海星のダンス4

短く長い夢を見ていたと思う。

夢の中でトド松は海底に張り付くヒトデだった。

海面近く波に身を委ね、のんびりとたゆたうクラゲに憧れる。

みんなを、あの人を……あんな風に、陽の当たる場所に連れていけたら――




「ん……?」


ピピピというアラーム音に起こされカラ松が目覚めた時、アラームを設定したろうトド松は夢の中にいた。

昨夜遅く長男と三男に抱えられて帰ってきた弟は朝まで熟睡し、いつもなら朝シャワーを浴びる為に起きている筈だ。

石鹸の香りがするのでシャワーを浴びた後にまた眠りに入ったのかもしれない。


(約束の時間まで一時間……)


準備に三十分、移動に三十分と考えればもう起きなければいけないけれど、穏やかな寝息を立てている姿にそれをするのを憚られた。

いつも早く来過ぎるくらいだから今日くらい遅刻させてもいいかと、カラ松はアラームを切りそっと布団を抜け出す。

今まで自分の為に自分がカッコイイと思う服装を選んでいたけれど、今は隣を歩くトド松の趣味に少しだけ寄せた服を選ぶようになった。

サングラスは前回のデートでトド松と二人で選んだものを掛けていく、なかなか似合うじゃないか流石は俺と俺の弟……カラ松がショーウィンドウに映った己を自画自賛したのは三時間以上前のこと。

今その目に映るのはゼェゼェと息を吐く真っ赤な顔をした自称カラ松の恋の練習台。

公園の噴水に腰掛けた彼が声をかける前に弟は「あの!」と叫ぶように言った。


「ご、ごめんカラ松兄さん……寝過ごしちゃって……アラームもいつの間にか切っちゃってたみたいで」


息を整える間もなく謝罪と言い訳をしてくるトド松にカラ松は「気にするな、待っている時間も楽しかったぜ」と笑ってみせた。

少しも怒った様子もないカラ松を見て安堵と共に申し訳なさを感じさせる表情をするトド松、そこまで気にすることだろうか、確かに三時間は長いけれど年中無休でニートをしているのだから時間を惜しむ感覚は薄い。

カラ松が記憶する限りトド松からわざとではなく待たされたことなど一度もない、今は待ち合わせすることもあるが昔はスタートラインから一緒にいて窮地に陥る時も大概一緒にいたから一人でこの弟を待つことなんて殆ど無かった。

あの頃からトド松はカラ松に何処にでも付いてきていた。

主に長男三男コンビが原因で危険な目に遭っていた次男六男コンビ、四男と五男はまだ少し大人しく賢かったから自分達ほど被害は無かったように思う。

そんな中でカラ松はこの弟がなるべく傷付かないように思考を回していた事を思い出す、プライドの高い弟を怒らせないよう然り気無く安全な道を選ばせてきた。

馬鹿だった自分が参謀の才能を開花させたのは一重にトド松の存在があってこそだとカラ松は思っている。

学生時代はおそ松と共にズル賢い企みをしている横でトド松は瞳をキラキラと輝かせながら「凄い!兄さん達どうしてそんな素敵な手を思い付くのー!」と本気で言っていたのを憶えている(チョロ松からは反対され一松からは軽蔑していた……十四松はただ笑って三人を見守っていたように思う)

上二人の兄は兄弟だけはけして傷付けないという信頼があったからトド松はよく懐いていたのだろう、実際おそ松やカラ松はトド松を陥れようなどと考えたことはない、今回トド松が遅刻してきたのは長男が呑ませ過ぎたことと次男が起こさずに彼のアラームを勝手に切った所為だが、わざとではない。

けれど、これはよい機会だ。


「そうだ、今日は俺の行きたい場所に付き合ってもらっていいか?」

「え?」

「それで遅刻はチャラだ」


なおも申し訳なさげなトド松を気遣うように言えば苦々しく瞳を揺らされる、実をいうとカラ松はトド松のこういう表情が好きだ。

いつものあざとい演技ではない、彼の本意が垣間見れる瞬間が嬉しい、皆の前では見せない素を自分だけに見せてくるところも好ましく、実をいうと美人局に引っ掛かった話をしてから恋人の練習台になっている今までの期間、そんなトド松を多く見られるようになったことは嬉しかった。

トド松のことを思えば解消した方がよいことは解っているのに、こうやって二人で過ごす時間を失うのは惜しいと思う。


「うん」


おずおずと手を伸ばしてきたトド松の手を取り立ち上がった。

そしてその手をそっと自分の服の脇に持っていき捕まっていろと目配せする、手を握ることに抵抗があってもこれくらいなら許されるだろう、と笑えばトド松は一瞬顔を高潮させたあとプイと目を逸らした。

