日向ヒアシと言えば木ノ葉の百眼として他国にも名が知れ渡る日向一族の当主だ。
その血を誇りとしその誇りに見合った努力もしている厳格な家督者でもある。
そんなヒアシは今日も夕食後、ひとり鍛錬をしていた。

――ぐぅきゅるるるるぅ
彼の出した掌波が広い道場の中に拡散した直後、盛大に腹の虫が鳴り響いた。

「……」

ヒアシは眉を顰める。
そういえば今日の食卓はいつもより会話が弾み食べる量が少なかったように思える、今日は嫁に出ていた長女が結婚相手を連れて数か月振りに帰ってきていたのだ。
楽しい記憶を思い出した彼は軽く息を吐き、今日の鍛錬はここまでと決めた。
意識すると腹がさらに減るが、この時間に何か作らせるのも気が引けたヒアシは汗を拭うと厚手の羽織を一枚被る。
たまには外で夜食もいいだろう。
このところは平和で夜に出歩いて護衛も必要ない、もう眠ってしまったろう娘達や婿を気遣い静かに門を潜った。
前から一度行ってみたかった店がある。
それはラーメン一楽だ。

「へいらっしゃい!!……お客さん初めてだね」

恰幅のいい店主がヒアシの顔を見て一瞬驚いたがすぐに愛想のいい笑顔を向けてくる。
ヒアシは軽く会釈すると座る席を探した(と言ってもカウンターと店前の簡易テーブルしかないが)
すると今の季節を表すような桜色の髪をした男が隅でひとりちびちびと酒を飲んでいるのが見えた。
横顔しか見えないが随分と機嫌がよさそうだった。

「隣よろしいですか?」

声を掛けると男は「どうぞどうぞ」と横の椅子を引いてくれた。
遠慮なくそこに座ったヒアシの顔をマジマジ見詰めこう訊ねてきた。

「貴方……ひょっとして日向ヒアシ様でしょうか?」
「ええ、そうですよ」
「ああ!やっぱりそうなんですね、どうも初めまして私はッ」
「初めましてではないでしょう、春野キザシ殿」

苦笑を漏らしつつヒアシがそう言うと、キザシは口を数秒大きく開けて、酒で赤くなった顔を更に赤くさせ叫ぶように言った。

「ヒアシに名前を覚えて頂けてたなんて光栄です!!」
「というか以前同じ任務についたことがあるでしょう」

落ち着いてくださいと、言ってから、テウチに塩ラーメンを注文する。

「いえ、あの時は大部隊でしたし、殆どミナトさんやフガクさんが活躍されていたので私のような下っ端のことを憶えていてくれたのが嬉しくて」
「活躍とは……貴方たち後援がしっかり役目を果たしてくれていたからミナトたち前線で存分に奮えたのでしょう」

その言葉にキザシは感激し瞳を輝かせる、酔っているとはいえ子どものような人だなとヒアシは内心呆れる。
本当は弟と名前が似ていたから印象に残っていたということは伏せておいた方がいいかもしれない。

「確かにミナトやフガクは他とは一線をきしていましたが、あまり自分を卑下し過ぎてはあの二人も良い気はしないと思いますよ」

そう言うヒアシにキザシは「そうですね」と素直に同意を示す、そして今は亡き二人の後輩と彼とのことを思い出す。
実力主義なヒアシは、その頃まだ無名だったミナトやフガクに目を掛け信頼を寄せていたし二人からも慕われていたように見えた。
まぁその実力主義の所為で娘に対し厳酷だったのだけど結果的に姉妹とも強く育ったので彼の教育も間違いではなかった……と、酔ったキザシはいつの間にか父親目線の考えに至っていた。

「そういえば、娘さんご結婚おめでとうございます……ってもう遅いですか」
「……いえ、ありがとうございます」

娘のことを言えば途端に雰囲気が柔らかくなる、今が任務外とはいえ昔垣間見た部隊長の彼とは随分違う様子に幸せになったのだと感じた。

「サクラは……ああ、すみませんサクラさんはうちの娘と仲良くして下さっているようで、感謝します」
「うちの娘でしたらどうぞ呼び捨てにしてやってください、私にも敬語で話して下さらなくて結構です」
「そうですか?……では、そうさせていただこう」
「はい、そちらの方が私もやりやすいです。えっと、こちらの方こそヒナタさんが仲良くして下さって有り難い……というかあの子が日向の御嬢さんに失礼なことしていないか心配です」
「……ハッハッハ!」

冷や汗交じりにそんなことを言うキザシが可笑しくてつい声を出して笑ってしまった。
キザシが驚いて目をぱちくりさせている時、丁度ラーメンが出来上がりヒアシの目の前に置かれた。

