自分は愛されている、そう聞いただけで鬼灯は身の中にある鬼火が燃え盛るのを感じる。
己の体質を知らされた衝撃も、火恵が己の子だと知らされた困惑も、彼へ対し感じた罪悪感をも忘れてしまうくらいの歓喜を覚えていた。

「さて、では今度こそ白澤を迎えに行くかな」

そう言ってイザナキが立ち上がるのを引き留めるように叫ぶ。

「待ってください!私も一緒に行きます!!」

白澤が自分を愛していると聞いてジッと待っているだけなんて出来ない。
それにもうすぐ夜になる、我が子だと言う火恵が心配で堪らなくなってきた。
早く本人達に会って無事を確かめたかった。

「連れて行ってやりたいのは山々だが……無理だろう、あやつらは霊峰霧島にいるのだから」
「あやつら?」

ということは白澤は他の者に保護されているということか……少しだけ安心する。
「白澤が再び侵入したと聞いてニニギが様子見に行っている、小心者のニニギのことだからな、あの親子を護る為の結界を張っているだろう」
いや、白澤と火恵の身を案じて結界を張ってくれている相手に対して“小心者”と言われても……地獄での評価もイマイチな彼だが身内からもこの言われ様なのか、と少々呆れているとイザナキは続ける。

「まぁそんなニニギが張った結界だ……地獄一の鬼神といえども無理に破ろうとすれば一瞬で消し飛ばされるぞ」
「……」

鬼灯は思わず息をのんだ。

「ククク、お主ら地獄の者は神を見くびり過ぎるきらいがあるからのお」

可笑しげに笑うイザナキの、目はひどく冷めていた。

「神を冒涜すれば天罰があると言うだろう?気を付けるがよい……まぁニニギは自戒心が強いから余所を攻撃することはないだろうし……」

これは牽制だ。
インターネット回線を通して自分達の力を誇示している、恐らく神獣白澤の身を守る為に。

「……白澤も寛大だから大丈夫だと思うがな、唯一怒りを覚える相手である鬼灯殿との喧嘩すら楽しんでいる節があるしの、というか鬼灯殿とする事ならなんでも楽しいのかもしれんなぁ」

今度は温かい目で自分を見るイザナキに、鬼灯はフイッと顔を逸らす、今更ながらに恥ずかしくなってきた。
喧嘩ばかりしていた鬼灯と白澤が実は両想いだったと生放送で暴露してしまった(しかも片方は不在)国造神は悪びれもなく笑って、今までテーブルの前に設置されていたカメラを取り外す。

「お主はそこでナキサワメと共に白澤達を見守っていてくれ」
「……鬼神は入れない結界の中にカメラなんて俗物が入れるんですか?」
「儂の持ち物だからな」

何故貴方は行けるのかと聞くまでもない、イザナキはニニギより高位の神……そして日本を作った父とも呼べるこの神が本気を出して入れない場所など日本では地獄の大熱処くらいなものだろう。

「では、行ってくる」

部屋を出る途中、先程金棒が転がり穴が空いた石床を靴裏で擦ると直ってしまった。
それを目の当たりにした鬼灯はイザナキの背中を見ながら、

(この人、職場にいたら便利だな……)

と、失礼極まりない事を考えたのだった。




* * *




言われたとおり大人しくナキサワメと白澤達を見守ることにしたのだが何故か昭和のお茶の間風な部屋で、レトロなテレビの画面を観ている(このテレビがインターネットと繋がっているというから凄い)
ちゃぶ台の上には二人の湯呑みとみかんと煎餅が置いてあり、ナキサワメがいそいそとお茶を淹れている横で鬼灯はテレビを凝視していた。

「コラ鬼灯、そんなに見ていたら目が悪くなりますよ」

そんなナキサワメのお叱りを無視する鬼灯、画面の中ではニニギが白澤に赤い襦袢を渡し火恵を預かっているところだった。
静かな神域ではカメラに付けられたマイクで充分声が拾える、仕掛けているのがイザナキという時点でどうしてバレないのかなんて疑問は消えた。

