モンスタークロッシング[4]
――未だ来ぬものを“未来”というのなら、自分は未来なんていらない――


十四松とトド松が家出(置き手紙には自立と書いていたが家族からすれば家出だ)して数週間、居場所を掴もうと住民票を取り寄せたが何故かロックされていて閲覧できなくなっていた。

恐らくトド松の仕業だ……あの弟は昔から悪知恵が働く、二人のものが詰められていた収納を見ると幾つかモノが無くなっていた。

いったいいつから企んでいたことか知らないが、トド松だけでなく十四松まで家族になにも悟られず逃走の準備をしてきたのかと思うと彼らがどれ程本気で此処から逃げ出したかったのか解る。

おそ松は二人が逃げ出した理由を知らない、知らないけれど二人が逃げ出したいと思うほどの要因がこの家にあるのだとすれば、それをどうにかするまでは二人を連れ戻しても仕方がないと思っていた。

チョロ松は初めこそ二人のことを心配していたが、今は落ち着いて二人からの連絡を待っていた。


問題は後のふたりだ。


二人が消えてから一松は見るからに毒のような空気を纏っているし、カラ松は初めは平静を装っていたが次第に荒れだした。

おかげで家の中はピリピリとしている。

まだ家の中は平和な方で、カラ松は昔のように好戦的ではないが外で売られた喧嘩は必ず買うようになった。

カラ松は素人なので喧嘩を吹っかけてくるのは街にいるチンピラや昔負かした輩くらいで済んでいるが、その中にホンモノと繋がってる者がいたらどうするんだとチョロ松は毎回注意している(カラ松が負けるだの怪我をするだのの心配をしていないところが六つ子の弟だった)

その時だけは謝って反省するカラ松だけれど、またすぐ喧嘩をして帰ってくるので最近は外出しないように言い、常におそ松かチョロ松が家にいて見張っている状態だったが、今宵は敢えて留守にしていた。

両親もいない家に、物騒な雰囲気を漂わせたカラ松と一松を残していきたのだ。

なので部屋の半壊くらいは覚悟していた……けれど……


「ねえ兄さん……今の」

「……アイツら、外には出るなって言っといたのに……」


チビ太の屋台から帰宅する途中だったおそ松とチョロ松は自分達の横を疾風のように駆け抜けて行った二つの影に頭を抱えた。

彼らがと通ってきた道は飛び乗ったのかブロック塀が所々壊れているし、投げつけたのか地面は凹んでいるし、ぶつかったのか標識は曲がっているし、蹴り飛ばしたのか自販機は転がっているし(壊れてはいないようだから弁償は免れるかもしれないけれど)

被害状況を確認しているとデスパレード後といった有様だった。


「化物かアイツら……」

「おそ松兄さん、そういうことあんま言っちゃ駄目だからね……」

「へ?」


チョロ松の声に彼の方を向くと、彼は苦虫を噛み潰したような顔で兄と弟の壊した道を見ていた。


「……いくぞ」


そんなチョロ松におそ松は声を掛けて、勝手に進みだした。


「アイツら止められんの俺らくらいなもんだからな」


十四松とトド松というストッパーがいない今、あの二人は両方壊れるまで止まらないだろう、そうしたらきっと一番悲しむのは末の弟二人だ。


「うん」


チョロ松は頷いてその後ろをついてゆく。




69 69 69 69 69 69




一番星の輝く夜空、ベランダに出て煙草を吸っていたカラ松はフーッと暗闇に白い煙を吐き出した。


(これで最後か)


空になった煙草の箱をグシャグシャに丸めてポケットに突っ込む、長男三男連名から外出禁止令が下っている為、自分では買いに行けない。


(まずい、また苛々してきた)


吸い始めたばかりの煙草をぎちぎちと噛み締めカラ松は米神あたりに生まれた不快感を振るい払おうと、昼間観たバラエティ番組を思い出すが何も楽しくない。


「……」

「……」


するとカラ松と同じように煙草を吸いにきたのか一松がベランダへ出て手すりに背中を預けた。

二人は無言だった。

カラ松は何か話しかけようと口を開いたが掛ける言葉が思い付かない、煙草を吸いにきたと思っていた一松は黙って宙を見上げていた。

そういえば一松は時々こうして屋根の上で歌う自分と十四松を見ていたとカラ松は思い出す、歌い終わった後に引き摺り落とされることもあったが、だいたい機嫌良く自分達……というより十四松の歌を聴いていた。

