モンスタークロッシング[1]
十四松がその恋を自覚した時、同時に唯一の弟の恋にも気付いてしまった。

正直にそれを告げるとトド松は驚いた様子を見せ、照れくさそう頷いた。


「誰にもバレないように隠してたのに、気付いたってことは本当に僕と同じなんだね」


――本気なんだね、一松兄さんに


と言った時のトド松の瞳に星のような光が見えた気がした。

十四松もいつも開いてる口を閉じ同じ光を瞳に宿し一度だけ大きく頷く。

いつも自分にだけは甘い弟が少しだけ見せた厳しさが嬉しくて、この弟との秘密をずっと守ってゆこうと決意した。


――僕らは同じ

――兄さんは僕で、僕は兄さん


トド松が時々そう言ってくる、十四松もそれを否定しない。

実際トド松は十四松のお手本だった、彼のようにしていれば上手にこの恋を隠すことが出来た。

トド松のように言葉で誤魔化すことが上手くないから気持ちが溢れそうになる時はお約束のようなギャグに逃げ。

一松の言動にドキドキしてもキュンときても顔には出さず、彼に心配掛けないよう普段通りに振る舞うことに努めた。


兄弟で好みのタイプの話をすることもあったけれど兄達は普通に女の子の話をしているし、十四松やトド松にも当然のように女の子の話を降ってくる。

「どうせ俺には一生彼女なんて出来ない」と自虐的に呟く一松にカラ松がなにかウザい事を言って胸ぐらを掴まれている、それを見てトド松は呆れたように笑っていた。

六人の初恋は幼馴染みのトト子ちゃんであったし、それから好きになったのも女の子ばかり、学生時代は誰がいつ誰を好きになったかなんて情報を全員で共有していたように思う。


(トド松にも好きな人いた筈だけど、全部嘘だったのかな?)


気になって二人きりの時にこっそり聞いてみると、トド松は首を横に振った。


「ううん、全部ホントだよ、でもね可愛い女の子がいたら恋はするけど、恋愛をしてるのはカラ松兄さんにだけなんだよ」

「恋愛?」

「うん」


この時トド松はなんとも言えない顔をしていた。


――恋愛ってなに?恋と愛を足したもの?

――ううん違うよ、兄さんももうちょっとしたら解るよ


十四松はトド松の言っている意味がわからなかった。

一緒にいて楽しいとか、会えないと寂しいとか、嫌われたくないとか、好きになってほしい気持ちを恋って言うのだと思うけれど違うのだろうか、気になって辞書を引いてみたけど異性に向ける感情だと書いてあって悲しくなっただけだった。

愛なら十四松も家族みんなに抱いていて家族みんなに抱かれていて、猫を可愛いって思ったり、知らない人でも怒っていたり泣いていたら笑顔にしたいと思う気持ちを呼ぶんだろう、誰かが死んで悲しい気持ちだってきっと愛だ。

優しくて温かくて切ない気持ち、家族愛や友情の延長線にあるような、嫉妬や性欲を伴うような、綺麗で醜い気持ち。

十四松はそれら全てを一松にも一松以外にも感じたことがあるけれど、トド松の言う恋愛とは違うのだろうか、トド松は恋とも愛とも違うその気持ちをずっと持っていたんだろうか……

十四松は解らなかったけれど、いつか解る時がくるのかな、そのいつかが来る前にこの恋が消えてしまえばいいのに……そう願いながら十四松は今日もトド松に一松の話をした。

本人には知られたくない、気付かれたくない、告白なんてもっての他だと思うけれどトド松に話を聞いてもらうのは楽しかった。


「十四松兄さんは恋するとほんと幸せそうだよねぇ」


そう言うトド松はカラ松の話を滅多にしない「自分と同じ十四松兄さんが、幸せそうに話してるのを見てるだけでいいんだ」なんて言っている。

確かにその時の十四松は幸せだった。



「あれ?」


なにかが可笑しいと思い始めたのは、それから暫く経ってからの事だ。


「一松兄さんまだ帰って来てないの?チョロ松兄さんも」


夕食の時間になってもいないのでおそ松にそう聞くと、おそ松はあっさり答えてくれた。


「うん、なんか可愛がってた猫がメシ食わなくなったからってチョロ松連れて動物病院行ったぞ」

「……」

「ありゃ多分おめでただな、腹大きくなってたし」


大袈裟なんだよな、と笑う長男に「そうだね」と応えて食卓に座った。

恐らくチョロ松に金を借りるつもりで一緒に行ったのだし、その伝言をおそ松に頼んだのはチョロ松だ。

十四松がそれを聞かされていないのはその場に居なかったことと、一松が猫のことで頭がいっぱいだったからだろう。

聞かされていても金を持っていない十四松はなんの力にもなれなかったのはわかる。

だけど……


(なんだろ、これ……)