「あの赤い襦袢ね、私が縫ったんですよー白澤様の反応が見たくて」

神達って暇だな、と再び思った。
まぁ神達がこんなに暇だからこそ地獄が安定しているのだと思えば、良いことなのだろう。

「和装をすると痩せて見えますね」
「アレは本当に痩せているんですよ」

白澤が着替えるところでイザナキがカメラをずらしていたからチラリとしか見えていないが、元々細かった白澤の体は更に細くなっていた。
原因はやはり妊娠と出産による体力と神力の低下、火恵に目を一つ与えているからその分の力も落ちているかもしれない。
知らなかったとはいえ、そんな彼を組み敷こうとしたのかと思うと昨夜の自分に怒りが湧く

「イザナキ様やニニギさんがフォフゥイを“ヒノエ”と呼ぶのは何故だか知っていますか?」
「……ああ、それはフォフゥイが漢字で“火の恵み”と書くからですよ“火恵”で“ヒノエ”です」

――鬼火の子だし“丁”と呼ばれた貴方と関連付けたかったんでしょうね
そう言いながらテレビ画面を見るナキサワメの瞳はひどく優しいものだった。

「そんな名前を付けといてアイツはずっと隠し通せると思っていたんでしょうか」
「ええ、だって白澤様はずっと貴方に嫌われていると信じていましたもの」
「……」

自分が最初から素直でいればこんなことにはならなかったのだと鬼灯は拳を握り締める、ただそれは白澤にも言えることだ。
どちらかが好意の片鱗でも見せていればと後悔する……だいたい日本天国や中華天国の者達には気付かれているのに何故地獄の者達は誰も気付かなかった。
まぁなんにせよ天の神達が皆して二人を祝福しているなら力強い、初恋から何千年とかかって漸く白澤を手に入れられそうなのに彼の実家から反対されるのは面倒だ。

『それでも……いつかアイツを泣かせてしまうのはイヤだよ、初めはいいかもしれないけど、きっとそのうち僕の存在が重くなる、種族も違うし寿命だって……アイツはどんどん年老いてくのに僕は全然変わらないんだよ?寂しいに決まってる』

画面の中の白澤が、ニニギに哀しみを訴えていた。
そんなことを彼に言うのは無神経だし、それに……

「馬鹿ですね……」

いつか別れなければならないからって独りぼっちでいる方が、愛する人と一緒にいられない事の方が寂しい。
この地球のイキモノ全てが不可能を可能にする力を持っていると、白澤なら解っている筈。
時間をかければどんな試練でも越えてゆける、世界の理などゆっくりと変えてゆけばいいだろう。

『俺は、サクヤより永く生きられなかったけど、それでも幸せだったよ』

たとえ変えられなくても、自分もきっとニニギのように想える。

『サクヤが俺の子を生んでくれたと解った時は本当に嬉しかった……その子がこの天地で何よりも尊いものに思えた、短い間だったけど愛する人と愛する子どもと一緒に過ごせて幸せだった』

神様の間で流行っている配信だというからサクヤ姫や彼の子ども達が見ている可能性もある、だとしたら彼はとんでもない羞恥心に駆られるに違いない。

『貴方は鬼灯さんからそれを奪ってしまうの?』

そう聞かれ、目に見えて動揺する白澤に愛しさが募る。

(どれだけの時を、私の幸せを考えて過ごしたのだろう)

ニニギの話を聞いていく内に、サクヤ姫の出産時に仕掛けた演出がバレていたということが知れた。
いずれ気付かれてしまうのではないかと思っていたけど、彼が怒りを抱いていなくてよかった。

「少しだけニニギさんのことを見直しました」
「やはり今まで見くびっていたのですね」

苦笑交じりに応えるナキサワメ、彼女といいニニギといい自分の関わる神は基本的に寛大なのだ。
初めて逢った時に「私の所為で貴方を生贄にしてしまった」と、泣いて雨を降らせた水の神を憎いと思ったことは一度もない。

「漸くイザナキ様が出て行きましたね」

画面の中でイザナキの話を聞き、白澤とニニギが驚愕ているのが見えて面白い。
イザナキが「鬼灯から脅された」と言った瞬間、白澤もだがナキサワメもビクリと肩を震わせた。

「あの……私のこと嫌いになりしませんよね?」

忘れていたが、そういえばイザナキへの脅し文句が「ナキサワメさんを嫌いになりますよ」だった気がする。

『も……申し訳ありません、この度のことは元はと言えば僕が勝手にやったことが原因であり、あの鬼は少しも悪くない……こともないのですが、責任は僕にあります……どのような罰でもお受けしますので、どうかあの鬼のことはお許しください』

