モンスタークロッシング[6]

――流れた涙を拭うのは海の風じゃなく貴方の親指がいいんです――


二月の雪と三月の風と四月の雨を越え、花の咲く五月が来た。

幸せを呼ぶというクローバーの庭に幸せを運ぶという黄色い蝶が飛来する、どうして蝶はひらひらと飛ぶのだろう?可愛いけれどどうにも心許無い。

まるで一つ上の兄のようだと思いながらトド松は洗濯物を家の中にしまい込んだ。

この場所に来てからもうすぐ一年が経とうとしているが、最近トド松はこのまま十四松をここに閉じ込めていていいのだろうかと迷うようになった。

先程、彼を蝶にたとえたけれど彼がもとめる花はこんなところにはない。

チョロ松が訪れた日以来、十四松は目に見えて明るくなった。

元々明るかったけれど今はどこか救われたような報われたような表情をしている、それくらいチョロ松から化物ではなく人間だと言われ嬉しかったのだろう。

ただ、やはり狂人と呼ばれた期間が長かった所為か、自分の恋は相手を傷付けるものであることは違いないと思ってしまう。

トド松だってそう、こんな自分に愛されてもカラ松は少しも幸せにならないと思うくらいにはドライモンスターだと言われてきたし彼を傷付けてきた自覚もある、自分はもうカラ松にとって必要な人間になることもカラ松の傍にいていい存在になることも出来ないと解っていた。

夕食の片付けをしながらトド松は静かに十四松へ問いかける。


「もうすぐ一年が経つけどさ……」

「うん」

「十四松兄さんだけでも帰る?」

「ううん」


帰らない、もう恋愛が育ち過ぎて彼の人の前で隠せそうにないから、と十四松は最後の皿を洗い終え蛇口を締めた。

トド松は皿を受け取り布巾で拭いながら、少し大人びた表情をした兄を見た。


不思議だね、逢わなければ気持ちを抑えられるような気がしてたのに、離れた分だけ好きな気持ちが大きく重くなるなんて知らなかったよ。


淡々と、遠い昔を思い出すような瞳をして十四松は語った。

最初は十四松の一松を想う気持ちは自分がカラ松を想う気持ちには到底敵わないと思っていたけれど、十四松の恋愛はこの一年で急成長を遂げたようだとトド松は感じた。


――僕は兄さんで、兄さんは僕


ここ一年呪文のように唱え続けてきた救いの言葉をまた胸の中で呟く。

きっと、ひとりじゃないから耐えられた。

自分達だけじゃなくて世界には同じような恋をしている人が沢山いる、チョロ松が言ってくれた恋をすれば人間はみんな化物になるという言葉にこんなに慰められるなんて思わなかった。

そういえば昔から、兄弟みんなクズだから自分もクズでいていいんだと安心していた所があった。

出し抜きたい抜け出したいと願っていたけれど、同時に兄達と自分が同じものであることに安心して、特別に想われる努力を怠けていたように思う。


「ねえ、十四松兄さん……僕って必要?」

「え?なに言ってんのトド松、当たり前だよそんなの」

「僕もね、十四松兄さんが必要だよ……だから」


――置いてかないで、どこにもいかないで

――同じ、化物のままでいて


「一松兄さんのことをずっと好きなままでいてね」


そう言うと、十四松はもう一度、切なげに微笑んだ。


「それも、当たり前のことだよ」


いったいいつから自分達はお互いの傷を確認し合って安心するような関係になってしまったんだろう、こんな歪な絆、誰が見たって哀しいのに。

綺麗に拭き取った皿を水切り籠の中に伏せて、トド松はシンクに手をついて掌をギュッと握りしめた。


「僕も、カラ松兄さんが好きだよ……」

「うん」

「ずっと、ずっと、ずっと、ずっとカラ松兄さんが大好き……」


毒を吐くように、実際カラ松にとっては不快なものでしかないだろう想いを吐き出して、水と一緒に排水溝の中に流してしまいたい、トド松はそう願ったけれど、その言葉は全てきちんと十四松の耳に吸い込まれていった。