一松にとって十四松の歌声は特別なのだ。

カラ松は自分が言われる「痛い」の意味は解らなかったが、二つ下の弟のことを「痛々しいな」と感じることはあった。

彼が十四松に寄せる感情を知っているのは自分とチョロ松だけではないかとカラ松は思う。


「なぁ」

「……」


低く、酷く苛立ったような一松の声が耳に突き刺さってきた。


「アンタなにに苛々してんだ?」

「……苛々してるのはお前もだろう?」


明らかな敵意に心のささくれが逆撫でられる、どうしてだろう、今まで許してこれた弟の態度が気に食わない。


「ああ、苛ついてるよ?けどアンタは自分がなんで苛ついてるのか解ってねぇだろ?馬鹿だから」

「なんだと?」


カラ松の目に鋭い光を宿す、獣のような瞳を一松は悪魔のように嘲笑った。

この瞳を持つ者を一松は二人だけ知っている、二人とも虎を自由に遣う一松でも飼い慣らせないだろう、野生の王者。


「そんなんだからトド松を十四松に盗られんだよ」


轡を着け吼えることを忘れた獣から轡を外してやった気分だ。


「なんだと?」


一松からすれば兄弟のことをいつも気遣っているのは十四松で、本当の意味で何をされても怒らないのはトド松、トド松の場合泣き寝入りが多いだけかもしれないが家族を本気で恨んだりはしない、十四松は人の笑顔が好きだから皆を楽しませようと一生懸命になれる。

それでも一松の二人の弟はカラ松を優しいと慕う、おそ松に次ぐ兄として絶対的な信頼を寄せているのを知っている……一松は兄としてそれが悔しく、何度もカラ松に勝負をしかけているのにずっと無視をされてきた。

カラ松の方がよっぽどドライだと思ったことは一度や二度じゃない。


「やるのか?クソ四男」

「やっと此方を見たな……」


その兄が今、感情を剥き出しにして目の前に立っている。

一松はこのカラ松に勝ちたいと思った。

これに勝てば十四松とトド松の兄として、カラ松の弟として、自分で自分を認めてやれる、そうすれば――


「こいよ、相手になってやる」


そう言って一松は手すりを軸に体を回転させ屋根の上に降り立った。

カラ松は高く飛び上がり、一松の頭へ向け踵を落とす……が、寸前で避けた一松は庭へ降り、振り向いてカラ松に不敵の笑みを見せた。

それを挑発ととったカラ松も庭へ飛び降り一松へ連続パンチを送る、力は兄の方が上でもスピードと体のしなやかさなら弟の方が上だ。

屋根には穴が開いている。

ひらりと避けながら塀に飛び上がり、猫を呼ぶように「チッチッチ」と舌を鳴らした。

カラ松も塀へ飛び上がったところで全速力で駆け出す、逃げる為ではない、全力で戦える場所へ移動する為に。

その道中もカラ松の攻撃は止まない、道にあるものを何でも投げてくる攻撃を飛び跳ねながらかわす、自販機を蹴り飛ばされた時は流石に肝が冷えたがどうにか避けることができた。

そこからカラ松の走るスピードが落ちた(それでも充分早いのだけど)事に気付いた一松は彼が先程の攻撃で足を痛めたのではないかと案じる表情を浮かべてしまったが、次男相手なら丁度良いハンデだと直ぐに笑みにすり替えた。

おそ松とチョロ松と擦れ違ったのはこの時だ。

思い切り戦える場所、公園に付いた二人は殴り合いを始める、一撃必殺を狙うカラ松の拳は一松にさらりと交わされ、威力の弱い一松の拳は何度か入っても大したダメージを与えられなかった。

それでもダメージが蓄積されてゆけばカラ松が先にダウンするか……いや一松の体力が尽きるのが先かもしれない、二人はいつのまにか池にかかる桟橋の真ん中まで移動してきていた。


「アンタは、まだ気付かないのか!?自分が何に対して怒ってるのか!!」


一松の中には深い悲しみが渦巻いていた。

自分だって、十四松がいなくなってどうしようもなく苛立っているのに、正気を保っていられない程なのに、この兄を放って一人だけ壊れることは出来ない。


――だって、俺はコイツで、コイツは俺だ……


同じように弟に恋をした同志だと思っていたのに、何故気付かないんだ。


「うるさい!!」


カラ松の拳が一松へ振りかざされる、今度は避けられないと一松は目を瞑り歯を食いしばった。


(……ん?)


何秒経っても来る筈の打撃が訪れず、一松はそっと目を開ける。


「……おそ松兄さん」


長男であるおそ松が一松の前に立ち塞がり、カラ松の拳はおそ松の顔面すれすれのところで止まっていた。


「言っとくけど俺が間に入らなくたってカラ松は寸止めするつもりだったよ、そうじゃなきゃ俺は殴られてた」


そう言って振り返り二カッと笑った。


「まったく、お前らが喧嘩して怪我でもしたらあの二人が帰ってきた時悲しむでしょ」


後ろからチョロ松の声も聞こえる。


「……十四松が帰って来た時……」


たしかに自分やカラ松が怪我をしていたら泣いてしまうだろう。

そう思った瞬間体の力が抜けた一松はその場にヘナヘナと座り込んだ。

正直もう体力の限界だ。

アレだけ動いてまだ立っていられるカラ松を怪物のように思う、いや獣だったか……もうどちらでもよい。


「……」

「カラ松?」


一方おそ松を目の前にしたカラ松は俯いて、掌をギュッと握り込んでいる。

弟と喧嘩してしまったことを反省しているにしては様子が可笑しかった。


「すまない……おそ松……すまない……俺は……」


そしてカラ松はしきりに兄へ謝罪を繰り返しだした。

おそ松は首を傾げて静かに訊ねる。


「何を謝ってんだ?一松と喧嘩したこと?そんなのお前だけのせいじゃねえだろ?」

「……」


その言葉に一松は自分から喧嘩を仕掛けたことを思い出し、思わず二人から目を逸らしてしまう。


「違う……そのことじゃない」


ふるふると首を振り、顔を上げたカラ松は悲痛な眼差しをおそ松に向けた。


「俺は、トド松を愛してる……兄としてじゃない、一人の男としてアイツを愛してしまった」

「……」


突然の告白にチョロは息を呑み、一松は目を見開く。


――もう、気付いていたのか……?