「おいしそうだ……いただきます」

カウンターに置かれた箸置きから割り箸を取り、手を合わせて丁寧にお辞儀をする。
こんな父親の娘だからヒナタからは育ちの良さを感じるのだと改めて思うキザシだった。

「サクラはナルトやサスケとも親しかったな」
「ええ忍者学校時代からの同級生で……あの頃から家に帰ると妻にサスケくんの話ばかりしていましたね」
「そうか」
「ええ私にはしてくれなかってんですが妻には今日のサスケくんがかっこよかっただとか……あ、時々ナルトくんが悪戯して先生に怒られたなんて話もしていましたよ」

ナルトの義父であるヒアシの為に彼の名前を出したが、それならもっと良い話をしてやってほしい。
それを聞いたヒアシは一瞬固まって、少し神妙な面持ちでキザシにこう訊ねた。

「学校時代のナルトの話を家でしていたのか……」
「ええ、とてもやんちゃだと聞いていました」

ニコニコと可笑しそうに笑うキザシに、ヒアシの瞳は大きく見開かれる。
九尾の子、人柱力として忌み嫌われ腫物扱いされていたナルト。
あの頃のナルトの話題を普通に出せていたなら……――この人の家族は良い親子で、良い家庭だ。

「そうか……」

キザシが見たヒアシの表情はとても穏やかで、優しく“ナルトのお父さん”の顔だった。

「ありがとうございます」
「へ?なにか礼を言われるようなことしましたっけ?」
「……貴方のような人の娘が、ナルトやサスケと同じ班で本当に良かった」

と言いながら目頭を抑え、ヒアシは幼き日のミナトとフガクの忘れ形見と、それに付き添う桜色の娘の姿を思い浮かべる、深々とあたたかいものが胸に広がっていくようだ。
しかし同時に実の娘達の幼い後ろ姿が浮かび、心が急速に冷えていった。

「貴方は素晴らしい父親だ」

そしてヒアシは己の不甲斐なさを懺悔するように吐き出す。

「私は家で娘に好きな子の話を……いや、友達の話すらさせてやれなかった」

親に色々と報告したがる年頃の娘に、なんと言葉を掛けただろうか、どれだけのことを強いてきただろうか、あの子がどれほどの言葉を噛み殺してきたのか、想像しただけで悲しくなる。
それも日向に生まれた宿命だと言ってしまえれば楽だけれど、もしヒナタが普通の家の子に産まれていたらと考えたことは何度もある、あの強く優しい子が我が娘であることに誇りをもっていたって考えてしまうのだ。

「ヒアシ様、私から見れば貴方の方がよっぽど素晴らしい父親に思えます」
「……何」
「だって貴方はヒナタさんをあんなに良い子に育ててきたじゃないですか、あまり己を卑下しては彼女を選んだナルトくんに失礼ですよ」

キザシは先程のお返しとばかりに言って笑った。

「いや、ヒナタがああ育ったのはナルトのお蔭だ、あの子は小さい頃からナルトを見て自分もあんな風に強くなりたいと頑張っていたし、忍者学校に入ってから修業に身が入るようになったのがよい証拠だ」
「ほら、貴方はよく娘さんのことを見てきたじゃないですか」
「……」
「そもそもヒナタさんが強くなりたいと思ったのは、強くなれば貴方に認めてもらえると思ったからじゃないですか?」

きっかけはイジメっ子から助けてくれたことかもしれないが、きっとそれだけではない。
他人に認められたいナルトに、父に認められたい自分の姿を重ね、何度壁にぶつかっても立ち向かっていく彼の強さに気付き自分もそうなりたいと願った。
その憧れが尊敬に変わり、尊敬が恋に変わるまで時間はかからなかった……なんて、キザシが知る由もないのだけれど、ヒアシを見ていたらそう思う。

「それにナルトくんに影響を受けなかったハナビちゃんも良い子だと聞きます。だからやはり貴方の教育の賜物だと思いますが」

日向が堂々と木ノ葉にて最強だと言えるのは、戦乱の世にあって彼らがいつも厳しく己を律し他の為に自らを犠牲にしてきたからだ。
彼らの言葉にも生き方にも嘘はない、長い年月それを示し続けてきたから里から信頼されている、そして誰もが日向一族のようには生きられるわけではないと尊敬される。

「……自信をもってください、そうしないと貴方を慕う多くの人に失礼ですよ」
「キザシさん」
「なんて、貴方の苦悩を知らない私が言うのも失礼ですね、すみません酔っ払いの戯言だと思って許してください」
「いや、ありがとう」