それでも手を離すことはしない。


「トド松」

「……なに?」

「お前が言ったとおりこの服は体がぽかぽかするな」


いつも通りの格好をしていれば凍え死んでいたところだったぜ――おどけて言ってみせればトド松は今日始めての笑顔を見せた。


「……うんっ!そうでしょう?」

「ああ、ありがとな」


漸く笑顔が戻った弟の頭を軽く叩いてカラ松は前を向く、一方トド松は兄の服を掴んでいない方の手で自分の頭を押さえた。

前回までのデート(予行練習)なら待ち合わせに現れた瞬間からカラ松の言動への駄目出しをしている筈なのに今日はそれが出来ないというか、彼を見て査定すらしていない。

トド松が本当にカラ松の恋人であれば“うれしい”と感じるようなことばかりしてくるのだ。


「どこ行くの?」

「それは着いてのお楽しみだ」

「へぇ……」


どうせイタイ場所に連れていかれるんだと思ったトド松はドキドキとしたままの心臓を押さえながら地面に視線を降ろす、このまま前を見ずにカラ松に着いて行ってみよう。

二人はそのまま公園を出る、カラ松は公園前のバス停の時刻表を見ているようだった。


「丁度いいな、あと少しでバスが来る」


そう言われたので鞄の中からパスケースを取り出す、カラ松も財布からカードを取り出していた。

暫くすると市内巡回型のバスがやってくる、ショッピングエリアやテーマパークなどを回るものだからカップルや友達同士が利用することが多いのだけれど平日の今日は閑散としている。

このバスで行くならイタイ場所ではないかな……と思いながら運転席の真後ろに二人で乗り込んだ。

当たり前のように窓際の席を譲ってくれる兄に内心苦笑いして、トド松は今日は兄のする事に文句は言うまいと決めた。

三時間待たされた上に小言三昧なんていくらカラ松でも厭になってしまうだろう、トド松は弟としてこれ以上彼に嫌われたくないのだ。


「カラ松兄さん、あの、今日は本当にごめんね……」

「だから気にするなって」

「お詫びになんか奢るから」

「そうか?なら着いたら軽く食事を取ろうか」


いつもならカラ松の奢りか割り勘のところをトド松に奢らせるのはきっとまだ気を揉んでいるトド松の為だ。

あっさりと奢りを許されたトド松は少し驚きながら「ありがとう」と礼を言う、そして一番前の席だからとそっとカラ松の手の上に己の手を重ねて「へへ」と照れたように微笑んだ。

カラ松はというと普段がドライモンスターなだけにこういう殊勝な態度を見せられるとギャップでどうにかなってしまいそうだった。


(こんなトッティが見れるなら毎回待たされてもいい)

(兄さん機嫌悪そうだな……やっぱり怒ってるのかなぁ……二度寝なんかするんじゃなかった……)