そんな空気を打ち破ったのは、電話の鳴る音、この着信音はチョロ松からだ。

トド松はポケットからスマートフォンを取り出し音声をスピーカーにして十四松に体をくっ付けた。


「もしもし?チョロ松兄さん」

『久しぶり、元気にしてた?ふたりとも』

「うん、元気だよ」

『本当?ちゃんとごはん食べてる?』

「食べてるよ、十四松兄さんが作る料理おいしいんだ」

『へぇ?意外だな』

「当たり外れは激しいけどね」

「トッティ〜?」

「ごめんごめん、けど最近は当たりの方が多いんだよ」

『そっかぁ、じゃあ今度会いに行ったとき食べさせてもらおうかな?』

「へ?」

『誕生日の当日はこっちで過ごす予定だけどさ、その前の何日か泊まらせてもらおうと思って』

「チョロ松兄さん遊びに来んの?」

『うん、えっとさ……』


それまで澱みなく続いていた会話が急に途絶え、十四松とトド松が疑問符を浮かべていると、少し言いにくそうにチョロ松が切りだした。


『みんなに贈る誕生日プレゼントを一緒に選んでもらおうと思って』

「え?」

『ほら、トド松って妙にプレゼントのセンスいいじゃない、今まで皆がもらったものとかAV以外は安牌だったし』

「妙にって……」

「トッティはAVのセンスも面白いよ!!」

「やめて、恥ずかしい」


自分の選んだ駄洒落のようなタイトルのAVがよりにもよってカラ松に届いてしまったいつかのメリークリスマスを思い出し羞恥心が蘇ってきた。


『いや冗談じゃなくね、おそ松兄さん以外で一番兄弟のことを理解してるのってトド松だと思う、きっと自覚ないけど相手が一番ほしいと思うものを選んでるんだろうね、僕にはない才能だから羨ましいよ』


いつも厳しい兄からの素直な褒め言葉にトド松は驚いて声が出なくなる、チョロ松はすぐ『そのかわり一番ほしくない言葉もくれるけどね』とお道化て言ったけれど、そんな風に思っていてくれたなんて初耳だ。


『その言葉だってお前にとっては大した問題じゃないから平気で言えてたんだろうね、僕たちが自分で自分を嫌いだと思ってたところをお前は本心から嫌ってはいなかったんだろうね』


チョロ松は少し後悔したように『お前は言葉を選ぶことが出来る奴だからさ』と、呟いた。


「だよねぇ、トッティほんとに優しいんだよ!僕が寂しいと絶対傍にいてくれるし、いつも僕がほしい言葉をくれるんだ!」

「十四松兄さん」


違う、優しくなんかない。

十四松が寂しい時に傍にいるのは自分も同じように寂しいからだ。

十四松が欲しい言葉を言えるのは自分も同じ言葉を返して欲しいからだ。

そんな風に打算的なのに、優しいと言ってくれる十四松の方がよっぽど優しい。


『僕は十四松も優しいと思うよ』

「うん、ほんとそれ」

「へ?」

『十四松はさ、相手を本当に喜ばせようと思って全力でプレゼント選ぶだろ?まぁ外すことも多いけど当たりの時は凄くいいものくれるじゃない』

「外すこと……」


いつかのエスパーニャンコ事件のことを思い出したのか、ネコ目になって冷や汗をかく十四松、なんだかそれが微笑ましく見えた。


『十四松はブレーキ役が必要なだけでセンスがないわけじゃないんだよ、だから今回は僕がブレーキ役になってあげる』

「ちょっと、そっちが一緒に選んでほしいって頼んでんのに何その言い方」

『ごめんごめん、でもお前らだってカラ松や一松に自分が選んだものが贈れたら嬉しいだろ?』

「……う」

「……まぁね」

『僕も、おそ松兄さんに喜んでもらえるようなプレゼント選びたいからね、手伝ってよ』


そう優しい声で頼まれてしまうと断りきれない、トド松と十四松は了承し、「じゃあまた連絡して」と言って通話を終えた。

番号を交換したものの、もしチョロ松が他の兄弟と一緒にいたらと思うとトド松達からは電話が出来ない、だからいつもチョロ松が二人の働いている居酒屋の定休日に電話を掛けて来る。

