モンスタークロッシング[2]
――クズはクズだけど、せめて最後くらいはちゃんとしたいものだ――


五月の二十四日は松野家六つ子の誕生日だった。

トド松と十四松が起きて、一階に降りると朝食を食べている母と新聞を読んでいる父がいた。


「あら珍しい早いのね」

「うん、昨日早く寝たから」

「そういえば今日ニート達の誕生日だったわね、おめでとう」

「そうか、おめでとう」


もう二十歳も過ぎ特別祝われることもなくなったが、それでも毎年心からの祝福をくれる両親。

トド松と十四松は笑顔で頷いた。


「母さんこそ僕らを生んでくれて有難う」

「父さんもここまで育ててくれてありがとう」


なんて言われた両親は面食らってしまった。


「トド松だけなら何か魂胆があるんじゃないかって疑うんだけどな」

「え?酷い」

「ふふ、ありがとう二人とも、私達も貴方たちが生まれてきてくれて嬉しいわ」

「ひひひっ照れるってー」


その日の朝食は珍しく両親と末の弟二人で食べた。

四人の食卓は十四松の食べ方を時々注意する父とそれを見て笑う母と、ひとり静かに見守るトド松。

なんでもない日の幸せな朝という光景だ。


「この家で六つ子に生まれて本当によかった」


ぽつりと零された言葉がトド松のものか十四松のものか、何故かこの日の父と母には聞き分けることが出来なかった。


朝食を食べたあと二人は土手まで出かけた。

もう閉めてある屋台の前でチビ太がのんびりとビールケースに腰かけている。

トド松たちに気付くと彼は片手をあげて「おう」と声を掛けてきた。


「どうした?もう店は閉まっちまったぜ」

「大丈夫、朝ごはん食べたばっかだから」

「朝からおでんはキツイって」

「なんだとぉ」

「ま、チビ太んとこのおでんは別だけどね」

「だよなーー」


と、なんでもないような風に褒められチビ太は目をぱちくりと瞬かせる。


「チビ太、はい」

「ん?なんでぇコレ」


トド松が茶色い封筒をチビ太に差し出してきた。

受け取って中身を見ると一万円札が数十枚も入っていた。


「え?これ……」

「十四松兄さんと二人でバイトしたりパチンコしたりして貯めたんだよ」

「今までのツケ分くらいはあるんじゃねーかなぁ」


呆然とチビ太が見上げるとトド松と十四松は「今まで払えなくてゴメンねぇ」「ここのおでん金なくても食べたくなるんだ」などと少し恥ずかしそうにチビ太が喜ぶような事を言ってきた。


「けど、今日おめぇらの誕生日だろぉ?」

「誕生日だから、すっきりしたいんじゃん」

「誕生日おぼえててくれたの?アザッス!!」


なんだこれ?正規の方法で手に入れた金か?などと怪訝に思っていたチビ太だったが二人の様子を見て改めた。


「一応、もらっとくけどよぉ……まいどあり」

「ちゃんと払ったんだからチビ太もう誰か誘拐したりしないでね」

「……しねぇよバーロー!だいたいあんときゃテメェら兄弟酷かったぞ!?」

「うん反省してるしてる」


ケロリと笑いながら答えるトド松に、本当に反省してんのかよとチビ太がジト目で見れば、その笑顔が何故かとても哀しそうに見えた。


「……兄さんがまた泣くことがあったら慰めてあげてね」

「旨いおでんもオナシャス!」

「……」


十四松はチビ太の屋台をぐるりと回って、いつも自分が座る位置に腰かけた。

六人がけのカウンターに六人がけの椅子、六つ子の自分達が座るのに丁度いい、。

なにかあるとこの屋台に来て、ここで泣いたり笑ったり喧嘩したり怒られたり、色んな思い出のつまっているカウンターの板を撫でて微笑む十四松をトド松は携帯の写真に収めた。


