モンスタークロッシング[7]
十四松が一松を好きだと自覚したのは、彼が兄弟達に素を見せ始めた頃だった。 エスパーニャンコの事件以来だろうか、少しずつ笑って話すことが多くなったように思う、幼少期の一松のように真面目で優しい部分も見えだした。 十四松はその引き金を引いたのが自分だと理解した時、誇らしいような気持ちになったのを覚えてる。 ただ、その気持ちは長くは続かなかった。 たしかに卑屈で愛されてる自覚のない彼が苦痛を感じることなく他者と接してくれたらよいと、もっと楽しく生きてくれたらよいとずっと願っていたのは十四松だったから、一松が“普通”になっていくのは喜ばしいことだった。 けれど「そうしたら自分はどうなるのだろう?」と十四松は疑問を抱いてしまった。 一松が普通になってしまうのは“狂人”である自分と違うものになるということだ。 そうなった時、今ある関係が崩れてしまうのではないかと、そう思った瞬間、十四松は頭に雷を落とされたような衝撃を受けた。 雷は空中にある電気と地上にある電気の差が大きくなると発生する、人と人との間でもそうなのかもしれない……十四松は雷のことなんて何も知らなかったけれど、自分と一松の間に差ができれば今まで築いてきた全てを滅ぼすような雷が落ちるのではないかと恐れ慄いた。 十四松にとって六つ子の中に新しくできた“個性”は空中の電気と地上の電気を中和する避雷針のようなものだった。 じっと目を綴じ、自分達に“個性”が生まれた日のことを思い出す。 六つ子がまだ制服に身を包んでいた頃のある日、三男のチョロ松が“このままでは長男おそ松が潰されてしまう”と他の四人の兄弟を前にして宣言したことがきっかけだった。 最初は何を言ってるのか解らないという顔をしていた四人も「このまま六人で一人のような存在で居続ければいずれ核となっているおそ松に全ての重圧が押しかかる」と言われたら「そうかもしれない」と懸念が生まれてしまった。 “六つ子だから”“兄弟だから”とよく口に出す長男、今は良くてもいつかそれが彼にとっての鎖となり足枷となり重荷となる時が来るかもしれない。 チョロ松は四人を前にして「だから僕はこれから生まれ変わることに決めた」と言い「僕が勝手に始めることだからお前らには強要しないけど」と続けて、最後に初めて見る顔で「僕の邪魔はしないで、おそ松兄さんに何を言われても」と結んだ。 チョロ松がおそ松を「兄さん」と呼ぶのもその日が初めてだった。 そしてその日から本当に三男は変わってしまったのだ。 兄弟達はおそ松が“おそ松”とは違う人間になろうとする彼を止めようとするのではないかと思っていたが、それは杞憂に終わった。 ――チョロ松が変わりたいならそうすればいい、お前らもどうぞお好きに? という態度。 それは何があっても兄弟達にとって己が絶対的な存在であるという長男の驕りにも見えたが、残酷なことに真実だった。 彼が皆の頂点で中心だということに変わりなく、チョロ松も無意識ではあるがそのスタンスだけは今日まで崩したことはないし、きっと一生崩せないだろう。 そうやってチョロ松が変わり始めたのを契機に長男三男コンビに影響されやすかったカラ松や一松も変わることに決めたようだった。 二人とも自然と自分に合った個性を見つけたから、もしかしたら何もしなくても次第に変わっていったのかもしれない、否、かもしれないではなく六つ子の変化はきっと避けられない事だったのだと思う。 なのに、十四松は戸惑ってしまったのだ……十四松は兄である一松の変化に付いていけなかった。 何をする時も一緒にいた大好きな相棒、自分と同じ存在だった一松が、自分を見てくれなくなった。 以前はなんでも話してくれた兄が己のことを話さなくなり、他人の話を聞くことも苦手としだしたのだ。 あの時も十四松の頭に雷が落ちたのだと思う、今考えると馬鹿らしいのだが、本気でこのままでは自分は一松にとって“無”になってしまうのではないかと怖かった。 それから十四松は皆から遅れないようと自分の個性を必死に探して、焦って迷走して、自分でもよくわからない人間になっていった。 そうやってだんだんと狂っていっていることには気づいていたが、そんな自分を見て一松は笑ってくれたから十四松は少しも怖くなかった。 