Sink Droplets

松野家の六つ子は生まれた時からもうソックリで、本人以外で自分を自分だと認識している者は殆どいない。

きっと六つ子がバラバラに入れ替わっても六つ子以外は気付かないだろうとクスクス笑い話にしていたこともある。

それでもある程度歳を取れば好みや性格などに差が出て、中学校に上がる頃には両親や幼馴染みなども六人の見分けがつくようになっていた。


先に体が成長し始めたのは幼い頃から身体能力が高く活動的だった、おそ松、カラ松、チョロ松の三人だ。

下三人はきっと母さんのお腹の中にいた頃に栄養を横取りされてたんだ!なんて嘆いていたが、自分も成長期を迎えるとさらりと忘れて喜んだ。


ただトド松だけは自分とカラ松の間に成長に差があった事を、その時期に感じた気持ちを、忘れることは一生出来ない。


幼い頃六つ子は六人でひとつの世界を築きながら、おそ松とチョロ松、一松と十四松、カラ松とトド松、で三つの小さな世界を作っていたと思う。

そして一緒に世界を作った相手と成長期がずれてしまったのはカラ松とトド松だけだ。

先をゆくカラ松は気にしていなかったようだが、トド松は日に日に開いてゆく兄との差に戸惑い、兄を初めて遠くに感じ、兄は世界にひとつしかない個の存在だという意識を強くしていった。

今であれば当たり前の事が当たり前ではなかった。

トド松が己の中で燻っていた小さな熱の正体に気付いたのもその頃だった。


「トド松、喉飴買ってきたぞ」


カラ松の声を拾い、漫画に集中していた視線を彼の方に移した。

一足早く声変わりを迎えた兄の声は子供の頃よりも少し低くなっていた。

これから第二第三の変声期を迎える度により低く重くなっていくんだろう。

松野家六つ子の声変わりは年功序列(ほぼ同時に生まれたにもかかわらず)にやってきて、おそ松が終えればカラ松、カラ松が終わればチョロ松と入れ違いで誰か一人が変声期中という状況が数週間続いていた。

そして昨夜十四松が無事声変わりを果たしたと思えば今朝からトド松の喉が痛くなる、セオリー通りトド松も変声期を向かえたと言うことだ。

トド松は単純に嬉しかった。

悪童として名を馳せている松野家兄弟だったが、みんな声だけなら良いと学校の女子の間で評判になっていることは知っている、兄達が良い声ならきっと自分もそうだと楽しみにしているのだ。


「ありがと……」


ガラガラの声で礼を言うとカラ松は無理に喋らなくて良いと言ってくれた。


「その飴、全部あげる」


そう言って開封したばかりの飴の袋を差し出され、きっと自分の為に買ってきてくれたのだとトド松の胸いっぱいに嬉しさが広がってゆく。


「ありがと」


もう一度礼を言って、だから喋るなよと苦笑いで小突かれた。

それから数日間、極力話し掛けられないようにマスクをして過ごし(一松と間違えられたりしたけれど)喉が痛くなればカラ松にもらった飴を舐め変声期が明けるのを今か今かと待ち望んでいた。


ただ、その未熟な胸の中には複雑な想いもあったのだ。

だんだんと自分の体が男になってゆくのに不安を感じるトド松。

それはきっと短い間でもカラ松と成長の差があったからだと、のちに大人になった彼は認識していた。

自分よりも高い身長、広い肩幅、厚い胸板、角ばってきた足、大きな手、一度だけおぶられて帰った黄昏の道で全てを思い知った。

この人は自分とは違う人間で、カラ松という名を持つ世界にたった一人しかいない……大切な人。


――僕はこの人を好きになっちゃったんだ……


ううん、きっとずっと大好きだったんだ。

自覚したのがつい最近というだけで――


「調子はどうだ?トド松」


そんなこと知りもしないカラ松は兄の顔をしてこんな自分を気遣ってくれている。

それを裏切ることなど出来ないとトド松は己の心に蓋をする。


「なぁトド松」


大切な弟を呼ぶ、この声を失いたくはない。


(どうしたカラ松)


トド松は首を傾げながら、兄の口から出てくる言葉達をひとつ残らず掬い上げた。


カラ松の声はまるで水時計みたいだ。

耳の中から入って体の底に落ちてゆく青い液滴、ころころ転がってお腹の下がパンパンになってくる。

実際はそんなことないのだけど、気持ちはそうだった。

水時計なら引っくり返してしまえるのに……丸くてキラキラしたものが好きだったトド松は水時計の中で落ちる青に夢中になった事を思い出す。

透明な水の中にぽとぽと落ちる綺麗な青い水、見とれながらどうして水にとけてしまわないのか不思議だった。

その時訊いた誰かに、透明な水と青い水は違うもので出来ているから混ざり合わないのだと教えられた。


カラ松もそう、どんどん体の中に入り込んでくるのにけして自分とひとつにはならない。

なれない。


「おかしいだろ?トド松」

(うん……そうだね、おかしいね)


カラ松がする笑い話に頷きながら、トド松は心にした蓋に厳重な鍵をかけた。




数日後。


「あ、あー、あー」

「だいぶ声出るようになったね」

「うん、ゴホッ……あーー」

「あ、今の声キレイだったよ?もう声変わりしたんじゃない?」


夕食も入浴も済んで後は眠くなるまでのんびり過ごすだけの時間。

喉の傷みもなくなり床に座って声出しの練習をしていたトド松に十四松が話し掛けてきた。

彼の言うとおり、もう変声期は終わってしまったのかもしれない。


「なんだ?トド松声変わりしたのか」

「おーやっとか」

「おめでとう」

「これで兄弟全員声変わり済みだな」


なんて気の早いことを言いながら、バラバラに過ごしていた他の兄達が集まってくる。

皆に見詰められ何だか気恥ずかしい気分になっていると、隣に座っていた十四松から

期待したように袖を引っ張られた。


「なぁなぁトド松、なんか言ってみてよ」


本当に声変わりしたのかな?なんて思いつつトド松は二回小さく咳をした。

何度か指で喉に触れながら、ゆっくりと肺から息を吸う。


そして……



「『カラ松』」



唯一の人の名を呼び


しあわせそうに微笑んだのだ。




――え?