それ以外は約束通り自分達の元気そうにしている写真を送ったり、チョロ松もカラ松や一松の写真を送ってきたりしてやりとりをしている。

送られてくるカラ松や一松の写真が記憶にあるものよりも精悍で格好よくに見えるので、もしや好きな子や彼女が出来たのではないかと二人で疑い、その日の夜は泣き明かして翌日会う人皆に心配されてしまったことは消し去りたい過去だった。

実際カラ松や一松が好きな相手はトド松と十四松で、それを自身で認め、長男のおそ松に認められた事により吹っ切れて男前度が上がったのだが、そんなことを知らない二人は勘違いしてしまっていた。

ちなみにチョロ松からすればトド松や十四松の写真も好きな人と離れて自立した生活をしているからか儚げな雰囲気や大人びた魅力が増しているように見えるのだが、いかんせんそんなもの自分で気付けるわけもなく。

二人して写真が送られてくる度に「兄さんカッコイイ……」「……やっぱり好きな子できたのかなぁ」とときめきながら泣きたくなるという情緒不安定な状態に陥っているのだった。




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チョロ松が海街にやってきたのは二人の働く店の定休日の前日の夜だった。

食事は済ませたというので手料理を振る舞うことは出来なかったが数日間泊まるのだから機会はいくらでもあるだろう。

チョロ松は二人の弟を見ながら、やはり実家にいた頃より痩せてはいるけれど顔色は悪くない、それに久し振りにチョロ松と過ごせて嬉しいと顔に出ていると感じ、笑みを浮かばせた。


「兄さん達にはなんて言って出てきたの?」

「今回は友達と旅行って言っといたよ」

「え?それじゃ“ズルい”とか“俺も一緒に行く”とか言われなかった?」

「お前……兄さんをいくつだと思ってるの……“いつも俺達の世話で忙しいんだからたまには友達とゆっくりしてきなさい”って言ってくれたよ……」

「へぇ、なんかチョロ松兄さんお母さんみたい……」

「は?」

「ご、ごめんなさいっ!」


久し振りに三男の睨み付ける攻撃を受け、反射的に身を縮ませるトド松、こういう反応が面白いから兄達に弄られるのだとこの歳になっても気付いていない。


「チョロ松兄さん、一松兄さんはなんか言ってた?」

「一松?アイツはねぇ“お土産はご当地ニャンコキーホルダーでいいから”って、場所がバレると悪いからお土産は帰りに違う場所に行って買うけど」

「あはっ!一松兄さんらしいー!!好きー!!」

「ニャンコキーホルダー欲しがったくらいで十四松兄さんに好きって言われるとか一松兄さん羨ま!!」

「ちなみにカラ松は“お前が無事に帰って来るのが一番のお土産だせ”とか言いやがった」

「ふぅん……カラ松兄さんはやっぱり優しいなぁ……」

「一松兄さんだって優しいっすよ!」

「……ねぇ二人とも何その顔、前会った時より悪化してない?」


トローンとした表情をする下二人の弟を見て苦笑いが漏れる。

会えない時間が愛を育て過ぎてブラコンが重篤になっている、カラ松と一松もブラコンに拍車が掛かっているけれど此所までではないから、やはり二人暮らしが寂しくてこうなってしまったのだろうか。

好きな相手が突然消えたカラ松と一松にとって長男おそ松の存在は大きい、この二人がいなくなってから弟達の精神安定の為に心を砕いているおそ松を労ってやりたいし、感謝の気持ちを込めて彼の喜ぶようなプレゼントを贈りたいとチョロ松は思った。