安心したように「お前はやっぱり僕と同じだね」と、他人から遠巻きに見られる自分を見て笑う一松を見て、十四松も安心した。 兄が自分を見てくれるなら、話してくれるなら、聞いてくれるなら、自分といる時だけ見せてくれる表情があるなら、それでいい。 “一松兄さん”と一緒にいられるなら“狂人”と呼ばれてもいい、一松からもどう思われたって構わない。 「あの時に兄さんを好きだと気付いていたら少しは違ったのかな……」 そこまで話して十四松はそっと、完成したばかりの刺繍を指でなぞった。 「エスパーニャンコのとき以来、一松兄さん少しずつ皆と仲良くなってったでしょ?僕といる時にだけしてたような笑顔も皆に見せるようになって……それはとっても嬉しかったけど」 泣きはしない、淡々と落とされてゆく言葉は雨のようだ。 「一松兄さんはどんどん他の兄弟と近づいているのに、僕はもうそれが無理なくらい狂ってて、みんな僕には態度違ってて」 自分はとても馬鹿だったけれど、あの頃自分が兄弟の仲で特別扱いされているのは解かっていた。 他の兄弟には厳しいチョロ松やトド松も自分には優しくしてくれたけれど、それは自分を刺激したら何をするか解らない存在だと思わていたからではないかと思う。 ずっと笑って幸せそうにしていたけれど、まるで腫れ物扱いだと心の底では寂しかったのだ。 「兄さんも……ぼくには殴ったりしないし、からかったり、甘えたりしない、それでも傍にはいてくれたけど……でも他に一緒にいてくれる人がいるって解ったらきっと僕よりその人を選ぶでしょ……?」 十四松が一松に恋をしていると自覚したのはその時だった。 兄弟で男同士だったけれど、意外とその事実はすんなり自分の中に入ってきた。 どうしてだろうと不思議に思っていた時に目に付いたのは、十四松の唯一の弟、トド松の存在だ。 ――ああ、あの子も叶わぬ恋に苦しんでいる そう思った十四松は縋るようにしてトド松に己の恋を吐露したのだ。 「トド松は自分のことズルいって言うけど、僕の方がずっとズルい、だってたった一人の弟を利用しようとしたんだもん」 いつか六つ子に個性が現れた時、カラ松は今よりも他人の声を聞いていなかった、一松と同じだ。 生まれた時からずっと共に過ごした兄弟から無視をされて、トド松はきっとあの時の十四松と同じ雷に打たれたのだろう、暫くするとカラ松もトド松の声に耳を貸すようになったが、一度されてしまった事をすぐに忘れられる程トド松も乾いていない。 似たような心境を感じたことのある十四松がそれは間違いだと何度も否定したのにトド松はカラ松にとって己は“無”なのだと勘違いをしたままでいる。 カラ松が自分を気に掛けるのは“兄として弟を心配しているだけ”で“トド松個人への感情はない”そう頑なに信じていたし、期待するのを怖がっていたように感じた。 そんな可哀想な弟を十四松はずっと守ってあげなきゃいけないと思っていたけれど、一松への恋を自覚した時に彼といればこのツラい恋が慰められるんじゃないかと思ってしまった。 それは“狂人”でいることよりも最低な行為だ。 「でもトド松は僕を受け入れてくれたんだよ?兄さん達とは違う生き物だって思ってた僕に、トド松は自分と同じ化物だって言ってくれたんだ……」 ――僕は君で、君は僕 トド松はその言葉に十四松がどれだけ救われたか知らない。 「だからね、僕はトド松を置いてけないんだ……ごめんなさい、チョロ松兄さん」 そうやって、涙のぽろぽろ流れる目を緑のハンカチで抑えている三番目の兄に、天から降るような声をかける十四松。 彼から再会して以来何度も言われている「帰ってきてもいいんだよ」という言葉にハッキリ断りを入れたのは初めてだ。 「ご、ごめんね十四松……僕たちは別にお前を腫物扱いしてたわけじゃ……みんなが優しかったのはお前が誰も傷付けなかったからで」 「うん、ここにきてチョロ松兄さんの話をきいて解った……酷い勘違いしててゴメンなさい」 「一松があんな風になったのも僕があんなこと言ったから……だよね?」 まだ学生だった頃を思い出し後悔を声に滲ませるチョロ松、あの頃もっと末の弟二人のことを考えてやれていれば良かった。 