十四松の胸にしこりみたいなものが残った。

その日から十四松は何度も一松にその猫の様態を聞いて、一松が猫に会いに行くときは静かにしていることを条件に着いて行くようになった。

そうすれば次に猫になにかあった時に一番に知らされるのは自分になるから、一松に「やさしいね」なんて言われても嬉しくなかった。


次に自分を可笑しいと思ったのは皆で銭湯に行った時だ。

常連とは言え六つ子がぞろぞろと同じ浴室に入って行くのは目立つ、初見の人はジロジロと六人の顔と体を見比べる。

そんなことは慣れていた筈なのに、一松が他人から見られると嫌悪感を抱くようになった。

だから自分の方へ注目が行くようにわざと騒いだり、一松を隠すように自分の身体で遮ったりするようになった。

兄弟達は十四松のいつもの奇行がまた始まったと、きっとなにも疑問には思わない。


その次は本当に最悪だった。

なんと十四松は一松の頬を叩いてしまったのだ。

原因も憶えていないような口喧嘩の最中、一松に「お前なんかもう顔も見たくない」と言われついカッとなってしまった。

一松はマゾっ気があるし、よくプロレスをしているので、これくらいの痛みきっと大したことない。

他の兄弟に言わせれば今のは一松が悪いし元々の喧嘩の原因も一松にあるらしいが、十四松は土下座をして謝った。

以前ならそれくらいのこと言われたって何とも思わなかった筈なのに、どうして苛立ってしまったのか解らない。


他にも、いけないことと思いつつ洗濯していない一松の服に顔を埋めてみたり。

たまたま寝癖をしていない一松が出掛けるのを見てデートじゃないかと不安になって尾行したり。

どうにか耐えたけれど、ゴミ箱の中にあった一松の使用済みの割り箸を見て拾い上げたくなったり。


日に日に自分が可笑しくなっていくのを感じた。

子どもの頃はともかく成長した十四松は自分が妬みや怒りなどを殆ど感じなくなったと思っていたし、変わってはいるけれど変態的なことをするような人間ではないと思っていた。


不安に思った十四松はそれをトド松に相談する。

トド松ならきっと上手なアドバイスをくれる、だって恋の先輩だから。


するとトド松は突然ぽろぽろと涙を流し始めたので十四松は焦った。

どうしよう、やっぱり兄がこんな風に変わってしまったことがイヤだったのだろうか、十四松が謝るとトド松は首を大きく左右に振った。


「違うの、イヤじゃなくて嬉しいんだ……けど嬉しいのが悲しい」


泣き笑いのような表情でトド松は十四松に縋りつく。


「ごめんね、十四松兄さん……僕のせいだ」


そんなこと言われても意味が解らず、十四松が困惑しているとトド松は泣きながら語り始めた。


トド松は十四松が一松への恋をしていると聞いてとても驚いたけれど嬉しかった。

同性の兄弟を愛することのツラさを長年経験していたのに十四松を止めてやれなかった。

本当はその恋を淡いもののまま消してやることも出来たのにそれはしなかった。

トド松に話をすることで十四松の中にある一松への想いが確固としたものになっていくのに気付いていた。

十四松の様子が可笑しくなっていっていることにも気付いていたけど何も言わずにただ見ているだけだった。


十四松の唯一の弟は泣きながら謝る。


――兄さんに僕と同じモノになって欲しかったの

――天使みたいな恋をする兄さんに恋愛して化物になって欲しかったの


実際、十四松の一松への恋は始めの頃とは質量と熱量が変わってしまった。

一松と一緒にいるだけで感じていたふわふわとしていた感情は、今は鎖のように全身を押しつぶしている。

彼や他の家族の前で笑顔を作るだけで、自分が世界一醜い生物になってしまったと感じる。

きっとこの仮面を剥いでしまえば自分の顔の皮まで剥がれてボロボロになるだろう。


「十四松兄さんの恋が、恋愛になったんだよ」


それが嬉しいのだとトド松はまた泣いた。

これで兄さんは僕と同じ化物だと、泣きながら狂ったように笑っていた。


「トド松、いいよ」


十四松が頭を撫でるとトド松は笑みを崩し無表情になった。


「怒ってないよ」


――きっと一松兄さんが赤の他人だったら、恋は恋のまますっと消えてた

――でも毎日逢う兄弟だから、絶対切れない絆があるから、完全に消えたりしなかったと思う

――だからたとえトド松が止めていたとしても、きっといつか恋愛になってた

――少しそれが早まっただけで、僕はどうせ化物になってたんだよ


その言葉を聞いてトド松は小さく悲鳴のようなものを上げて十四松に抱き付いてきた

自分の肩に顔を埋め、嗚咽をどうにか殺している弟の頭を撫で続ける。


「つらかったねトド松、よく我慢してきたね」


幼い頃から片想いをしているというこの子はもうとっくに化物となってしまっているんだろう。

どんな想いでカラ松と同じ家に暮らしていたのか、想像するだけで胸が張り裂けそうになる。


「僕はきっとトド松みたいに我慢できない、きっとすぐ限界がきちゃう」


トド松は何度も頷いた。

自分ももう限界を迎えてしまいそうだ。

実の兄を好きな気持ちを抑えられない、相手の気持ちなんて考えていられなくなる。


「こんな……みんなを傷付けるだけの“恋愛”なのに」


棄てられないんだ。

化物だから、大切なものを壊してでも手に入れたいと思ってしまうんだ。


「ねえトド松お願いがあるんだけど」

「うん……」




「僕と一緒に消えてしまおう」




こんな化物を倒してくれる勇者はきっとこの先現れない。

だから自分達からいなくなればいいんだ。



「……僕と考えることが一緒だね」

「うん、君は僕で僕は君だからね」



――離れるなら、新幹線がいい、泣き声なんて聞こえないから

――あっという間にいなくなってしまえるから


十四松がいつものように笑顔を浮かべながらそんなことを言った。



その次の五月、二十五日の午前零時。

二十数回目の誕生日を終えた後、ふたりの化物は兄弟達の前から姿を消した。


小さな荷物と笑顔だけを手荷物にして……







To be continued.