礼を言うと元々の上機嫌が更に上昇したのか、目尻を垂らしてキザシが笑う。

「早く食べないとラーメンが伸びてしまいますよ」
「そうだな」

それから暫くヒアシは麺をすすり、キザシはまたちびちびと酒を飲み進めた。

「美味しかった……ごちそうさま」
「ふふ、ここのラーメンは絶品でしょ」
「ああナルトが言っていた通りだな……そうだ、貴方はよく此処にくるのか?」
「え?ええ、あまり頻繁に来ると妻に怒られますがね、今日は特別いいことがあったので」
「いいこととは?」

だから機嫌が良かったのかと納得しつつ、なにがあったのか気になり訊ねた。

「娘がね、初めて彼氏を連れてきたんですよ」
「……サスケか?」
「ええそうですよ、彼しかいないでしょう」
「そうか、やっと決心がついたんだな……よかった」

根なし草のようだった彼に、彼女の愛を受け入れる覚悟と里に居場所を作る決意が出来たということだ。
それはめでたい。
サクラが彼を連れてきたことに対しキザシが心底嬉しそうなのもめでたい。

「そういえばヒアシ様はサスケくんのこともよく気にかけているんですね」
「ん?……ああ、うちはの源流は日向にあると言われているからな、親戚の子をみるような感覚かもしれん」

ああそうだ自分は、うちは一族の苦悩にも気付いていたのに、なにも出来なかった。
幼いサスケが立つだけで後は誰もいない彼らの自治区、あの光景を見た時に感じたのは九尾事件の後の焦燥感に似ていた。
孤児になった彼を引き取ってやれればよかったのだが己の立場上許される筈もなく、なにより同時期に引き取ったネジに申し訳なかった。
それから数年後、彼が大蛇丸について里を抜けたと知った時の後悔は思い出したくもない。

――また、守れなかった

ミナトの子も、ヒザシの子も、フガクの子も……自分の子さえ――

いや、もうそんな風に過去を振り返るのはよそう、大切なのはこれからだ。
ヒアシはキザシにゆっくりと語り掛ける。

「今のサスケはとても良い子だぞ……いや、あの子はきっとずっと良い子だった」

心が闇に堕ちていた時もあったけれど、あれは彼が思い悩み、己や世界について深く考える為に必要な期間だったのだ。
その期間に犯した罪を償う為に、彼は今自分にできることを精いっぱいしている。

「なんかズルいですね」

するとキザシはどこか拗ねたような(いい歳したオヤジな癖に妙に似合う)顔をしてこう答えた。

「ズルい?とは」
「だってキザシ様の方がサスケくんを理解しているみたいだし」
「……は?」
「サスケくんはウチの子なのに!」

なに言ってんだこの酔っ払い……
と、呆れながらもヒアシは穏やかな気持ちになっていった。

「さっきも言ったろう、サスケは親戚の子のようだと、自分の子とはまた違う」

いくら気に掛けていたといっても、ヒナタやハナビのように父として接しようなんて思わなかったし、それをするならまずはネジにだろう。

「そうですか?」
「そうだ」

まだ腑に落ちないような顔をするキザシにヒアシは珍しく饒舌に自分の心を吐露していく。

「なあキザシさん、確かにナルトもサスケも強くなった……それも忍界最強といってもいいくらい」
「え?ええ、はい」
「けれど、あの子たちの両親にとってはずっと子どものままなのだろうと思う」
「……はい」

キザシは噛みしめるように答えた。
今や親よりも強く立派になったサクラに対して自分がずっと心配しているのと同じように、きっと何処かで見守っている彼らの両親も同じような気持ちでいるに違いない。

「あの子たちが辛い時に傍で助けられないこと、さぞや無念だったと思う」
「……」

ナルトやサスケが過去を乗り越え、もう大抵のことは自分ひとりで出来るようになっていたとしても、彼らの両親はずっと傍で守りたかったと思っている筈。

「親から子に代々受け継がれていくものがあるのだとして、あの子たちもいつかそれを自らの子に譲り渡すのだとして」
「はい」
「その時までに、私も同じものをあの子に渡すことが出来たとしたら……」

実の両親のものには到底敵わないとしても、本物の家族になるのだ。
ヒナタに愛を教え、ヒナタを愛し、ヒナタを選んでくれた大切な我が誇り、ナルトが道に迷った時に導ける存在になりたい。

