モンスタークロッシング[3]
――過ぎ去ったものを“過去”と呼ぶなら、自分には過去なんてものは無い―― 「十四松とトド松が?」 誕生日の次の日、弟が二人、置手紙を残し消えた。 携帯に電話をかけても繋がらないとチョロ松が騒いでいて、一人冷静なおそ松が諌めていた。 カラ松は愕然と置手紙を見詰めている。 そんな中、一松の頭を過ぎていく言葉は「どうして?」「なんで?」 そして「許さない」 69 69 69 69 69 69 新幹線を降りて電車に乗り換え揺られること三時間、トド松と十四松が着いたのは海の見える駅だった。 「十四松兄さん、起きて」 「んん〜ごめん、ぼく寝てた?」 「しょうがないよ、昨日はお酒飲んだのに一睡もしてないもん」 座席から立ち上がって、網棚から二人分のリュックを下したトド松は、黄色い方を十四松へ手渡した。 真新しい大きなリュックはこの為にこっそり二人で購入したのだ。 もう六人ではないから私物を色分けする必要はないけれどなんとなく十四松は黄色、トド松はピンクを選んでしまった。 無人駅を出て二人は地図をもとに役場を目指す、スマートフォンで調べれば早いけれどGPSで場所がバレると困るので電源を切ってある。 明日、解約して新しい番号に変えよう、この街に携帯ショップがあったらいいのだけど……とトド松は十四松の手を引きながら考えていた。 「綺麗な海だねぇ」 海岸沿いの道へ出て十四松は静かに語り掛けてきた。 ウミネコの鳴き声を聞いて「うっは、猫みたい」と嬉しそうに笑う。 「一松兄さんにも見せてあげたい……」 そう呟く顔は、きっと誰にも見せたくないだろうとトド松も海の方へ視線を送った。 キラキラと輝く青に、想い人が好んで履いていたスパンコールのズボンを思い出し何だか笑ってしまう、あの人はこんなときでもノスタルジックな想いに駆らせてはくれないらしい。 「……いたいなぁ」 十四松の耳にはその声が「あいたい」に聞こえた。 「これからはさ、何度だって一松兄さんを好きって言っていいんだよね?」 「うん」 どうしたって本人には届かない場所だから。 「トド松もカラ松兄さん好きっていくらでも言っていいから」 「うん、いつか好きじゃなくなる日までね、聞いてて」 そんな日がくるわけないと知っているけれど…… 「行こう、十四松兄さん」 二人が選んだ町は移住支援をしていて、地元で働くことを条件に住居を格安で借りることができる。 就労支援もしてくれるのでチビ太にツケを返したことと新幹線代とで貯金を使い果たした二人にはありがたい限りだ。 役場の人から案内されたのは、古い一軒家、やはり海が見える場所だった。 家の中の清掃は既にしてくれていたので、荷物を置いて一呼吸おく、十四松はリュックの中からペットボトルを取り出してトド松へ渡した。 小さな声で礼を言い受け取ったトド松もリュックを漁り、中から小さな袋を取り出した。 「はい、十四松兄さんの分」 二つもらった鍵につけるキーホルダー、紫と黄色の石がついているのが十四松へのプレゼントで青とピンクの石がついているのがトド松が自分で選んだものだ。 「わー、ありがとトッティ」 「どういたしまして、でももうトッティはやめてよ」 新しい土地で知り合った人もそう呼ぶようになるのは御免だと言えば、かわいいのにーと十四松が笑った。 よかった、笑えている。 数日前こっそりと送った荷物は日時と時間指定してあるから、もうすぐ着くだろう。 それまで少し休憩して、受け取ったら来る途中にあったコンビニで今日食べる分の弁当を買って……そこでSDカードに入っている写真を印刷しよう。 「今度はトド松が寝てていいよ」 僕は起きてるから、そう言って窓の外の海を見詰める十四松に甘えトド松は体を横たえた。 