それから数秒間、部屋の中から音が消えた。

沈黙を破ったのは原因となったトド松だ。


「んー、自分じゃよく解らないや、どうなってる?」

「……そうだね、今までよりもちょっと低くなってるよ」

「ホント?やった!」


今のはなんだったんだ……と、兄達の心がざわつくのにこの頃のトド松は気付けなかった。

まだ未熟な彼が心に被せた筈の蓋もかけた鍵もそう完璧なものではない、ほんの少しのきっかけで中身を漏らしてしまう脆いものだ。


「明日学校行くの楽しみだなー」


女子からなんて言われるかなぁ?と楽しそうにチョロ松に話し掛けているトド松を、カラ松は黙ってただ見詰めていた。




69 69 69 69 69 69




それから十年以上の時は流れ、とっくに成長期を終えた六つ子は、筋肉と贅肉の量に若干の違いはあれど、遠目からは殆ど変わらぬ体系に落ち着いていた。

ただ近くに寄ればやはり少しの差を感じる、そう……近くによれば。


「喉を痛めたのか?」

「んー?」


此処は松野家の居間。

テーブルに座りのど飴を舐めるトド松を見付けたカラ松は、彼を後ろから抱きかかえるように座った。

するとトド松は咎めもせず、カラ松の胸にぽすりと背中を預けた。

カラ松の体はトド松よりもほんの少しだが大きいと、ここまで近付いて漸く解る。


「乾燥する季節だからね、風邪とかじゃないから安心して」

「そうか気をつけろよ……」

「うん、兄さんもいる?」


そう言ってトド松は新しい飴を袋から取りだし指で摘まんでカラ松の唇に押し当てた。

返事を待たずにされたことだが特段怒るようなことでもない、カラ松はぱくりとそれを口へ含むと舌の上で転がした。


「この飴」

「……ん?」

「中学時代お前に贈ったものと同じだな」

「へ?……あーそうだね、ロングセラーだよね」


すぐに思い出した風だが本当は忘れていないのだろう、自分があげたものを気に入ってもらえたようでカラ松は嬉しさを覚えた。


「そういえばお前おぼえているか」

「んーなに?」

「声変わりを終えて、自分が一番初めに何を言ったか」

「え……」


兄からもらった飴のことは憶えていても自分のことは記憶に薄いのだろう。

トド松は暫し巡考した後、漸く思い出した。



「うっわぁぁあ」


思わず頭を抱えてしまう。

恥ずかしい、痛い。

過去の自分の迂闊さに項垂れながら、トド松は頭から湯気が立ちそうな程の羞恥心を覚えていた。

逃げ出そうにも体はカラ松の足でガッチリボールドされている。


「忘れて、あんなこと」

「何故だ?嬉しかったのに」

「嬉しかったって……」

「可愛い弟が一番初めに俺の名前を呼んでくれたんだ、嬉しくないわけがない」

「……」


可愛い弟……ね。

トド松がどこか寂しそうな笑みを浮かべ前を見ていると、その顔が見えない筈なのにカラ松が抱き締めてきた。


「もちろん今は恋人として嬉しいけどな」

「……ほんと、イッタイよねぇ!カラ松兄さん」


などと言いつつカラ松の腕にぎゅっと捕まった。


いつからだろう?

鈍感なこの人が自分の欲しい言葉をくれるようになったのは……きっと本人に自覚はないけれど、きっと。


(僕の気持ちに追い付いてきてるってことだよね)


トド松はにへらぁっと頬を緩める。


「なぁトド松?もう一度呼んでくれないか?」

「えー?なにを?」


カラ松が言いたいことは解っていたがわざとはぐらかせる、だって自分も呼びたいと思ったから。


「解ってるだろ?」

「そうだねぇ……これから兄さんが僕の行きたいとこ全部付き合ってくれたら呼んであげても良いよ、もちろん全部兄さんの奢りで」

「フッ……御安いご用だ」


格好つけながらも内心必死でサイフの中身を思い出しているだろう兄を見上げ、トド松は可笑しげに笑った。

心配しなくてもコンビニまでこの飴を買いに行くだけだ。

今ある分はカラ松にあげて、カラ松から新しくまた買ってもらう、それだけでいい。

そうしたら……



――そうしたら呼ばせてください

世界で一番大切で大好きな君の名前を――





『カラ松!』


『ねぇカラ松どう?僕の新しい声、ちゃんと格好よくなってる?』


『ほんと?やっぱりね、ふふ……まぁ欲を言うなら僕もカラ松みたいなもっと男らしい声になりたかったんだけど』


『カラ松が『イイ』って言うなら好きになるよ』


『カラ松の声もだけど、これは世界でひとつ僕だけが持ってる特別な声なんだからね!』


『ね?わかった?カラ松!!』






END



最後ちょっと甘くしてみました

成長期に差があったとかは捏造です

カラ松はあの頃のトド松を後々思い出して「あんなに解りやすかったのに何故気付かなかったんだろう、勿体ないことしたな」と思ってたらいいです

まぁ今の塩対応のトド松のことも好きなんでしょうけどね(笑)