「……私の為に頭を下げる白澤さんマジ私の嫁ッ!!」
「ね、ねえ鬼灯!無視しないでください!!」

横にいるナキサワメが涙声になっているので、多分現世では雨が降っている。
彼女は自分を幼少時から知っていて、過保護でも過干渉でもなく遠くから見守ってくれている存在だ。
そんな心配性な神を鬱陶しくは思っても嫌いにはならないだろう普通……と、言ってやらないけど。

「早く帰って来ないでしょうか……」

不毛な言い争いを始めたイザナキとニニギ、そして絶望感あふれる白澤を視聴しながら、そんな中でもすやすや眠れる火恵は将来大物になるのではないかと親馬鹿なことを思った鬼灯だった。




* * *




あれからイザナキによって半ば無理矢理連れ帰らされた白澤は、鬼灯の紹介で地獄一大きな病院へ入院させられた。
医師曰く人工的な治療よりも白澤の自然治癒力に任せた方がよいとのこと、ただし殆ど食事を摂れないので一日三回点滴を打たなければならないそうだ。
点滴なら極楽満月でも出来ると言ったが、お客さんがくるのに落ち着いて休めないだろうと説得され一般の患者とは別棟の個室に火恵と二人で寝泊まりすることになった。

店のことは桃太郎に任せている、彼一人で作れる薬も増えたし最近真面目に仕事をしていたからストックも充分あるが心配だ。
なんせ今は外の情報が一切入って来ない場所に閉じ込められているような状態だから。

鬼灯から自分がマスコミをどうにかするまで此処を出るなと言われているし、お見舞いもお香や妲己、店の昔からの常連さんなど限らた人しか来ていない。

(桃タロー君は大丈夫って言うけど)

着替えやミルクやオムツを持ってきてくれた弟子の言葉によれば店は通常経営出来ているという、まぁ天国の住民は優しく穏やかだから店や桃太郎に危害を加えたりしないだろう。
ただ地獄の住民、特に獄卒や十王の目に自分のした事はどう映るか、考えただけで白澤に怖気が走った。

解ってる、自分がしようとしていた事は赦されない事なのだと。
鬼灯の体質を知っていながら本人に隠していたこと、これは漢方医としても瑞獣としてもありえない、これは鬼灯に恋をしていた女性達に恨まれるだろう。

いずれ鬼灯が妻を娶り相手が妊娠した時に自分の胎内に移そうとしていた事も倫理的に間違っている、代理出産は否定しないが頼まれてもいないのにするのは罪だ。
その女性のプライドを傷付け、鬼灯が自分を嫌っているままであれば気持ち悪がられただろう。

気持ち悪いと言えば男性が妊娠出産したというだけで生理的に受け付けない者も多いであろうし、反則技で妊娠してしまった白澤はきっと不妊治療をしている者達を酷く苦しめたに違いない。

それに鬼灯は閻魔大王の第一補佐官だ。
今回の事で地獄側に多大な迷惑を掛けてしまっているんじゃないかと思うと泣けてくる。
地獄の誇りとも呼べる鬼神を汚してしまった罪は重いだろう、閻魔大王は優しいから許してくれても他の王はどうだ?
元々嘘吐きに厳しい彼らが白澤を許せるとは思えず、だからといって神である白澤は断罪されることも叶わない。
もう二度と地獄の敷居を跨がせてもらえないのではないか……自分はそうなっても仕方ない事をしたけれど、この子は父親にも会えなくなるのか

(僕のせいで……)

火恵を撫でながら心の中で精一杯謝罪する。
この子がいつか生まれてきて良かったと思えるように自分が差し出せるものは何でも渡そう、これから起こる全ての幸運と引き換えにしたって構わない。

(でも鬼灯を幸せに出来なかった)

一番愛する彼が、一番の被害者だ。
天国や地獄全土に鬼灯の体質のことが知れ渡った今、彼と結婚したいと思っても子どもを作ろうという女性は現れまい。
一子二子がいるし養子をとっても良い父親になれそうだけれど、相手の女性はツラいだろう、愛する人の子が生めないなんて

