した自分自身も許せずにいた。

「お主は白澤に自分がみなしごだったと話した事があったな」
「え……ええ、あります」
「その時、白澤はお主に血の繋がった家族が出来ればよいと思ったそうだ」
「なんだそれ」

人の気も知らないで……鬼灯はあの神らしい考えに内心舌打ちする。

「お主がいつか結婚し、その娘との間に子を成し、父となることを夢想した」
「……」
「その時、視えてしまったそうだ」

“鬼灯の子を孕んだ娘がどうなってしまうのか”

「だから、あの時……」

己が過去を初めて話した日、それまで良い酒を呑んでいた白澤が急に青褪め震えだしたのは、識ってしまったからだ。
鬼灯の子が辿る残酷な宿命を――

「あの神獣、その所為で三日三晩泣き尽くしたといっておったぞ」
「……」
「そして四日目の朝、不意に思い付いたそうだ」

その頃、桃太郎はまだいなかったが他の従業員達はさぞや心細かっただろう、桃源郷に住まう精霊などは皆過保護であるから泣き通しの白澤をさぞや心配しただろう。
己が体質を勝手に視た白澤に対しては罪悪感を抱きはしないが、桃源郷の住民達には少しだけ申し訳ない気持ちになる、いつも鬼灯を優しく出迎えてくれる方々なのだ。


「――鬼灯とその妻の子は、自分が生めばいいのだと」


ソファーに立てかけていた金棒がガシャンと倒れた。
石で出来た床に穴を開けて転がるそれを見てハッハッハと豪快に笑う。


「鬼灯殿とその金棒は一心同体のようだな」
「そんなことはいいですから、続きを」

鬼灯の背中に冷たい汗が流れてゆく。
白澤は女性が好きな男の筈、それが子を生む? どうやって、いや白澤であれば体内に子宮や女陰を作ることが出来るのかもしれない。
実際浄瑠璃の鏡に映った白澤には女陰のような器官が付いていた……そう思い出すと、あの時一緒に見ていた男共とあの修験者を記憶が飛ぶまで殴りたくなってくる。

「白澤はな、妻であれ恋人であれお主が愛した女性が妊娠した時に、その子を己の胎内に移すつもりでいたそうだ」
「人の妊娠なんてどうやって解かるんですか」
「胎内に鬼火が宿えば誰だって体調を崩すだろう、その時お主は自分を頼ると白澤は言っていたが」
「それは……確かに」

あれより信頼できる医者はいない。

「お主に恋人が出来れば相手を注意深く監視しておくとも言っていた……体調に変化があれば直ぐに報せがくるよう術を掛けておいておくと」
「そんな術、アイツが使えるんですか?」
「ああ、このことに必要な術は修業を積んで使えるようになったそうだ、例えば妊娠中に店を任せておける分身を造り出す術や、霞を食べて鋭気を養う術を」

あの不器用な白澤が、鬼灯の子を生む為に幾つかの術を取得したのだという。

「お主の子は妊娠中に少しずつ鬼火から鬼の身体へ成長してゆくのだが、その間ずっと母体を内側から灼き続ける、そして蝋燭が消える瞬間最も輝きを増すように生まれ落ちる寸前に大きな火柱を上げる……お主の子を生むのは並外れた回復力を持つ白澤でなければ不可能だろうな」
「……白澤さんは、苦痛も熱も感じるのですよ……」

鬼灯は呆然と呟いた。
回復力が強いというだけで何も感じないわけではない、痛いのも苦しいのも苦手だった筈だ。

「それでも耐え切ったから、あの赤子が存在するのだろう」
「では……フォフゥイは私と私の子を妊娠した誰かの子だと言うのですか?ありえません……」

火恵の年齢からすれば白澤が妊娠したのは二年程前だが、その頃鬼灯は誰かと交わった記憶がない、それに自分は避妊をせずに致したりはしない。

「まさか……」

鬼灯はハッと気付いたように刮目した。

「心当たりがあったか?」
「はい、丁度二年ほど前、ある女性から相談があると言われ一緒に食事をしたことがあります……そしてその女性に“明日自分は転生してしまうから、その前に一度だけでも情けがほしい”と言われ」
「寝たのか?」
「いえ……“そんなことはできない”と断りましたが、あの後の記憶がないのです……朝起きたらその女性の部屋で寝ていて……女性は消えていたから転生したのだと思います」
「恐らく強力な薬を盛られたのであろうな、記憶が飛ぶほどの」
「しかし、一晩で妊娠などする筈がない」

翌朝の部屋の様子を見て、女性を乱暴に抱いてしまったのかもしれないと思ったが、確かめようが無かった。
あの女性がもし妊娠したとしても既にに転生してしまっている筈だ。

「これは白澤から聞いた話だがな……」

困惑する鬼灯に対しイザナキは静かに語り始めた。

ある晩、白澤が地獄の道を歩いていると一人の女性とぶつかったそうだ。
謝ろうとすると女性の身体に裂傷がいくつもあり酷く怯えているのに気付く。

『白澤様!助けてください!!あの方を……あの方を止めて!!』

そう言って彼女が指さした方を見ると、灯りが点いた一軒の家があった。
白澤は女性に、どこかで治療してもらうように言い、その家の扉を開けた。

そこにいたのは、鬼火を纏い、正気を失くした独りの鬼だったという。
鬼の様子を見て全てを悟った白澤はゆっくりとその鬼へと近づき狂ったように己の身体を掻き毟るその両手を自分の身体へと回した。

『大丈夫、僕がなんとかしてあげるから』

もう白澤には、この鬼に自分の身を捧げるなど造作もないことだった。


「あの子は、お主と白澤に良く似ているだろう……?」
「……」

イザナキの話を聞き終えた鬼灯は全身から血の気が引くような思いをしていた。
女性の部屋が酷く乱れていて、布団には血痕と引っ掻いたような跡が幾つもあったけれど……それは女性に乱暴を働いたからではなく――

「そんな……私は」

犯したというのか?
無理やり? 愛する人を?

自分が……

「鬼灯殿、よく聞け」

真っ蒼な顔をして俯く鬼灯の肩を掴み、上を向かせるイザナキ。

「唯一無二の神獣である白澤に生殖能力はない筈だ……普通であれば」

同族も番もいない、死なない神様には子を作る力はない。
たった一つの条件を満たさなければ。

「白澤自身が強く望んでいなければ、妊娠するなど有り得ないのだ」
「……え?」

白澤は鬼灯と鬼灯の愛する女性との間に出来た子を生みたいと思っていた。
それは、自分との間に出来た子なら鬼灯が喜ばないと思っていたからだ。

鬼灯に血の繋がった家族をもって欲しい。
鬼灯の孤独を癒してやって欲しい。
鬼灯が幸せな家庭を築くことができるなら、自分はどんなに辛くても平気だ。

我が子ではない存在に十月以上その身を灼かれ続けたとしても構わないと思えるくらい。


「あの神獣はお主のことを愛していたんだ」




* * *





『……感謝なんてしませんよ、貴方が勝手にすることですから』


その鬼は、白澤を見上げながら酷く詰まらなそうに言い放った
ああそうだ、誰がこの鬼から感謝されようなんて思うものか

自分のすることは全て自己満足でしかない



『ハハ……いらない、お前からの感謝なんて最初から期待してないよ』



ただ、この鬼の未来が穏やかであればよい

初めて心から愛すことができた大切な存在の幸福……


それだけが、たった一つの望みだった――










END