「じゃあねチビ太!」

「バイバーーイ」


そう言って立ち去る二人の後ろ姿を暫く呆然と眺めていたチビ太だったがハッとして口を大きく開き


「またな!」


と叫んだ。

二人は振り返らなかった。



午後から十四松は一松と一緒に無事出産した猫と子猫に会いにゆき、トド松はカラ松と一緒に釣り堀に行った。

出掛ける前にチョロ松が「母さんが今日は御馳走だから夕飯には帰ってきなさいって」と言っていたので夕方までには帰宅するつもりだ。

これからカラ松と二人きりでいられるのは数時間だけ、静かな釣り堀でのんびりと生臭い風を感じている。


「いい天気だね」

「ああ」


今日は小言も出てこない、流石に魚へのラブレターとスパンコールのズボンにはツッコミを入れたけど、それからは普通に世間話をしていた。

あまり喋らないカラ松でも相槌を打ってくれているのでちゃんと話を聞いてくれているのだと感じトド松は嬉しかった。


「今日は花もってきてないんだね」


前回は結局エサにはしないで家の玄関に飾ったけれど、家の玄関でかなり浮いていたのを思い出す。


「まぁ相手が魚っていうのがなければデートで花を持ってくるのはアリだと思うよ、まあ最初から薔薇ってのは引くかもしんないけど」

「そうか」

「荷物になるから帰り際にさらっと渡すのがいいと思う」


何故こんな話をしてるのだろうか、大好きな兄にデート指導みたいなことをしてしまっている自分に自嘲の笑みを零した。

自分は高嶺の花を追いかけるどころか足元の花すら摘めない、青い花に寄り添う石ころ、どこかに蹴散らされてしまう、そんな存在。


「そんな格好じゃなければ、自分と会うのにいつもと違う服装をしてくれるってのは嬉しいと思う、そんな格好じゃなければ」


大事なことなので二回、強調して言ってやった。


「……ならどんな服がいいんだ?」

「へぇ?」


さっきから曖昧な相槌しか返していなかった兄から質問が返って来てトド松は驚いた。

というか自分の意見なんて素直に聞かないくせに。


「そうだなぁ……兄さんは足が長いから細身のパンツは似合ってると思う、素材さえどうにかしたら……あと肩幅が少しあるから皮のジャケット着ると怖くなるよね、でも黒は似合ってると思う、素材さえどうにかしたら……サングラスは暗いところですると目が悪くなるから場所を選んだ方がいいよ、色も形ももっと柔らかい方が……あ、でも折角、目付き凛々しいんだから瞳見せた方がいいかもね、ベルトとかアクセサリーとか兄さんが着けると余計ゴツく見えちゃうから女の子ウケを狙うならもっとシャープな方がいいかな、シルバーだけじゃなくて他の素材と合わせてみるとか、腕や首になんか着けるのイヤならいっそ着けない方がいいよ」


トド松の意見を総合すると『とりあえず素材をどうにかしろ』だ。

だが真剣に聞いていたカラ松はうんうんとひとり唸っている。


「どうしたの兄さんには難しかった?」

「いや、もっと全否定されるかと思ったら一応俺の好みを基にしたアドバイスしてくるから驚いた」

「……なにそれ」


僕が兄さんを全否定したことなんてないでしょーーと、青い空に向かって言ってみる。

痛いとは言っても悪いとは言わない、ヤメテと言ってもダメとは言えない、トド松にとってカラ松はそんな存在だった。

きっとそれはずっと前からずっと後まで続いていく。


「あと親しくなりたいならあんま格好つけない方がいいよ、ずっとソレだと疲れちゃうでしょ……狙ったようにクサい台詞はいざという時の必殺技としてとっとけば?普通なら引くけど兄さんに惚れてる相手なら効くかもよ」

「俺に惚れてる相手なら?」

「そうそう、兄さんに惚れてる相手だったらさーー押しに弱くて涙もろくて情けない駄目な兄さんのことが好きなんだろうからね、普段は自然体でいていいんだよ、でも良い雰囲気になった時にカッコイイ台詞言われたら嬉しいんじゃない?」

「そうか……難しいな」

「だから別に無理に格好つけなくていいだって、その時に思った正直な気持ちとか普段思ってても言えないその人への気持ちとかがさ、自然とポロっと零れたら、それが一番カッコイイんだと思うよ?まあ下品なことじゃなければね」

「下品って……たとえば」


カラ松はトド松の方を見て口を開いた。


「お前を抱きたい」

「……ッ!?」

「とかか?」

「そ、そうだねぇそれは状況によるんじゃない?」


無駄に真剣な声で言われたものだからトド松は持っていた竿が小刻みに震わせる。

トド松は誤魔化すように帽子を深く被り直すと「飲み物買ってくるよ!兄さんなにがいい?」と聞きながら立ち上がった。


「ラテのトールサイズエスプレッソをドッピオで」

「自販機で買えるものにしてよ、コーヒーでいいね?」


メニュー表の代わりに魚の一匹も入っていないバケツを投げられた。

遠ざかっていくトド松を見ながらカラ松は「たとえば、じゃないんだがな」とひとり呟く。

今日もトド松はよく喋るが自分も普段に比べたら饒舌だと気付いた。

やはり兄弟が相手だと他人といるより自然体になれる、あの弟には嘘を吐いてばかりだけれど――


一方、トド松は自販機の前でしゃがみ込んで赤い顔を買ったばかりのアイスコーヒーで頬の火照りを冷ましているところだった。


――本当に心臓に悪い、あの声とあの瞳とあのセリフは卑怯だろ!?