「……やめよう」

白澤は気だるげに首を振った。
今日は疲れたから眠ってしまおう、最後に愛児を一撫でして。

「おやすみ」

神様は眠る前に祈りなんて捧げない。
するのは懺悔だけだ。
私は今日も罪を犯しました、そう自分自身に報告して毎日を終えてゆく。

許しを乞わない神獣は、何度眠りついても救われない。




* * *





夜中、怖い夢に起こされた白澤がふと見ると隣で眠っている筈の火恵が消えていた。

「フォオちゃん!?」

白澤は慌てて飛び起きる。
どこに行ったのだ? 現在この棟に入院しているのは白澤だけで、治療というより雲隠れしているような白澤は看護師がつくことを断っている。
だからほんの小さな物音でも酷く響く、それなのに気付かなかったということは火恵は音もなく消えたのか。


「フォオちゃん!フォオちゃん何処!!?火恵!!」

部屋を出て廊下を歩き廻りながら探すが見つからない。
落ち着け、あの子には自分の目を一つ与えているから目の気配を辿ればあの子の所に着くだろう。
そう思った白澤は火恵に与えた目の気配を探る、すると気配は真上からした。
此処は最上階だから……屋上だ。


白澤は無人の病院を全速力で走る。
鬼灯から逃げるときだってこんなに必死にならないだろう。

「火恵!!」

階段を一気に駆け上がり鍵の壊された屋上の扉を開くと、吹いてきた強い風に一瞬よろけてしまう、まだ体が本調子ではない証拠だ。

「君は」

そこにいたのは火恵と、それを抱えた一人の女性、この青い羽を纏った美しい妖怪を白澤は知っている、彼女は……

「姑獲鳥ちゃん……」

姑獲鳥、子どもを攫う妖怪だ。

「お久しぶりね白澤様」

そうか……彼女に目を付けられてしまったのかと白澤は冷や汗を流しながら思った。
正直彼女の事よりその胸の中で泣き喚く赤子が気にかかる、誰に抱かれても泣かない子がこんなに泣くということは何かあるのか。

「その子を返してもらいたいんだけど、なにをしたらいいの?」

人に益をなすこともあるが害をなすことの方が多いのが彼女ら妖怪の性質だ。
それは今まで何万年と黙認してきたことだから、我が身に起こったからといって彼女を責めることはしない、白澤は冷静に火恵を返してもらえるよう取り引きを持ちかけた。

「白澤様は狡いわ」

すると彼女は猛禽の瞳で白澤を睨みつける。
彼女の中では子どもを亡くした母の怨念が渦となって居座っている、本体は鳥である筈なのに蜷局を巻いた蛇のように今にも襲いかかってきそうだ。

「望んだだけで愛する人の子を生めるなんて狡いわ、それに相手に知らせもせず勝手に生むなんて……片親が誰か知らずに育てられる子も可哀想……ねぇ神様はなにをしても許されるって言うの?」

自分で散々葛藤していたことでも他人の口から出ると矢のように突き刺さるのだなと感じた。

「白澤様の目的はあの男と妻になる女の子を代わりに生むことでしょ?なのに自分の子を妊娠するなんて、最初からあの男の子を自分が育てたいと思っていたんじゃないの?」
「違っ!そんなの思ってない!僕はアイツが幸せな家庭を築けるようにって」
「私からこの子を取り返したいと思う貴方が、自分の生んだ子を他の女に取られて悔しいと思わなかった保証はないわ」
「そりゃ……ちょっとは悲しいかもしれないけど、それでもちゃんと母親のとこに戻すよ……僕はただアイツとアイツの愛する人の子を代わりに生むだけだから」

自分の遺伝子が入っていなくとも腹を痛めて生んだ子は可愛かろう……だけど鬼灯とその妻になる存在から自分が奪っていいものではないと解かっている、それくらいの分別はつくつもりだ。

「じゃあ白澤様はあの男の子どもを産む道具になりたかったの?」
「……うん、それでも構わないって思ってたよ」

屈辱的な言葉を掛けられた白澤だが、己の願いは確かにそれだった。
それでも惨めな役割だと思えなかったのは鬼灯が幸せになれると信じていたから。
心の奥底にあった鬼灯の子を生みたいという願望が奇跡を呼び自らの子を宿してしまったけれど、最初は本当に鬼灯の幸せだけを思って始めたことだ。

「……この子を返す条件を思い付いたわ」

姑獲鳥は静かに笑うと、胸の中で泣く赤子を赤い半透明な膜で包んで宙に浮かべた。
赤い膜が堕胎薬に使われる鬼灯の形をしているのが不安を募らせる要素の一因となっている。

「その子と同じ様に、今度はあの鬼ではない別の男の子どもを生んでちょうだい、白澤様」

白澤は己の耳を疑った。

「え?」

今、姑獲鳥は何といった? 妊娠しろ? 鬼灯以外の男の子どもを? 何故そんなことをしなければならないのだ?