と、顔がデレデレしないよう真顔でバスのミラーを睨んでいる兄に弟は怯えていた。

そうこうしている内に次の停留所に着きトド松はカラ松の手の上からパッと手を離す。

乗車してきた親子連れの小さな子どもが二人を見て「おにいちゃんたちおなじかおだねーー」と話しかけてきた。


「すみません!」


すると母親の方が即座に謝ってきた。


「いえ気にしないでください」

「そうだよ、兄弟なんだー」


単純に子どもがかわいかったのと“おじちゃん”ではなく“おにいちゃん”と言われたのが嬉しくて二人とも笑顔で親子に接した。


「おにいちゃんたち何処行くの?ボクね!プラネタリウム水族館!」

「もう!通路の真ん中で止まったら迷惑でしょ……どうもすみません……ほら早く席つくよ、バスが出れないでしょ?」


そう言って二人の後ろの席に座った親子を振り返り、カラ松は「そうか奇遇だな、俺達も其処にいくんだ」と応えた。


「え?そうだったの?」


同じように後ろを振り返っていたトド松がカラ松の方を見ると「ああ、お前行きたがってたろ?」と言われる。

プラネタリウム水族館はその名のとおりプラネタリウムと水族館の複合施設で、プラネタリウムの天蓋以外の壁が全て水槽になっていて中で自由に魚たちが泳ぎまわっている。

オープン当初に行ったという女友達の話を聞いてトド松がいつか行きたいなぁともらしていた場所だった。


「今日は兄さんの行きたい場所に行くんじゃなかったの?」

「ああお前の話を聞いてからずっと行きたいと思っていたんだ……今日は平日だから空いているだろう」

「……そうだね」

「おにいちゃんたちも一緒なの!?わーい」

「あーもうだから静かにしてなさい!椅子の上に立たないの!」


子どもが脱ぎ捨てた靴を母親が拾っている隙に子どもは椅子の上で跳び跳ねていた。


「じっとしてなきゃ危ないよ」

「そうだぞ」

「はーい」

「……すみません」

「気にしなくていいよぉお兄ちゃん達にぎやかなの慣れてるから」

「元気がいい坊やだな」

「うん!」

「……もうプラネタリウムで大きい声出したら途中で出てくからね」

「ふぇーい」


拗ねたように応える子どもに微笑むトド松を見てカラ松は、彼がリラックスしてきたことを知り、こっそりその親子に感謝した。

バスが目的地に着き、プラネタリウム水族館と書かれている看板の方へ親子と一緒に歩く。

建物の中に入り今から上映されるものではなく二時間後に上映されるチケットを購入したカラ松は子どもの目線までしゃがみ込んで頭を撫でた。


「じゃあなリトルボーイ、俺達は次の上映を観るから先に楽しんで来いよ」

「え?にいちゃんたち一緒じゃないの?」

「そうなんですか?」

「ええ、これから僕達は軽食を摂る予定なんです」

「そっかーーごはん食べてないならしかたないね」

「此処までこの子と喋ってくれてありがとうございました……ほらお兄ちゃん達にありがとうしなさい」

「うん!ありがとう!!」

「こちらこそ楽しかったよーー」

「ちゃんと行儀よくしてるんだぞ?途中で出てきたら笑うからな」


と、からかえば子どもは「ちゃんとしてる!」と怒ったように叫んだ。

トド松と母親はクスクスと笑う。

親子を見送った後、カラ松はトド松を連れて施設内のカフェへ入った。


「あまり腹いっぱいになると眠くなりそうだ」

「兄さんこのサンドイッチお肉入ってるよ」

「本当だ……それにするか」

「えっと僕は玉子サンドにしよう」

「飲み物は?」

「ラテでしょ?僕はレモンティーにしようかな」

「ああ、お前二日酔いだったもんな」

「……ってバレてたの!?あ、でも今は全然平気だからね!」


元気だよーーと笑うトド松、デートの予行練習中に見せるようなどこか無理をしている表情ではなく、いつもの弟の顔に戻ってる。


「では注文を頼むか、すみませーーん」

「はい」


良く通るカラ松の声にカウンターの中にいた店員がやってくる、トド松は注文をスマートに行うと店員はかしこまりましたと一礼して去っていった。


「……すまなかったな」

「へ?」


出された水を一口飲んだカラ松はおもむろにトド松へ謝罪をしてきた。

心当たりのない彼は首を傾げる。


「着いてからのお楽しみだと言っていたのに、あの子に教えてしまって」

「……えっと」


バスの中で目的地を子どもに聞かれあっさりと答えてしまったことを謝っているんだろうか、そんなことで怒ったりしないのに、なに言ってんだ。


「いいよ、あの子と一緒に来れて楽しかったし……兄さんも楽しかったでしょ?」

「まあな」

「だからいいじゃん」


楽しければ、それでいい。

長男のようなことを思ってトド松は微笑んだ。

今日は遅刻してきて気分は最悪だった筈なのにいつもよりずっと自然に笑えている。

その理由はもう解ってる、カラ松の言動に査定もなにもしていないからだ。


「トド松?」

「……ん、なんでもない……」


急に黙り込んだトド松にカラ松は心配げに語り掛ける。

トド松は首を振ってまた笑った。


「お待たせいたしました」


店員が二人分の食事を持ってきたので会話は一時中断される。

なかなか美味しいな、なんて言いながら二人で和やかに食事を続ける。


これが最後のデートになるんだから、ちゃんと笑っていたい。


トド松はこっそりカラ松を見て、切なげに目を細めた。

もう夢の時間は終わりにしなければいけない。


(――だってもう兄さんがイタくないから……――)


今日のカラ松はトド松を喜ばせることしかしない。

カラ松はずっと優しかったけれど、いつもの自分勝手なやさしさではなかった。


変えてしまったのだ。

カラ松を……自分の意志ではなく、トド松の理想を押し付ける形で……


(それがこんなに悲しいなんてね)


後悔しないなんて最初から思っていなかったけれど、こんなに苦しいなんて想像つかなかった。


(もう限界でしょう?僕もカラ松も)



大好きだった



今も大好き



月の名を模した



憧れのクラゲ



このデートが終わったら、もうこんな関係はおしまいにしてしまおう




カラ松を解放してあげなきゃ……








END