「新幹線の駅を降りたところにビルがあったじゃん、明日あそこで買い物しよう」

「うん」

「じゃあ今日は三人でお風呂入って早めに寝よう」


チョロ松の言葉にトド松は少しだけ泣きたくなった。

言葉だけではない、実の兄に恋をした弟と平気で触れ合ってくれることが、嬉しい。




翌日、三人は連れ立って電車に乗り、新幹線の駅まで向かった。

道中で昨夜も寝るまで散々聞かれたカラ松と一松の話をしながらチョロ松はこの二人は本当に本人のいない場所でなら好意を包み隠さず言葉にできるのだなと思った。

十四松なら恥ずかしくない程度に本音を伝えることができそうだけれど、トド松はきっとこんな風にカラ松へ素直になることは難しいだろう、しかしカラ松ならそのことで相手をからかったりしないし、真摯に想い返してくれるだろうに、勿体無い。

あくびを噛み殺しながらそんなことを思っているうちに電車は目的地で止まった。

この駅で乗り換える人が多いのか閑散としていた車内が賑やかになっていくのを横目に見ながら三人は続いて降り立った。

駅前のショッピングビルは、平日とあって人は疎らだ。

案内を見て、雑貨とメンズ服売り場のある三階にエスカレーターで向かう。


「こら十四松、駆け上がるな」

「そんなに急がなくても品物は逃げないよ、十四松兄さん」

「はーい」


三階に着いてまずはおそ松兄さんへのプレゼントを買う事になった。

トド松が財布でいいんじゃない?と言えば、十四松はおそ松兄さんお金好きだしねーーと無邪気に応える、チョロ松は少し考えてから、普段使えるものの方がいいかと賛同し三人で財布売り場へと向かった。


「ちなみにチョロ松兄さんはおそ松兄さんになにあげようと思ってたの?」

「え?ネクタイとか?就活がんばれって意味で」

「……うーん、そういう意味なら誕生日じゃない時にあげた方がいいかも」

「だね!」


たしかに財布とネクタイどちらが似合うかと言われたら財布の方だな、とチョロ松は真剣にショーウィンドウを見詰めた。

レシートやカードを乱雑にいれるから長財布の方がいいんだろうか、でもズボンの後ろのポケットに入れるから折り畳みの方がいいかもしれない。

おそ松ならまずそんなことはないが、すられた時に気付けるようチェーンが付いてるものの方がいいかもしれない。

この年齢ならブランドものの財布を持っていても可笑しくはない、けれど自分達はニートだし、でも今後おそ松は可愛い嫁を貰って子どもを作って両親を安心させると言っていたから、形だけでもきちんとしたものを持って女子ウケを狙った方がいいのだろうか。

そんなことを数十分間考え続けた結果、赤い革製の財布のチェーンを取り付ける穴が開いているものにした。

値段は少々張るが満足いく買い物が出来てよかった。


「あーなんか疲れちゃった……次はカラ松だね」


長男の次は次男という単純な理由で今度はカラ松のプレゼントを選ぼうと言うチョロ松にトド松は「それなら兄さんが悩んでる間に決めちゃったよ」と言って目の前で紙袋を翳す。


「へ?早ッ!……なんにしたの?」

「眼鏡ケースだよ、綺麗にラッピングしてるから中身はカラ松兄さんに渡す時に見てね」

「眼鏡ケース……」

「そう、兄さんよくサングラス壊すからあった方がいいかなって」

「壊すっていうか壊されるの間違いだけどね」


でも最近は一松とも仲良くしているので前よりその頻度は減ったんだよって教えると、何故か十四松がズーンと沈み混んで「一松兄さんが普通に……やっぱり好きな子が……」なんてぶつぶつ言い出した。


「なにあれ……」

「気にしないで十四松兄さん一松兄さん欠乏症で時々一松兄さん化するだけだから」

「駄目じゃねえかソレ!!」

「兄さん酷ッ!!……ていうかチョロ松兄さんの話で兄弟喧嘩したとか聞かないけど兄さん達も落ち着いたんだねぇ」

(誰のせいだと……)