二人がいなくなりカラ松や一松が喧嘩をした時に次男のカラ松は自分がトド松を愛してしまえば長男であるおそ松に全ての重圧を押し掛けることになると謝った。 あの言葉ももしかしたら自分が言ったことがカラ松の心の中で燻っていたせいかもしれない。 「あれはチョロ松兄さんが謝ることじゃないでしょ?だって誰も悪くないから」 あのまま六人で一人の存在で居続ければチョロ松の言う通りおそ松は潰されていたろうし、たとえチョロ松が何も言わなくても成長するにつれ自然と個性が出て来ていただろう。 感じてしまった戸惑いも哀しさも六つ子に産まれてしまった故の不幸だと受け入れるしかない、でもそれは六つ子に産まれた幸せで相殺されてしまうことだ。 「あのね僕ね、昔の六人で一人だった頃のみんなも大好きだったけど、ちょっとずつ変わってったみんなも好き、今のみんなも好きだし、これから二度と会えなくたって兄さん達のこと好きでいるよ」 十四松はそう言って刺繍が仕上がったばかりの紫のタオルを抱き締めた。 絶対に本人には伝えられない本当のことを口に出すこと、それを教えてくれたのはこの街と海の風。 「一松兄さんのことは愛してる……」 けれど…… 「自分のことを誰も幸せにできない化物だと思ったままのトド松を残していけるわけないよ、トド松の気持ちを解ってないカラ松兄さんのいる家にだって連れていけない……だから」 “家には帰れない” もう一度言おうとした十四松の身体を、うしろから抱き締める者がいた。 (え?) この匂い、この体温、忘れもしない、あの人のもの。 「つまり、クソ松があのバカ末弟をどうにかしたらお前は俺のとこに帰ってくるんだろ?」 この声も、間違いない。 十四松の鼻の奥がツンとした。 「い、ちまつ……にいさん?」 どうしてここにいるんだろう? まさかチョロ松が教えたのかと、目の前の三男を見たら彼も酷く驚いた顔をして、涙をピタリと止めていた。 彼の目線は十四松に抱き付く一松より後ろに向けられている。 「おそ松兄さん?」 「よ!」 遅くなって悪かったな、声掛けるタイミングがわかんなくてよ、と飄々と笑ってチョロ松の腕を掴む長男。 おそ松はそのままチョロ松をひっぱって何処かへ行ってしまった。 「……いちまつ兄さんどうしてここに」 十四松は紫のタオルをギュッと握りしめながら恐々と背後の兄に訊ねる。 「おそ松兄さんがチョロ松兄さんのパソコン履歴を見てどの新幹線の予約したとか、どの路線の時刻表を見たとか調べたの……チョロ松兄さんのパソコンのパスワードおそ松兄さんの携帯に使ってたのと同じだったんだから驚いたよ」 ふふっと耳元で柔らかく笑われた気配を感じ、十四松は少しだけホッとしたような気持ちになった。 どんな時でも、自分はこの兄の笑顔が大好きなのだ。 「ごめんな十四松……俺たちにもう一度チャンスをちょうだい?」 一松は十四松の首に顔を埋めながら、力なく懇願する。 「信じてもらえるまで頑張るから」 ――見てほしい、言ってほしい、聞いてほしい、嘘もホントも―― 「好きだよ十四松……ずっと好きだった」 十四松が自分を化物だと思うならしかたないけど、でも、そんなことを言ったら六つ子はみんな化物だ。 69 69 69 69 69 69 次男はきっと海の似合う人なのだろう、本人は波止場で海を見つめながら格好付けたいと思っていそうだがトド松は白い浜辺で海を背にして両手を広げる彼を夢想する、馬鹿みたいだと吐き出した溜息は海の風に浚われてしまった。 昨夜、仕事先の居酒屋にチョロ松が顔を出した際、店の主人から兄が来てるなら休みなさいと今日から誕生日までの三日間休暇をもらった。 それは丁度よかったとチョロ松は滞っていた十四松の刺繍を手伝っている、手持ち無沙汰なトド松はこうして一人海辺の散歩だ。 (チョロ松兄さん、十四松兄さんを連れて帰っちゃうのかなぁ) 前回会った時より落ち着いた十四松を見て、これなら家に連れて帰れそうだと思ったかもしれない。 それならそれで良い、五男の帰宅は兄達への最高の誕生日プレゼントになるだろう、そうなれば自分はまた違う場所へ逃げなければならないけれど。 (今度は本当にひとりぼっちになっちゃうのかなぁ) 今は十四松に依存しているところもあるけれど実際にそうなれば自分はひとりでも平気な筈だ。 なんせドライモンスターだから……でも、寄せては帰る波のように切ない感情が心の中で揺らいでいる。 (大丈夫だよ……) そう自分に言い聞かせながら、トド松は自分のヘソのあたりを撫でた。 かつて母の胎の中で自分は皆と繋がっていたんだ。 たとえ離れ離れになったとしても、二度と逢えなくても、自分と彼がかつて一つのものだったという証が此所にある。 波の音に消されてしまいそうな鼓動のすぐ傍に…… 「おひとりですか?」 波の音よりも鮮明な色を持つ音がすぐ近くで聞こえた。 遠くから人が走ってくる気配と足音はしていたけれど、トド松はジョギングかなにかだと特に気に止めておらず、じっと海ばかり見ていた。 最愛の人によく似た、青い海を―― 「……」 「隣、いいですか?」 疑問系で訊きながらトド松の腕をガッチリと掴んで離さないカラ松。 トド松の顔が驚愕に染まってゆく。 そんな弟を見て兄は悪戯っこのようなウィンクをした。 「言っておくが、チョロ松がバラしたんじゃないぞ」 解ってる、チョロ松は確かにクズだけど兄弟想いの兄だ。 きっとおそ松が何かしたのだろう。 「トド松、少し話さないか?」 「……」 「ん?」 何も言わないトド松の瞳をカラ松が覗き込む、約一年ぶりに触れる兄にトド松の心臓は眩暈がするほど高鳴ってゆく。 “カラ松だ”と“カラ松兄さんだ”と目と耳が確める度、体が熱くなって肌が赤く染まって足元もあやふやで、心も体も全てがこの人を好きだと訴えるのだ。 「トド松、どうした?」 久しぶりに見たカラ松の顔付きは写真でみるよりも精悍で、記憶にあるものよりも落ち着いている。 ――その瞳はいつからそんなに優しくなったの?呼ぶ声は、いつからそんなに甘くなったの? ああ、もう泣いてしまいそうだ。 「カラ松兄さん、好きな人できたの?」 「え?」 「だ、だって雰囲気が変わったし」 言いながら、トド松は自分でも可笑しなことを訊いていると思った。 一年ぶりに会った兄弟への第一声がそれだなんて、ああしかし会う度に彼女の有無を訊いてくる友人もいるから、まだ常識の範疇だろう。 トド松は頭の中で自分を擁護しながら、もしカラ松に肯定されたらと怖ろしくなった。 どうかお願い否定して、好きな人なんていないと言ってほしい。 「ああ、いるぞ……できたというか漸く自分で認められたんだが」 しかし返ってきたのははっきりとした肯定、トド松は大きな雷を落とされたような気分だった。 「そ、そうなの、よかったね……おめでとう」 「いや、まだおめでとうと言われるような関係じゃないんだ」 「へぇ、なぁんだ……告白してないんだ……カラ松兄さんらしくない」 と、そこまで言って流石にデリカシーが無かったかとトド松は焦ったように訂正する。 「まあ告白にもタイミングがあるもんね、カラ松兄さんのことだから相手のこと考え過ぎて躊躇してるんでしょ?」 カラ松のことだから相手が自分に惹かれてくるのを待っているだけかもしれないけれど、きっとそれ以上に相手の気持ちを慮っているのだ。 「ほんっと、馬鹿みたいに優しいもんね……カラ松兄さん……」 「優しいかな?ソイツから俺はいつも痛いと言われてるんだが」 カラ松はトド松を見て苦笑を零した。 トド松は今も穏やかな顔をしているのにどこか傷付いているように見える、逃げ出さないのが不思議なくらいカラ松に対して怯えているのが解る。 「実は今日な、その好きな奴からアドバイスされた服を着てきてるんだ」 「え?」 トド松は、カラ松の全身を見た。 黒色系のジャケットに細身のパンツというカラ松の基本スタイルは変わらないけれど、レザーでもスパンコールでもない素材が使われている、靴は以前履いていたものと同じスニーカーだけど合っていると思う。 アクセサリーもいつものゴツいデザインではなくシャープなものに、今は外してシャツの衿にかけているサングラスも丸っこいもので、何というかトド松にも似合いそうなものだった、トド松が身に付けたら違った印象を与えるだろうけれど。 「へえ……いいんじゃない?」 トド松は頬を染めながら素直に褒めてやった。 あの日、釣り堀で自分がしたアドバイスをちゃんと守ってる。 (え?) トド松の中にある仮説が生まれた時、カラ松の瞳の奥で何かが光った気がした。 「俺に惚れている相手になら変に格好つけないで自然体でいた方がいいんだったな?」 「……」 「惚れられているかどうかはともかく、俺もソイツの前では自然体でいたいと思っている」 「カラ松兄さん?」 カラ松はトド松の腕を掴んでいた手を離し、その正面へ立った。 キラキラと輝く海を背にしてこちらに微笑みかけている。 トド松の脳裏にあの日の記憶がフラッシュバックしてきた。 『あと親しくなりたいならあんま格好つけない方がいいよ、ずっとソレだと疲れちゃうでしょ……狙ったようにクサい台詞はいざという時の必殺技としてとっとけば?普通なら引くけど兄さんに惚れてる相手なら効くかもよ』 『俺に惚れてる相手なら?』 『そうそう、兄さんに惚れてる相手だったらさーー押しに弱くて涙もろくて情けない駄目な兄さんのことが好きなんだろうからね、普段は自然体でいていいんだよ、でも良い雰囲気になった時にカッコイイ台詞言われたら嬉しいんじゃない?』 『そうか……難しいな』 『だから別に無理に格好つけなくていいんだって、その時に思った正直な気持ちとか普段思ってても言えないその人への気持ちとかがさ、自然とポロっと零れたら、それが一番カッコイイんだと思うよ?まあ下品なことじゃなければね』 まさか、カラ松の好きな相手とは―― 「トド松、俺な……俺達に個性が生まれた頃から、ずっと怖かったんだ」 いつも格好つけて痛いことばかり言う次男が、今にも泣きそうな顔で弱音を吐いた。 格好悪いことの筈なのにトド松はまるで自分のことのように胸が痛くなった。 「違う人間になってしまったら、お前と離れ離れになる日がくるんじゃないかと……馬鹿みたいだな、ずっと六人で一人の人間でいた方が俺達の関係は崩壊するだろうに」 「カラ松兄さん……」 「けどお前は変わってしまった俺の傍に変わらずいてくれた……俺のことを見ていてくれたし俺に話しかけ俺の言葉を聞いてくれていた」 「……」 「俺は嬉しかった、お前が新しく生まれ変わった自分を認めてくれたようで本当に嬉しかったんだ……」 今の自分に自信が持てているのはトド松のおかげだと、カラ松は本当にそう思う。 「お前もどんどん個性を見出していったな、少し迷いながらだけれど自分の好きなものを見つけて挑戦していく姿には俺も励まされたし、交友関係を広げるお前を見て俺も負けてられないと思った……まあ俺以外の人間と関わるお前に少し嫉妬もしたが」 「うそ」 「嘘じゃない、嫉妬もしたし不安だった……なんせ俺の知らないうちにお前はどんどん可愛くなっていくから」 「ふぇ?」 「あれ?言った事なかったか?お前は可愛いって」 「……えっと、兄さんの方から言われたことない……」 兄達には「かわいい?」と聞いて「かわいい」と返されることはあっても、兄達の方から「かわいい」と言われたことはない、そのうち「あざとい」としか言われなくなって「かわいい?」と聞くこともなくなってしまった。 「そうか……すまない、心の中ではいつも思っていたのだが、上手く形容できなくて」 「いや上手い形容の仕方なんていらないから、ただ可愛いって言ってくれたら僕はそれだけで……」 それだけで、幸せになってしまう。 たとえそれが兄として弟が可愛いという感情であっても構わないくらい。 「フッ……お前は本当に可愛いな」 「あっ!今ちょっと格好つけた!痛いからやめてよね!!」 トド松は勿論いつもの格好つけたカラ松の事も大好きだ。 けれど今は折角カラ松が自然体で話してくれていたのに、勿体ない、もっと聞いていたいと思ってしまう。 だって、これが最後かもしれないじゃないか。 「痛いか、すまないな……俺はお前を傷付けてばかりいるのに、その理由もわからない……だからお前が家を出るくらい思い悩んでいても気付けなかった」 「……ッ!」 「ずっとお前を守る騎士は俺の役目だと思っていたのに、お前のことがこんなにも愛しいのに」 ああ、撃ち抜かれた。 彼としては狙ったわけでもない言葉かもしれないが、たしかにそれは必殺技だった。 「トド松、好きだ……同じ気持ちを返してくれとは言わない、だがお前を好きでいることだけは許してくれないか?」 