破裂音に流音


ぴちゃん

猫も眠る夜中にそんな音が聞こえてきた。
台所の水が出しっぱなしなのかと思うが、階下の音がこんなに耳元で響くだろうか?
浅い意識の中でぴちゃぴちゃという音をまた聞いた。
ほんの少し恐ろしく思いながら、正体を知らなければもっと恐ろしいとトド松は薄らと目を開いてゆく。
左側を向いて寝ていたから目に映るのは長男の顔だけど、普段と変わりなく、また水音のするようなものも見えなかった。
ならば反対側かと寝返りをうったトド松は息を呑む。
こちらを向いて眠る次男の頭に鈍色に光る魚がいたのである。

カラ松の耳から飛び出た魚が水面に飛び込むようにカラ松の側頭部に消えていく、ぴちゃんはその時の音だった。

眠気が一気に醒めたトド松はその光景を夢だと思いたかったが、なにせ何でもござれの世界である、こういうことが現実に起こらないとも限らない。
何がどうしてそうなっているのか知らないが、とりあえずカラ松本人には後で教えることにして、今は向い隣で寝ている一松か背後で寝ている長男に助けを求めようと思った。
しかし二人とも熟睡していて、彼らを起こそうとしたらカラ松も起きかねない、そもそも一松はこんな状況を目の当たりにしては大混乱に陥ってしまいそうだ。
十四松は思考の渦に嵌って帰ってこなくなりそうでそれも困る、チョロ松はこういう時はまずおそ松に相談するし、それなら最初からおそ松を起こした方が早い。

(どうすっかなぁ……)

布団から抜け出したトド松は、カラ松の頭上へ移動しその様子をまじまじと観察した。
いくらサイコパスなカラ松でも自分の頭の上で魚が飛び跳ねていると聞けば冷静ではいられないだろう、自分だって怖い。
トド松も落ち着いてはいるが彼が自意識が可視化されるような世界にいなければ発狂ものだったに違いない。

(これはなんなんだろう?)

そうこう考えている間も鈍色に光る魚はカラ松の髪の間を掻き分けながら泳いでいる、もしかしたら触れている感覚がないのかもしれない。
ワカサギくらいの大きさで鱗はなくヒレは尖っている、小さな口に黒目がちの愛嬌のある顔をしている魚。
確実に害のあるものだと解かったなら三男でも起こして取り除いてもらうのだが、もしカラ松の根茎に関わるような大事なものだったとしたら迂闊には扱えない。

(悪いものには見えないけど、兄さん普通に寝てるし)

規則正しい呼吸をしながら熟睡している二番目の兄の顔を見て、ホッと一息吐いた。

(あ、そうだ……)

どうしてそんな発想になったのか不明だ。
トド松は後々になってこの時のことをこう語る。
きっとホッとしたと同時に眠気が蘇り、これ以上深く考えたくないと思ってしまったのだろう。

「おいで」

カラ松の頭の前に手を差し出し、トド松はその魚に呼びかけた。
取り除くのではなく、預かればいいんだ。
もしカラ松にとって大事なものなら、後でそっと返してやればいい。
他の場所に入れておくよりも、自分の中においておくのが一番安心できる。

「ねえ、おいで……」

もう一度優しく呼びかけると、魚はカラ松の耳の穴からぴちょんと飛び出して、トド松の頭の中に飛び込んできた。

(手を翳してたのにな……)

宿主に似て思い通りにならない魚に心の中でくすりと笑みを零して、トド松は自分の頭をそっと撫でる。
どうやら中に入り込んでしまったらしく、先程までのように飛び跳ねる様子はなかった。

(よし!……おやすみなさーい)

再び布団に潜り込み、目を綴じるとすぐに睡魔がやってきた。
翌朝目覚めた彼は「いや……よし!……じゃないだろ」と自分で自分にツッコミを入れて頭を抱えた。
頭の中に魚の気配はない。
昨夜のあれは夢だったのだろうかと思ったが、その時、トド松の耳奥からあの″ぴちゃん”という水音が弾いた。

(夢じゃないんだろうなぁ、夢だったら解かるもんね、僕……だって)

トド松は寝返りを打つ、次男が気持ちよさそうに眠っていた。
いつもならジョギングの為に先に起きるのだが、今日はこの兄が目覚めるのを見届けてから出掛けようと思う。

数十分後にカラ松と、十四松が起きた。
起き抜けに目があったカラ松がごそごそと手を布団から出しトド松の頭を撫でる。

「おはよう」
「おはよ」

短い挨拶に、彼が『特別』にだけ注ぐ甘やかな声。
恋人同士の一時のやりとりを終えると二人はゆっくりと布団から抜け出して、ベランダに出て太陽を浴びている十四松へ声を掛けるのだった。



69 69 69 69 69 69



それから暫く後、夜中にふと目を覚ましたトド松はまたもやカラ松の頭で魚が跳ねているのを発見する。
その時もまた彼は深く考えずにその魚を己の中へ呼び入れた。
二匹になって変わったことは特にないが、トド松の耳に聞こえる水音が少し大きくなったように感じる。
そしてまた暫く後、同じことが起きる。
三匹になって変わったことは、時折トド松の胸のあたりで波が揺れたような気配がするくらい。
四匹になって変わったことは、目を綴じると必ず波音がするようになったこと。
五匹になって変わったことは、時々ふらりと眩暈がするようになったこと。

六匹になる頃には、トド松は白昼夢を見るようになった。
トド松は桃色の宝石になって、暗い水の中をゆっくりと沈んでゆく。

目はない筈なのに、自分より先に沈んでいく光が見えた。
あの鈍色の光は、カラ松の魚だ。

手はない筈なのに手をまっすぐ伸ばしてその魚を追う。

――ねえ、待って

そう思うのに追いつけず、どんどん光は小さくなってゆくのだ。
そしてその光が完全に見えなくなった時、トド松は白昼夢から目を覚ます。


「ああ」


渇いた感嘆符に、乾いた頬。

くらい水の中ひとり取り残されたって自分は泣けもしないのだ。




To be continued


タイトルは「カ、ト、ド」が破裂音で「ラ」が流音だからというどうでもいい由来