しかし家出をしたことを責めてはいけないとチョロ松は苛々を鎮めながら「じゃあ次は一松のプレゼントな」と切り出した。

実はトド松は十四松と一緒にチョロ松へのプレゼントも買ってあるのだが、それはチョロ松が帰る際に渡すつもりだ。


「十四松兄さんはなにか考えてる?」


沈み混んでいた十四松にそう聞くと目をキョロキョロ動かして「うー」と顔を隠してしまった。

耳が赤いのが丸見えだから、きっと決めているんだけど照れ臭いのだろうとチョロ松は微笑ましく思っていると、トド松がニッコリ笑いながらこう言い出した。


「十四松兄さんが決めないならダサいチョロ松兄さんが決めちゃうよ?いいの?それで」

「駄目!一松兄さんのプレゼントだけダサいなんて駄目だよ!!」

「お前ら……」


そんなこんなで、頭にぷっくらたんこぶを付けた十四松はお揃いのたんこぶを付けたトド松の手を引いてスポーツ用品店に入っていった。

なるほど自分の得意分野で攻めるのかとチョロ松が頷きながらその後へ続く、暫くして十四松が少し頬を染めながら二人の前に

持ってきたのは、濃い紫色をしたスポーツタオルだった。


「これにしようと思って」

「スポーツタオル?」

「うん……一松兄さんちょっと体動かした方がいいかなって、これから暑くなるし普段使うのにもいいかなって」


テレテレと説明する十四松にトド松は内心かわいいなぁと思いながら相槌を打つ。


「けど、二人のに比べたら地味かな?値段だって低いし」

「別に値段とか気にする人じゃないと思うけどな一松兄さん」

「うーんそうだなぁ、でも他の人と格差があったら気にしそうだし……あ、そうだ十四松」

「はい」

「刺繍、してみる?」

「え?」


驚いた弟達に「ひと手間加えれば値段のこととか気にならないでしょ、アイツ」とチョロ松が言う。


「上の階に手芸屋さんあったから行ってみようよ」

「でも、刺繍なんてやったことないし」

「数字の1やアルファベットのIで良いんだから簡単だよ、僕が横でお手本見せるし」


そう言ってチョロ松は同じタオル地の緑のハンカチを手に取った。


「チョロ松兄さん刺繍できるの?」

「家庭科の授業の時に先生から褒められた」

「あー家庭科の先生美人だったもんねぇ、そっかチェリー松兄さん張り切っちゃったか」

「うるさいな、もう」

「……上手くできるかな?」


タオルに目線を落として不安げに呟く十四松にチョロ松は微笑んだ。


「補色って言ってね、紫色には黄色が相性いいんだって」

「へ?え?え?」

「だからこの紫にも黄色が凄く映えると思うよ」


そこまで言われてしまうと十四松はもう頷くことしかできなかった。




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その頃、贈られる側である一松達も街のショッピングモールへ来ていた。

チョロ松やトド松と一緒だと自由にマイペースな一松であっても、リーダーポジションのおそ松が居れば割と大人しい、おそ松と一緒にいるカラ松は何故かサブリーダー臭を漂わせるので不本意ながら邪険に扱う気にもならなかった。


「おそ松兄さん決まった?」

「んー?もうちょっと」


今朝方思い立ったように「チョロ松がいないうちにチョロ松のプレゼントを買いに行こうぜ」と言い出した長男は、自分から言い出したくせに、さっきからプラプラと色んな店を覗いては碌に品物を見ずに出て来てしまっている。

みんなでチョロ松へのプレゼントを買うというのは一松としても賛成なのだが(なんせ十四松やトド松がいない間、彼が苦心して自分達の精神を支えてるのが解るから)彼へのプレゼントを選ぶならおそ松が一番適任なのに、この真剣みのなさはなんだんだろう。

カラ松なんて、さっきからアクセサリー屋の前で立ち止まってブレスレッドだのネックレスだの見ている、彼女へのプレゼントですか?なんて店員に聞かれているが、弟にだよ、と一松は心の中でツッコミを入れていた。


