SIDE:T



身体の全てを禁種の蟲に侵された私の先祖はあの萱でどんな暮らしをしていたのだろう?
薬袋の一族を始め多くの蟲師らを今も縛る程、衝撃と畏れを与えた姿を私は想像もしたくない。
ただ、目は見えたのか、耳は聞こえたのか、喉は透き通っていたのか気になる。
痛みはあったろうな、足を撫でながら思い馳せる、この蟲に殺された多くのモノはきっと私以上の苦痛を感じたに違いない。
それでも、この身に封じる蟲たちとて故意に生き物を殺すつもりはなかったろうと思わずにいられなかった。
蟲はただの隣人だ。当たり前にそこにあり、時に害を与え時に益を成し、人の生活に寄り添う。
そこに蟲の感情が伴うのかは人には理解できぬから、人が勝手に蟲をそういうものにしているのだと、きっと皆知っている。

ああ、折角外に出ているのにこんな気持ちではいけないな。
凝りをほぐすように首を回して、誰も見ていないのを良いことにその場に寝っ転がった。
別に一人で来ているのではないが連れの男は暖かい陽気の下、木の根に腰を下ろし、うとうと眠りについている。
いつもなら私の体調を気遣い、ギンコはすぐに帰ろうと言うけれど、今は寝ている。
彼におぶられて此処まで来たから彼が起きるまで此処にいられるということだ。
私はギンコを起こさぬよう、手を天に伸ばした。
蟲を寄せ付ける彼の周りにいるからか、今日は蟲を多く見る。
すぐ傍に菩提樹の葉のような胎児のような形をした蟲がふよふよと浮いていた。
触れたらそれは擦り抜けていくのか、私と一つになるのか、解らないが迂闊には触れない。
私自身、たとえ蟲になったとしても、きっと哀しいとは思わないけど、そうなってしまった時に禁種の蟲がどうなるか解らないのだ。
こんな風に思うのは傲慢で仕方ないけど、消えることの出来ないコイツらの宿主になってやらねばならない。
叶うなら人として最後の宿主に……やはりツライ役目だから同じ役目を持つ者をもう血縁の中に出したくない。
でも、この禁種の蟲を全てうつし終えた暁には、私は流れるままに生きたいと思う。
たとえば隣にいるこの男と共に旅に出られたらどんなに良いか、私なんて途中で野たれ死んでしまいそうだけど、ギンコと一緒ならそうならないように必死に歩こうとするだろう。
ギンコが持ち歩けるくらいの蟲になってもいいかもしれない、目は見えなくとも、耳が聞こえずとも、喉が透き通っておらずとも、常に殺される恐怖に曝されてきた私は生きてさえいればいいと思うのだ。
この男だってもしかすると蟲との交ざり物なのではないかと疑っている。ミドリの瞳がとても綺麗だから。
私は私のこの瞳だって気に入っているけど、ギンコの瞳ほどじゃない。
その目に映る世界はどんな色をしているんだろう?想像しただけで胸がときめくのだ。本人に言えば気を悪くしそうだから言えないけど、他人と違うものを持つお前が羨ましい。
陽に透ける白い髪も、深淵のような緑の瞳も、蟲に愛される体も、強く優しい心も、お前を尊いものにさせる。そしてお前がそれを手に入れたのが偶然であればいい。

――天命などない、海を自由に泳ぐ魚だ。ギンコ――





SIDE:G




風が木々を揺らす音で目が覚めた。というか俺は眠っていたのか、いつの間に?薄く目を開くと明るい世界が映し出され、まだそれ程
丁度足元あたりで丸まって寝ている少女がいた。少女……なんだよな、歳の割りに表情も口調も大人びているし煙管が似合い過ぎているから俺とそう代わらないように見えるけど、こうして安らかに寝ている顔を見るとまだコイツが年端いかない女の子だと気付かされる。
普段だって俺の前で平気で眠れる奴だけどその時に見るのは紙に禁種の蟲を写し終えて疲れている顔だ。こんな穏やかな寝姿じゃない。
そんな珍しい淡幽をずっと見ていたい気もするが、風の強い場所でいつまでも寝ていては体を冷やす。他人の前じゃ気丈に振舞っているコイツだが本当は病弱なんだ。こんな時、淡幽の体を弱らせている原因である蟲を恨めしく思う。
コイツ自身は、自らの体を蝕む蟲をまるで我が子のように愛でているが、俺はとてもそんな風に思えなかった。生命すべてを殺すモノがコイツの中にあることに酷く苛立つ。どうして蟲を封じるのが淡幽じゃなきゃいけなかったんだろう、偶然だと言われても納得なんで出来ない。
ただそこに漂っているモノを無碍に殺すことは厭われるが、人に害を成すものなら殺すことが出来る。淡幽は勘違いしている、俺だって人の為に蟲を利用する蟲師であり、どうしようもなく人間だ。
狩房書蔵の書物を読みながら今は亡き蟲達に想い馳せることはあれど、それによって淡幽に残された禁種の蟲を移すことが出来るのだと思えば憐憫が必要に変わる。
これだけ傍にいれば蟲を愛おしく思う気持ちが芽生えることもあるけれど自分は人間で蟲とは違う生き物で。理解し合うことなど出来ないのだと割り切って生きていかなければ蟲師なんてやってられない。
その点、淡幽は危うかった。自分を大切にしてくれないのだ。育った環境がそうさせるのか、きっとどのような扱いをされても生きてさえいればいいと思っているんだろう。死の恐怖を知っている癖に、生きる恐怖を知らない。無理やり解らせるものじゃないと思っていても時に遣る瀬無い。

蟲を封じる役目が淡幽のものじゃなくなればいいのに、アイツは不平不満を口に出しているようで、心では全てを受け入れ許しているから、もっと見苦しく己の幸せを訴えられるような人間がそれであれば……あの家だって変わるかもしれない。

淡幽が俺を見て流れ者のように自然に身を任せているだけに思えるかもしれないけど、その実、色々考えているんだよ。自分の体や運命の事。お前の境遇の理不尽さ。

漸く落ち着いたかと安心しても何時までも消えない身の程知らずな願いがあるんだよ。普通の人間の普通の暮らしが羨ましいっていう。巨大な古木のように地にしっかりと根を下ろして、毎日同じ人々と挨拶を交わせるような生活への憧れがずっとずっとあるんだよ。

それが出来ないならせめて誰かと共に歩きたい、けどこんな旅に付き合いたいなんて奴はいないだろう……もし、いても連れていくことは許されないんだと解っている。


自分と同じように蟲を引き寄せる体質の男と出逢った。

かつて男の傍にいたいからと山の主を殺した女がいたことを知った。

それを食べた男の末路はあまりにも壮絶だった。


彼と彼女の記憶を垣間見て、俺は自分と誰を重ねただろう。あんな寂しい運命に誰を巻き込むつもりだろう。


隣で寝こける女を眺め。好い加減、起こさなければと腰を上げる。

コイツはきっと俺を自由だと言うだろうし、傍から見ても俺よりコイツの方が不自由に生きている。

でも、きっとコイツの見る夢の方が俺の何千倍も自由だ。


ああ、それでいい。


――あんな寂しい運命に縛られるお前を見たくない。淡幽