「イヤなの?貴方は子どもを産む道具なんでしょ?」

厭に決まっている、想像しただけで全身の毛が弥立つくらい気持ちが悪い。

「それは、相手がアイツだから……」
「そう思うのは貴方は自分の自己満足の為にその子を利用していた証拠だわ」

――え?

「最初は本当に純粋にあの男の幸せだけを思っていたでしょう、でもこんなことも思わなかった?あの男の子を生めるのは自分だけだから、どんなに嫌われていても彼にとって自分は必要な存在だと……真にあの男の幸せを願っているなら忌むべき彼の体質を喜んでいたんじゃないの?」

――最初は綺麗な綺麗な心だったのが、いつの間にか醜く変わってしまっていた?

「ちが、違う!!」

そう叫びながら、白澤の頭はひどく混乱していた。

自分は鬼灯が好きだ、好きだから幸せになってもらいたい、暖かい家庭を築いてもらいたい、血の繋がった家族をもってもらいたい、だから普通の娘では生むことの出来ない鬼灯の子を生もうと思った。
でも本当は、自分が鬼灯にとって必要な存在になりたかったから? そう思い込みたくて妊娠した?

鬼灯への罪悪感や、この子が背負う運命を考えれば誕生させるべきではなかった?

この世に生みだされた命を勝手に奪う事もできなかったけれど……それは自分がこの子を自己肯定する為に利用してきただけ?

「……白澤様、私は自らの子を生めない体です……だからこそ妊娠や出産を尊いものだと思っています……」

姑獲鳥は淡々と告げる、白澤は審判にかけられた容疑者のような気持ちで彼女を見上げた。

「私のことを唯一認めてくれていた貴方がこんなことをするなんて悲しい……」
「姑獲鳥ちゃん……」

悲しそうに瞳を伏せる彼女を見て、少しだけ冷静さが戻った。
別に姑獲鳥は白澤が憎くて言っているのではないと、なんとなく感じたからだ。

「この世には摂理や倫理に反して生まれた子を呪う者がいるわ……地獄なら特に多いでしょうね」

他人の過ちを許せない鬼や、他人の幸福を願えない亡者が沢山住まう、だから地獄。
白澤は愛する人の愛する地を侮辱されたようで口惜しかったが、それもまた事実だと認めた。

「現に地獄は貴方を批判する記事や噂で溢れ返っている」
「そう」

予測できたことだけど、実際にそうだと聞くとやはりショックだ。
悪いのは自分だと解っていても、長年関わってきた地獄という場所に裏切られたような気持ちになった。
今まで信じてきた希望がぽろぽろと零れていって、空っぽになった胸に絶望が詰まってゆく。

「この子を私にお預けなさい白澤様、そして貴方は本来あるべき場所へ戻るのです」

泣き止んだ火恵を再び抱きかかえ、姑獲鳥が言った。

「……」

虚ろな瞳で彼女を見上げた白澤が、是と口にしようとした――その時。

「!!!」

白澤と火恵が水の膜で包まれたかと思うと、一瞬で屋上が火の海と化した。

「姑獲鳥ちゃん!!避けて!!」

白澤がそう叫んだ次の瞬間、それまで姑獲鳥がいた場所に焔の玉が打つかってきた。
間一髪上空に逃げた彼女は焦げ付いたコンクリートを見て息を呑む。

この火は――鬼火だ!

「お前!危ないだろ!!姑獲鳥ちゃんに当たったらどうするんだ!!」

どこにいるか解からない放火の犯人に白澤が吠える。

「当たるわけないでしょ、貴方がいるのに」

白澤の横へ降り立った鬼灯がしれっと言い捨てる。
鬼灯にしてみれば自分の妻同然の相手に散々暴言を吐いて自分以外の男の子を妊娠しろなどと要求した女なんてどうなっても構わないが、妖怪の長でもある白澤は己の保護下にある姑獲鳥を攻撃されて黙っていられなかったようだ。