「今度はこの店な」


と言って、カラ松を放置しておそ松はスポーツ用品店へ入って行った。

後を追いながら一松はこんなところにチョロ松の欲しがるものなんてあるわけないじゃないかと思った。

昔の兄ならともかく今の彼なら音楽のプリペイドカードでも渡した方が喜ぶだろう。


(こういう場所が似合うのは……)


頭に過るのは黄色。


(あ……)


この時、一松はある一点から目が離せなくなった。

弟が好んで身に付けていた服と同じ、黄色いリストバンドだ。

紫のラインが入っている、鮮やかな色合いのそれを手に取り撫でてみる。

柔らかくて、ふわふわしていて、吸水性もありそうだった。


「あれ?気になっちゃうそれ?」

「……」


声を掛けられたことに気付くと同時に長男が後ろからガシッと肩を組んできた。


「買えよ」


いつもの兄なら「買っちゃえば〜?」などと軽く言ってくるのに、今のは絶対的な命令形だ。

一松はゴクリと唾をのみ込み、そのリストバンドを強く握り込んだ。


「あっれ?カラ松も買い物したの?」


店の外へ出ると、来たときには持っていなかった袋をぶら下げた次男が立っていた。

カラ松におそ松が手を上げながら声を掛ける。


「いや、これはチョロ松にでは……」

「うん、解ってる解ってる、一松も同じことしたから」

「え……?」

「ふん」


普段気が合うことは殆どないけれど、こういうときに考えることは一緒なのかと気恥ずかしくなって顔を逸らす一松。


「じゃあ帰ろっか」

「へ?」

「は?」


弟二人をニヤニヤ見ていた長男が、そんなことを言うのでカラ松と一松は同時に彼の方を見た。

おそ松は笑って、三枚のチケットを顔の横に掲げる。


「俺のプレゼントは物じゃないから」


自信満々に、アイツの一番喜ぶプレゼントを渡せるのは自分だぜと言わんばかりの顔と声を弟たちに示した。


「そのプレゼントちょろっと渡しに行こうぜ?」




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おそ松が二つ下の弟の様子が可笑しいと気付いたのはカラ松や一松が大喧嘩をして暫く経ってのことだった。

可笑しいといっても悪い意味ではない、十四松とトド松が消えて以来あった昏い影のような雰囲気が少し晴れだしたのだ。

愛する者が居なくなって気落ちしている兄と弟を優しく励ます言葉に変わりはなかったが、その時に柔らかく笑むようになった。

ひとりでいる時の彼を隠れて見ていると時々切なげに睫毛を震わせることがあるが、その時決まって携帯電話の画面を見て、次の瞬間には優しい穏やかな表情を浮かべるのだ。

そして前にもまして不定期に出掛けるようになったが、それにわざとらしさを感じた。

おそ松が統計をとってみると毎週必ず同じ時刻に家を抜け出していることが判明する。

チョロ松が自分達に何かを隠している、おそ松はそう結論付けるとそれが何か非常に気になった。

もしかして恋人が出来たのかもしれない。

おそ松がカラ松や一松と約束したように、チョロ松も結婚して子を成すと言った。

それは、おそ松のように弟の為や両親の為を想って言ったこともあるかもしれないが、大半は長男一人にプレッシャーを掛けない為だろう。

真面目な彼のことだから、宣言した以上は行動に移さなければと、今まで避けていた女性との出会いに積極的に動いたのだろうか。

だとしたら祝福すべきことだが、おそ松は何故だがそれが非常に怖ろしく感じた。

弟に先を越されるかもしれない事への恐怖だろうか、それとも別の何かだろうか、解らないけれど……


おそ松は彼が毎週必ず出掛ける時間に自分も出掛け、チョロ松を尾行することにした。

そこで聞いたのは、今まで聞いたことのないような慈愛に満ちた声だった。


『トド松、十四松、元気?風邪ひいてない?』


最初にそれを聞いた時どんな気持ちだったか、実はおそ松は憶えていない。

隠れて弟たちと連絡を取っていた事への怒りか、弟たちが無事だった事への安堵か、なにも言ってくれない彼への寂しさか、今はその全部の感情を持て余して、それでもそれがチョロ松や弟たちの選んだことなら認めてやらねばならないと思っている。