前の住人が残したベッドが二つあったから大きなタオルを出して夜はそれに包まって眠ればいい、ここが暖かい海街で良かった。 いつも六人で寝ていたからきっと寒く感じるだろうけれど、そんなものは慣れてしまえばきっとどうってことはない。 本当はずっと夢心地で、カラ松から離れてしまったことが心のどこかで信じられないでいた。 幼い頃からずっと好きだった兄、その想いを棄てきれず、いつか誰かを傷付ける前に家を出なければと思ってけれど、一年前まではまさか十四松も一緒だなんて思わなかった。 いや、自分が十四松を巻き込んでしまったのだ。 ――兄さんは普通の恋ができたのに……僕はそれの邪魔をしてしまった ――あの時、一松兄さんへの恋は間違ってる、棄ててしまったほうがいいって言ってあげれば兄さんまでこんなことをしなくて済んだのに ――ずっと天使みたいな恋をしていてほしかったのに…… ――僕が十四松兄さんを恋愛の化物に変えてしまった 育て過ぎてしまった恋心はもう海の泡のように消えてはくれない。 ――僕が兄さんで、兄さんが僕 同じモンスター同士、きっと上手くやっていけるだろう。 ふたりで、この恋愛をずっと守る為に、最愛の人から離れた。 「兄さん……」 「ん」 呼べば十四松が頭を撫でる、今トド松が呼んだのは自分ではないと理解していながら、やさしくやさしく彼の人が歌った子守唄をなぞってゆく。 こんな風に穏やかな気持ちであの人を愛せればよかったのに、ずっと家族でいられたのに…… ――あの人は どんな僕が好きなんだろう どんな風に想われたいのだろう どんな時に助けてほしいのだろう そう思っては現実との差に打ちひしがれる。 他人から性格が悪いと言われたことは沢山あって、一番好きな人へ対しても口を開けば小言や辛辣な言葉ばかりをぶつけてきた。 それでも赦されていたのは自分が血を分けた弟だから、生まれた時から一緒にいる相棒のような存在だからに違いなかったのに、そう思ってくれてる兄をずっとずっと裏切っていたんだ。 「ごめんなさい……ごめんなさい兄さん」 「トド松、大丈夫だから……僕もおんなじだから……」 眠りながら泣いているトド松に優しく語りかけながら十四松も思い馳せた。 この弟はいくら言っても十四松が化物になってしまったのは自分のせいだと思い込んでいるけれど、十四松からすればそれはとんだ思い違いでしかない。 「僕は、トド松に何を言われても一松兄さんを好きな気持ちは止められなかったよ……?」 大切で、いつも気にかけていた。 大切にしてくれて、いつも気にかけてくれていた。 大好きな一松。 一松がひとりぼっちだと安心して、一松の心が自分以外に向いていると相手が猫や他の兄弟であろうと胸がくるしくなって。 一松を理解しているおそ松や、頼りにされているチョロ松、多分甘えられているのだろうカラ松へ対してはトド松のことも相俟って一番厭な嫉妬をしてしまう。 トド松がドライモンスターと呼ばれていたように、十四松は狂人と呼ばれていた。 その言葉は楔のように二人を縛った。 ただ恋をしているだけで、その想いは醜いと、相手を傷付けてしまいそうだと、トド松と十四松は怖くなるのだ。 モンスターで狂人の自分達は、マトモな恋などできない。 だから、本当に大切な人とは一緒にはいられない。 二人の化物が頑なに信じたそれは、秘密の恋ゆえに誰からも否定されずにここまできてしまった。 ずっと泣きながら眠っていたトド松は荷物が届いた音で目を覚まし、部屋を整理した後は予定通りコンビニへ行って弁当を買う。 そして六人で撮った写真、二人ずつ、三人ずつで撮った写真、自分だけいない写真、両親の写真、故郷の風景、膨大な数の画像の中でトド松は特に気に入っているものを選んで印刷した。 その日は疲れたのか、食事をして入浴を終えればすぐに眠気がやってくる。 