「どうしてそれを謝るんだ?」


おそ松は、真っ直ぐカラ松の瞳を見返しながら静かに訊ねた。


「どうしてって、俺まで弟を好きになってしまったら、お前に全部押し付けることになるッ!!」

「ッ!?」


一松はバッと二人の兄を見上げる。

チョロ松はカラ松の後ろに回り、おそ松と向き合っていられるよう背中を利き腕で支えた。


――まさか、コイツが今まで気付かないふりしてたのは……


次男として、長男に全ての責任を負わせないように、だろうか?

だとしたら自分はなんて勝手な勘違いをしてカラ松を責めていたんだろう。

一松の瞳に大きな涙が溜まっていく。


「俺は、たしかに長男やってるのかったるいなとか、面倒くさいって思ったことはあるけど」


スッと息を吸って、おそ松が語り出した言葉は弟達の耳にしっかりと届いていた。

弟の想う相手のことなど初めて知ったろうに、長男の声はとても落ち着いている。


「それをお前らに押し付けられたなんて思ったことは一度もない」

「……」

「お前らみたいな弟を持って、そりゃあムカつくときもあるけど、スゲエ楽しいんだよ」

「兄さん……」


チョロ松が思わず呟いた。


「だから、どんだけ面倒くさくってもお前らの兄でよかったって本気で思うし、お前らの兄の座を他の奴に譲る気なんて全然ねーし」


ひとつ、またひとつ普段と同じ口調で落とされてゆく兄の言葉が一松の胸に波紋のように広がっていく。

トド松ほど長くはないかもしれない、けれど数年間ずっと悩みに悩んだものが許されてゆく。


「実の弟を好きだっていいじゃねえか、そんなことで俺ら兄弟の仲が壊れるとでも思ってたのか?」

「だが、俺は次男で……」


まだ納得いかないようにカラ松が言うが、それをおそ松は瞳で制した。


「だからお前には末っ子の面倒を頼むよ、一松には五男のな」

「え?あ……うん」


振り返ったおそ松からニカリと笑いかけられ、一松はコクコクと何度も頷く。


「安心しろって、俺いつか可愛い嫁さんもらって、お前らの分まで可愛い子作って母さんたち安心させてやるよ」


俺たち六つ子だから俺の子どもはお前らの子どもみたいなもんだよな?とまた笑った。


「その前に就職しなきゃでしょ?おそ松兄さん」

「ははは、それは何とかなるって」


咎めるようなチョロ松の声に能天気な返事をするおそ松。


「チョロ松は……いいのか?」

「え?なにが」

「俺がトド松を好きでいても……」


チョロ松は不安げな一つ上の兄に呆れたような表情をする、きっと常識人の自分は反対すると思われているのだろう。

たしかに兄弟が同性愛者でしかも親近相姦なんて普通なら抵抗あるかもしれない、だけれどそれよりも大事な事が彼にはあった。


「そんなの僕に口出しする権利ないだろ?まあお前がトド松泣かせたりトド松がお前を泣かせたり……」


カラ松の背中をポンポンと叩いて、一松の方へも微笑みを向けチョロ松は続ける。


「兄弟みんな幸せにならなきゃ許さないよ」

「ってことだよ、だから気にすんな」


そう言いながら、おそ松の心は晴れやかだった。


今まで弟たちの想いや苦悩に気付けなかったのは心のどこかで理解することを拒否していたから、長男の重責から逃げ出したかったからかもしれない。

でも、十四松やトド松が消えてしまって思い知った。

自分には弟たちがいなければいけない、カラ松、チョロ松、一松、十四松、トド松の五人が幸せそうに笑っていなければいけないのだと。

きっと弟たちが自分に与えてくれたものは責任ではなく、誇りだ。


「……すまない、おそ松……チョロ松」

「だーかーら、謝るなってば」

「そう、だな」


カラ松はチョロ松や一松を見て、最後にまたおそ松の顔をしっかりと見つめた。


「ありがとう兄貴」


――俺はトド松を愛している、トド松と幸せになりたい



次男の飾らない言葉を聞いて四人は皆よく似ているけれど違う笑顔を浮かべた。




ちなみに、カラ松と一松が壊したものはというと……

帰りに出来る限り元通りにしながら帰ったのだが、近所の人には松野兄弟がしたことだとバレバレで一カ月間ただ働きで弁償する羽目になったのだった。





To be continued