こっそりとチョロ松と弟たちの通話を聞いている内に、弟たちもカラ松や一松に想いを寄せていることが知れたし、時々出て来る単語から彼らが海沿いの街に住んでいることが解った。


『誕生日の当日はこっちで過ごす予定だけどさ、その前の何日か泊まらせてもらおうと思って』


『僕も、おそ松兄さんに喜んでもらえるようなプレゼント選びたいからね、手伝ってよ』


この言葉を聞いて、おそ松の中で今まで溜め込んできた欲求が爆発する。

一人だけ、十四松やトド松に逢おうとするなんてズルい、自分だってチョロ松に喜んでもらえるようなものを贈りたい。

今、チョロ松が一番望んでいることは、きっとおそ松が望んでいることと同じだ。


――弟たちに逢いたい

――兄たちに逢わせたい


――弟に逢って、大丈夫だよって言ってやりたい

――逢って、兄から大丈夫だよって言ってあげてほしい


――お前らはもっと兄ちゃんを頼るべきだ

――家のこととか世間の目とかそんなこと全然気にしなくていいんだよ


――俺とチョロ松がついてるから

――僕とおそ松兄さんがついてるから


――逢いにいくよ

――逢いにきてよ




「チョロ松のパソコン勝手に見たこと怒られるだろうな」

「僕が守ってあげるよ、大事なこと黙ってたチョロ松兄さんも悪いし」

「あんまアイツを責めてやんなよ、きっと十四松たちに口止めされてたんだ」


教えられた住所へ向かう為、海沿いの道を歩くおそ松と一松。

カラ松は少し前、砂浜に愛しの桃色の姿を見つけて一人で走って行った。

今頃トド松とちゃんと話せているだろうかと心配だけれど、次男はやる時はやる男なのできっと大丈夫だろう。


教えられた住所の近くへ行くと、聞き慣れた声と懐かしい声が聞こえてきた。

チョロ松と十四松だと逸る気持ちを抑えそっと庭を覗くと、二人は縁側に向き合って座っていた。

久しぶりに見る十四松の姿に一松は釘づけになる。

すこし痩せたろうか、相変わらず無邪気に笑っているけれど以前にはなかった色気みたいなものもある気がする。

愛しの五男へ息をするのも忘れるくらい熱い視線を向ける四男に長男は微笑ましさを感じた。

よく見ると彼らはチクチクと何かに刺繍を施しているようだ。

おそ松はそう言えばチョロ松は刺繍が上手かったんだっけ?と学生時代に色々と作らせたことを思い出す。



「できたー!できたよチョロ松兄さん!!」

「良かったねぇ」

「チョロ松兄さんみたいに上手く出来なかったけど」

「そんなことない、初心者にしては上出来だよ」

「うん!がんばったから!!」


と言って十四松は嬉しそうに紫色のタオルを翳した。

おそ松たちからの角度ではよく見えないけれど、黄色の糸で数字の“1”と刺繍されているのが解った。

それを見た瞬間に一松の胸が跳ねる。

チョロ松の膝の上に置いてタオル地の緑のハンカチには既に赤い糸で刺繍してあった。

“なんで数字の1なんだよ?お前は三男でイニシャルはCかTだろ”とおそ松は笑ってやりたくなった。


「行くぞ……」

「うん」


一松の背中を押して、歩み出すおそ松は、もしかしたらこの行動が今までの十四松やトド松、そしてチョロ松の努力を台無しにしてしまうのかもしれないと思った。


でもそうなった時は自分が全ての責任を負おう。




――だって俺は、お前らの兄ちゃんの座を誰にも、相棒にだって譲りたくないから




これは五月二十二日、夕刻。

彼らの誕生日の二日前のことだった。





To be continued