ベッドサイドに飾った想い人の写真を手に取り二人は微笑む。 「おやすみ、カラ松兄さん、今日も大好きだったよ」 「おやすみ、一松兄さん、兄さんを好きで幸せでした」 明日の朝にもトド松と十四松は写真を見ながら愛を語らう、明日も明後日も彼の顔を見ては想いを伝えてゆくのだろう。 そしてそれはきっと一生涯続いてゆくのだろう。 69 69 69 69 69 69 「ねぇ、まだ十四松くん達から連絡来ないの?」 チビ太が営むおでん屋台に珍しくトト子が顔を出し、先に来ていた客のおそ松とチョロ松に訊ねた。 「うん」 「そっか……」 トト子は眉を寄せた。 自分に何も挨拶せずに消えてしまった幼馴染みが腹立たしくて、寂しいのだ。 「うちにツケを返しに来たのも今思うとサインだったんだな、ちくしょうめ」 「うちの親には礼を言ったんだって……その時に何か気付いていればって母さん泣いてた」 「親不孝よね……十四松くんもトド松くんも」 「うん」 しんみりとする三人を余所におそ松は一人で焼酎の入ったグラスを傾けていた。 その様子に気付いたチョロ松はその肩にポンと手を置く。 「おそ松兄さん、何もしてやれなかったのは僕も一緒だよ」 「……ああ」 だから自分一人を責めないで、と伝えたが、やはりおそ松は静かにグラスを傾けるだけ、きっと長男として末二人を守ってやれなかった事に責任を感じているのだろう、そんなものチョロ松だって同じなのに…… 「トド松をドライモンスターって呼んでたのも十四松を狂人って言ってたのも僕だから」 そう言って目を伏せるチョロ松は二人が消えた理由を解っているようだ。 おそ松はそれを横目に見ながら、長男の自分が解らないことを三男が解っているのが少し情けなく、理由が解っていても何も言わないということは自分に話しても無駄だと思われているようで哀しかった。 「……あの、カラ松くんと一松くんはどうしてる?」 恐る恐るといった様子でトト子が訊ねる。 「一松の方はまだ大人しくしてるよ、前にも増して家に篭って一人ぶつぶつ言ってるけど」 「……」 「カラ松の方はご覧の有り様」 外国人のようにジェスチャーでお手上げポーズをとるチョロ松は、一見おどけているようだが、表情にはありありと心配の色が見てとれた。 「昔のアイツに戻っちまったみてぇだな……」 「昔の方がまだマシだよ、今のアイツはひょっとしたら人殺しちゃうんじゃないかって心配」 「チョロ松」 「……ごめん、おそ松兄さん」 滅多なことを言うなというニュアンスで名前を呼ばれ、チョロ松は素直に諌められる。 「そんなにピリピリしてるの?」 幼い頃に喧嘩ばかりしていた兄弟達を思い出し、トト子とチビ太の背筋に冷たいものが走った。 緊張ぎみのトト子を安心させる為か、おそ松はここで漸く笑顔をみせる。 「そうそう、十四松とトド松が一緒にいなくなったせいか、なんかもう二人とも一触即発って感じ?」 「え?そんな二人を残して来たのか?」 大きな目を真ん丸に開けてチビ太が言った。 喧嘩してるんじゃないかと心配したのだ。 「アイツらは一回ぶつかってみた方がいいの」 「ああ見えて一松も結構強いしね、まぁそろそろ戻んなきゃだけど」 そう言って二人は立ち上がった。 「そんなわけで、ごめんチビ太、ツケといてー!」 「じゃあねトト子ちゃん!」 「またね!トト子ちゃん!」 そして酒が入っているとは思えない早さで駆け出して行った。 今日ばかりはチビ太も呼び止めはしない。 「まったく、しょうがない幼馴染たちだ」 「そうねえ……でも、だからこそほっとけないでしょ?」 「違いねえ」 まあ、ほっといてもあの六つ子のことだからどうにかなる。 自分達は見守るだけだ、と幼馴染の二人は苦笑し合うのだった。 To be continued |