「その役目をミナトやクシナに托されたのだとしたら……それは、どんなに幸せな運命なのだろう」

水晶のように澄み切った、雪の晴れ間のように温かい眼差しを湛え微笑むヒアシ。
それを見たキザシも彼の名前に相応しい笑顔を見せる。

「はい……そうですね、私もこれから何があってもサクラやサスケくんを守り抜きたいです」

彼の父や母が彼に与えたいと思って与えられなかったものを、少しでも多く自分が与えられたらいい。
なにも見返りはいらない、それを孫へ子孫へと渡し続けていってくれれば、それだけで親は幸福だと思えるのだから。

――その時、コトリと二人の前に酒の入ったコップが置かれる。

「え?」

上を向くと、二人と同じコップを持ったテウチが二カッと人の好い笑顔を浮かべていた。

「それはオレの奢りだよ、オヤジさん達」
「ええ?」
「しかし……」
「今日はもうこれ以上客はこねえだろうし、今夜はゆっくり飲み明かそうぜ」
「……」

この人はいったい何を言っているんだろう?
ヒアシ、キザシの脳裏にいくつか疑問符が上がったが、まあそう言われて悪い気もしない。

「そこのアンタも一緒にどうだい?」

と、テウチが反対側のカウンターに声を掛けるので其方を見ると、六代目火影が一人で飲んでいた。
彼ははぁと大きな溜息を吐いて、目だけでテウチに苦笑して見せる。

「あはは、一応お忍びで来てるんですけどねオレ」

変装はしているがこんな所でどうどうとイチャパラを読んでいる時点でバレバレである。
自分達の方へ寄ってくるカカシにヒアシとキザシは立ち上がり軽く頭を下げた。

「お久しぶりでございます火影様、いつもナルトとヒナタが大変お世話になっております」
「うううう、うちも!サスケくんとサクラがいつも大変ご迷惑をっ!!」
「やめてください、その術はオレに効きます」
「え?」

頭を抱え盛大に照れながらヒアシの隣に腰かけたカカシは「こんばんは」と力なく二人に挨拶をした。

「あのーーオレを呼ぶならついでに外のテーブルにいる人も一緒にいいですかねぇ」
「カカシさん!!」

そう言ってカカシが指さした方を見ると、これまた独りでラーメンを食べにきていたイルカが立ち上がってカカシを責めるように叫んだ。
寒いのか知らないが鼻や目元が真っ赤になっているのを見てキザシは心配して早く此方にくるよう声を掛ける。

「ああもう、余韻に浸りながらこのまま黙って立ち去ろうと思ってたのに」
「ま、道連れですよ」

ぐじぐじ鼻を鳴らしながらカカシの隣に座るイルカに、キザシはやはり疑問符を浮かべたままテーブルにあったティッシュを箱ごと渡す。

「すみませんキザシさん」
「……貴方は忍者学校の先生だった」
「うみのイルカです」
「ああ!サクラは貴方の話もよくしていました!ナルトくんと学校中を追いかけっこしてたって」
「プッ……なんですかその話」
「私も詳しく知りたいな」

三人のオッサンから注目されたイルカは、困った顔をしながら「そんなこと沢山有りすぎてどれを話していいのか解りませんよ」と笑う。
このままヒアシ、キザシ、カカシ、イルカ、テウチの飲み会は始まってしまうのだろう、と、アヤメは『貸し切り中』の看板を表に出しに行った。
彼女も困ったように眉を下げているが、その表情はどこか晴れやかだった。




――同時刻、ラーメン一楽の屋根の上――

(そろそろ帰るか?サスケ)
(……そうだな)

薄暗い空の下で二つの影はアイコンタクトで会話する。
それぞれ最愛の人から「お父さんが帰って来ないの」「父様どこに行かれたのかしら」と心配そうに言われ探しに出た二人の婿殿だ。
義父(になる予定)の人を発見し自分が話し掛ける前にヒアシがキザシに話し掛けてしまい、彼らがどんな会話をするか興味本位で聞き耳を立てたらコレだった。

この様子では朝まで飲み明かしそうだから娘達には六代目火影に付き合わされているとでも言っておいてやろか……しかし。

(なぁ、でもオレもちょっと飲んで帰りたくなっちまったー)
(奇遇だなオレもだ)
(……よし!どっかの店入るか)

ナルトが立ち上がるとサスケも続けて立ち上がる。
ヒナタやサクラには叱られるだろうが、こんな顔のまま帰ればきっと何があったのか聞いてくるからなと言い訳する。
そして照れくさそうに笑いあった二人は屋根の上を音もなく飛び跳ねながら行きつけの居酒屋へと向かうのだった。


この後、ナルトがヒナタの、サスケがサクラの惚気話してるところにご本人登場したりするのだが、それはまた別のお話。




END