「まったく、お人好しですね白澤様は」

上空に浮かび水の膜で包まれた火恵を抱いたナキサワメは、呆れたように呟いた。
けれど鬼灯が現れた途端、白澤の虚ろな瞳に光が戻ったのに気付き安心もしたのだ。

「さて、姑獲鳥さんでしたっけ?」

火の海の中に平然と佇み、鋭い眼光で我が子を攫おうとした妖怪を見上げる。
姑獲鳥も負けじと鋭い視線を鬼神へ下ろした。

「まぁ貴女の言うことにも一理あると思いますが……私はそれでも構わないと思っていますよ」

赦されざる妊娠も、理に反した出産も、我が子が背負う業も、白澤の罪も……

「自らの身を削るような事は今後一切やめて欲しいですが、この神獣が私の為を想ってしてくれたことなら感謝しますし」

そこで、ちらりと白澤の方を見て一瞬だけ微笑んだ。
数千年の付き合いの中で数度しか見たことのない彼の笑顔を向けられ場違いにもときめく神獣。

「もし、この神獣がエゴで私の子を生みたいと思ってくれたのだとしても……嬉しいです」
「貴方は白澤様を許せるって言うの?」
「そうですね細かいことでは怒っていましたが、この子を生んでくれた事でチャラに出来るかと」

姑獲鳥は、深く考えるように目を伏せた。
白澤に子どもを不幸にするような親になって欲しくなくて預かると言ったが、この子が父親に望まれて生まれてきたなら幸せになれるのではないか、白澤なら優しく賢い父になれるであろうし鬼灯なら厳しく強い父になれそうだ。

「この屋上全体で燃えている火は私の鬼火です……」

考えこんでいた姑獲鳥の耳に、低い穏やかな声が入ってきた。

「白澤さんは十ヶ月以上、これより熱い火に灼かれてきたんですよ」

罪があったとしてもう充分償っているでしょう……地獄で一番罪に厳しい極卒であり、公私混合など絶対しないであろう鬼灯が、そう言わんばかりの目で己を見ている。
――なら、しかたない

「わかった、今宵は諦めて帰ることにするわ……」

つい潔癖なことを言ってしまったが、そもそも姑獲鳥も子を誘拐する悪い妖怪なので白澤の事をどうこう言える立場にないと自覚している。

「白澤様、沢山のご無礼どうかお許しくださいませ」
「ううん、姑獲鳥ちゃん……僕の方こそゴメンね」

姑獲鳥の中には子を生めない女の怨念も存在しているのを知っている、自分が反則技で妊娠してしまった事で深く傷付いただろう彼女達へ謝罪を述べた。
女性であれば怨念でも優しい白澤に、姑獲鳥は呆れつつも「もう気になさらないで」と微笑みかけた。

「……白澤様、私達中国妖怪は皆貴方が大好きで大切で仕方ないの、だから、これから貴方がどんなツラい思いをしても貴方には帰る場所があるのだということは忘れないでいてね」
「貴方は明日嫁ぐ娘に虐められたらすぐ帰ってきなさいとか言う母親ですか」

姑獲鳥にツッコミを入れる鬼灯にナキサワメが言葉を投げかける。

「鬼灯、貴方も喧嘩して家から追い出された時はうちに来ていいんですよ」
「なに対抗してんですかナキサワメさん、もしそうなった時は閻魔殿の私室を使いますよ」

白澤は、鬼灯に対しこれからも極楽満月に棲むつもりなのかと驚きながら、先程から考えていたことを口に出す。

「それはそうと好い加減この鬼火消さない?」
「あ……」

屋上にも水の膜が張ってあるから他へ燃え移らないとしても気付いた人が消防へ連絡してしまいそう……っていうかもうしているかも。

鬼灯が火を納めている間に姑獲鳥は天高く飛び立って行った。
彼女の姿が完全に見えなくなったところで鬼灯は白澤の正面に立ち、腕を組んで威圧する。

「ところで白澤さん、貴方さっき姑獲鳥さんの話に頷きそうになってましたよね?どういうつもりですか?」

火恵を手放し私の元から去るつもりだったんですか?
まだ少し鬼火を纏いながら鬼灯は訊ねるが、その顔がまた怖い。

「そうだね……妊娠中から傾向はあったんだけど、今の僕は他人が怖い」

白澤は正直に地獄で自分達が批判されていると聞いて逃げ出したくなったと言った。
己が責められるならまだ自業自得だと思えるが、子どもまで危険に晒されるとなると納得いかない。
騒がないでそっとしておいて欲しいと言ったって世間は聞いてくれないだろう。