兄さんの馬鹿を百回くらい頭の中で繰り返していると気持ちも収まり、落ち着いてカラ松の元へ戻る。

コーヒーは少しぬるくなってしまったが、カラ松の所為だ。


「なあ、いい雰囲気とはどういう時に生まれるんだろう?」

「は?まだその話題続いてたの?とりあえず少なくともこんな釣り堀では生まれないと思うよ?周り爺さんしかいないし」


女の子連れてくならもっとマシなとこにしなよーーと、心にも無いことをここ数年で培った作り笑顔で言うトド松。

本当は女の子と良い雰囲気になんてなって欲しくないと願っている、願うだけじゃなくて“そう”ならないように実行してしまえと心の中の怪物が耳元で囁いている、ずっと。


「やはり本物の海でないとダメか……」

「まず空の広さと水の青さが違うでしょ」


そう言ってもう一度トド松は空を見上げた。

青は好き、心が洗われるようだから、自分を現実に引き戻してくれるから、でも夢の中にいるような気持ちにもしてくれる。


――ほんと兄さんにピッタリの色だよ



だから、あの場所を選んだんだ。




69 69 69 69




その日の夜は母が腕によりをかけた御馳走だった。

プレゼントはないけれど六つ子にとっては久しぶりの誕生日祝いで、皆喜んでいた。

六等分にしたケーキは長男が一番大きいものを奪う、大きいと言ってもミリ単位の話なのだが大人気ないと笑われている。

末っ子のトド松は一番小さいものだったけれど上に載っていたチョコレート細工を貰うことができた。

ナイフとフォークで挟んだチョコレートを生クリームの上にコロンと置かれて、見上げるとおそ松は「弟だからな」と言って頭を撫でてきた。


「ありがとう」


トド松がお礼を言うとおそ松は得意げに笑い、横にいたチョロ松から「なにそれくらいで兄さんぶってるの」と呆れられている。

一松は「あんまーこんな洋菓子初めてやがなぁ」といつぞやの関西弁コントを始め十四松もそれに乗っている。

カラ松の方を見ると何故かバスローブを着てクルクルとシャンパングラスを回していたが、中身はビールだ。


「ん?お前も飲むか?」

「いやケーキにビールって合わないでしょ」


まったくもーと呆れながらトド松はカメラでカラ松の姿を捕らえた。


「みんな、誕生日記念に写真撮るよーー」


そう言って兄弟全員と自撮りしていくトド松、十四松が「ぼくも兄さん達と一緒に撮ってーー」と言うので自分を除いた五人の写真も撮ってやる、十四松と一松のツーショットも撮ることが出来たので後で送ってやると約束した。


食事を終えた六つ子は銭湯に行き、いつものように騒いだ後、コンビニで酒とツマミを買い込んで家に戻る。

今日は朝まで飲むぞーーと騒ぐ兄達の後ろを十四松とトド松は少し離れて歩いた。


「今日は一松兄さんと沢山話せた?」

「うん」


喧嘩というか一方的に攻撃を受けながら前を歩くカラ松と、攻撃している方の一松。

あの二人はあれでコミュニケーションがとれてるみたいで微笑ましいと弟として思うが、同時に仄暗い感情が胸に生まれてくる。

こんなの大事な兄弟相手に生まれてくるのはイヤだ。


「猫かわいかった」

「そっか」

「兄さんが猫ばっかり構うのはちょっと寂しかったけど、優しい顔が沢山見れたからいいんだ」

「うん」


本当と嘘が混じる十四松の表情を見て、自分よりはずっとマシなのだとトド松は思った。



――でも、十四松兄さんを化物に変えてしまったのは僕だから……

――こうなってしまったのも僕に責任が……


「トド松、なに考えてんの?」

「……」

「何度も言ったっしょ?僕はトド松でトド松は僕、トド松が悪いなら僕も悪い」

「うん……でもゴメンね」

「ごめんねよりありがとうがいいよ、でも今日は誕生日だからおめでとうの方がいい」


こんな感情、生まれてこなければよかったと何度も思った。

ずっと純粋な恋がしていたかった。

でももう、恋する天使ではなくなってしまった。


――僕も、十四松兄さんも恋愛を知ってしまった


生まれてしまった化物に、精一杯の皮肉と祝福を込めて――



「誕生日おめでとう十四松兄さん」

「トド松も誕生日おめでとう」



その日の深夜、寝落ちてしまった兄達に布団を掛け二人はそっと家を抜け出した。

新幹線の始発まで数時間、あの様子では絶対に起きたりしないだろう。

予約も支払いもインターネットで出来てしまう世の中は、自分達みたいな人間に優しい。

駅までの道を、殊更明るく思い出話に花を咲かせながら歩いた。


搭乗手続きを終えたトド松は写真のデータの入ったSDカードを抜いた後、携帯の電源を切った。

向こうに着いたら処分しよう、十四松の分も。


「笑ってさよならしようね」

「うん……」


座席に着いた二人は肩を寄せ合い、自分に出来る最高の微笑みを浮かべて兄を思い出す。



――大好きだった

――ずっと大好きだった


――さようなら


始発のベルが鳴る。

どんどん遠ざかる故郷に、涙がぽろりと零れた。


家族が、あの手紙を読むのは何時間後なんだろう、どう思うかな?



――ちょっとは悲しんでくれるかな?



『今までお世話になりました これから僕らは自立します トド松』

『落ち着いたら連絡しますので心配しないでください 十四松』


『さようなら 兄さん』


『兄さん達の弟で本当によかった』





線路は続く……



青い海が見える、あの街まで――








To be continued