「出来る事ならこの子と二人で誰もいない世界に行きたいけど……そういうわけにもいかないしね」

けれど今はまだ掛けられる優しい言葉も信じられない、まるで周り全てが敵になったように感じる。
と、言う白澤の横顔を見詰ながら鬼灯は、かつて“丁”だった頃の自分を思い出す。

そんな者を救う時にはどうしたら良いのだっけ……道筋を教え、価値を与え、居場所を得させる?
……なんて、まどろっこしいことコイツ相手にする必要はない。

「貴方、この子に邪気が見れる目を与えているんですよね?」
「ん?あー……そうだよ」

この神獣はこの口を使った無意味な罵倒、揚げ足取り、理詰め、その他諸々の口撃で屈服させるのが一番だ。
相手が反撃してきたら今度はこの手を使えばいい、暴力以外の方法で触れることに少しずつ慣れてきたところだ。

「もしこの世界が自分への敵意で満ちているとしたら、この子がこんな風に穏やかな顔をしていますか?」
「それは……」
「自分の親に敵意を向ける相手に抱かれて笑えると思いますか?」

姑獲鳥に抱かれ泣いていた火恵が最後泣き止んだのは彼女の中から邪気が消えたからだ。
そう言うと白澤は目から鱗が取れたような顔をして手を鳴らした。

「そっか!フォオちゃん看護師さんとかお見舞いに来てくれたお香ちゃんとか妲己ちゃんとかお得意さん達に抱っこされて笑ってたもんね!あの娘達は僕らの味方だ!」

可愛い女の子達に嫌われてないと解ってハイテンションになる白澤、その瞬間鬼灯の額に血管が浮かんだのを目撃したナキサワメは震え上がる。

「あーなんか安心したら遊び行きたくなっちゃった!妲己ちゃんのお店予約入れるからいつ退院できるか教えてね!」
「入院期間伸ばしてあげましょうか?今度は外科で」

暗黒のオーラを纏いながらボキボキ指を鳴らす鬼灯。

「ちょ!?いきなりなに怒ってんの!?」
「恋人に目の前で堂々と妓楼通い宣言されたら誰だって怒るでしょうが……まぁ多少の浮気には目を瞑らなければならないかと覚悟はしていますが……」
「は?恋人?浮気???」


――駄目だこの鬼神と神獣、まるで噛合っていない――
ナキサワメは二人の掛け合いを聞きながら大きな溜息を吐いた。

しかし入院期間を伸ばした方がいいと彼女も思う。
外にはまだまだ白澤への敵意や嫌悪感が蔓延しているから……。

この後、鬼灯はまずは出版社に乗り込んで白澤へのゴシップ記事を止めさせ、烏天狗警察に白澤の近辺を見守ってもらうように頼んで、バッシングしている輩を潰しに行くという。
自分は鬼灯のストッパーとしてそれに着いていくのだ。

(地獄の方々は時間を掛ければ理解してくれるでしょうけど……白澤様のことだから先程あの妖怪に言われた事やそのた諸々のことで自分を責める続けるんでしょうね)

そちらの方が問題だとナキサワメは思う、この神獣はきっと誰にも相談もしなければ愚痴も吐かないから、あと数百年は独りで引き摺ってそうだ。

実際これから二人はそのことで何度も衝突することになるし、白澤はいつまで経っても求婚を受け入れないことになる。
鬼灯に彼女を作らせようと画策する白澤に鬼灯がキレたり、桃太郎の料理ばかり褒める鬼灯に白澤がキレたり、娘にも呆れられる程の痴話喧嘩を繰り返すことにもなる。


(がんばるんですよ、鬼灯)


先の思いやられるカップルだが、優しく見守ってあげよう。
二人が悲しい時には、泣けない彼らの代わりに雨を降らせよう。
二人が楽しい時には、太陽の神様に頼んで快晴にしてもらおう。


「まったく仕方ないパパとママでちゅねー」


いつの間にか眠ってしまった赤子に微笑んで、喧嘩がエスカレートしそうな鬼灯と白澤にそろそろ建物の中へ入るよう声を掛けた。

二人は揃ってバツの悪そうな顔をして、素直に彼女の言うことを聞いたのだった。









END