「ッ!?……ダメだよっ!」 トド松はカラ松の目の前から一歩、また一歩と下がってゆく。 「僕なんて好きになっちゃダメだよ!兄さんは可愛いお嫁さん貰って、幸せな家庭築かなきゃ……僕みたいなの好きでいちゃだめだよ」 その言葉がカラ松の胸に突き刺さる、おそ松やチョロ松が言ったものと同じ意味でも対象が違うだけでこんなに違って聞こえるのだ。 「僕じゃ兄さんを幸せにできないし喜ばせることも楽しませることも出来ない」 「お前さっきの俺の話を聞いていたか?お前がいたから俺は今の自分を認められたんだ、お前が傍にいてくれたらそれだけで幸せだ」 「違う!!だって僕はドライモンスターだもん!!いつも兄さんが傷付くような事しか言えなかったし、イヤな態度しかとってこなかったでしょ?兄さんがピンチの時に助けてあげられなかったし、嘘も平気で吐いてたし、性格悪いし、怪我だって沢山させて……それでも兄さん僕に優しくしてくれたのに、お礼も言えなかった……!!」 ぶんぶんと首を振りながらトド松が叫ぶ、カラ松の想いを必死に否定する。 「ごめんね、兄さんの所為で傷付いたことなんて一度もないんだよ、僕が勝手に悩んでただけで兄さんは何も悪くない……それに兄さんはちゃんと昔から僕の騎士だったよ?兄さんより頼りになる人はいなかった……だから、カラ松兄さんが罪悪感なんて感じることないんだよ」 「罪悪感……?」 「兄さんの好きはきっと兄として弟を想う気持ちに過ぎないんだよ、きっと僕のことを兄弟の中でも特別になんて想ってない……ただ自分に一番懐いてた僕が急にいなくなったから寂しくなっただけだと思う」 ――そうじゃなきゃ可笑しい ――人間の兄さんが化物の僕を好きになるなんて、なにかの間違いだ 「兄さんが寂しいって言うなら、家には戻る……けどもう僕を好きだなんて思わないで……そうじゃなきゃ、痛い」 モンスターには無い筈の心が痛む。 大好きな人から、そんな勘違いの想いを向けられているなんて辛すぎる。 「そんなわけない!!!」 怒号のようなカラ松の声が海風と共にトド松を打ち付けた。 「兄として弟を想う気持ちに過ぎない?特別なんて思ってない?寂しくなっただけ?……ふざけるな!!」 カラ松がこんな風に怒ることなんて子どもの時以来見ていない、兄弟の地雷を踏み抜くのが得意なトド松であっても彼をこんなにも怒らせたのは初めてだ。 スタバァでバイトをしていた時も怒らせたが、こんな風に怒鳴ったりはしなかったし、きっと彼一人であればあんな風に怒りもしなかったろう。 自分なんかの言葉で、カラ松がこうも感情を露わにするなんてトド松には想像もつかなかった。 「お前がいなくなった日からずっとお前のことばかり考えていた!お前と一緒にいなくなった十四松のことはその一割も考えなかった……それどころか大事な弟だというのにお前を奪い去っていった十四松にも嫉妬してたんだよ!!」 「じゅ、十四松兄さんは」 「そうやって、こんな時にお前に他の男の名前を出されるだけで俺の心は嫉妬で煮え滾る」 十四松だって大事な存在である筈なのに憎く感じてしまうのだ。 こんなものは地獄でしかない。 「さっきだってお前の姿を見つけた瞬間おそ松たちになにも言わず走り出してしまった……今だってお前の少し痩せた腰を引き寄せたいと思うし、風で乱れた髪を撫でたいと思う、見当違いな事ばかり言う唇に噛みつきたいし、二度と俺から離れないように縛り付けてしまいたい……それに」 お前の頬に流れる涙を拭ってやりたい――そう言われトド松は自分が泣いていることに気付いた。 「トド松、俺は“お前を抱きたい”」 「……」 「こんなこと、弟でしかない奴に対して言うと思うか?」 波音とウミネコの声がしていた筈の海から音が消える。 トド松にはもうカラ松の声しか聞こえないしカラ松しか見えない。 カラ松の瞳からも涙が零れるのを見て、トド松はそれを拭ってやりたいと思った。 そんな彼の心情を見抜いてか、カラ松は両手を広げてみせた。 「カラ松兄さん!!」 砂を蹴り思い切りカラ松に抱き付けば、彼は大きな胸でそれを受け止めてくれる。 「カラ松にいさん!!好きだよ!!大好き!!」 「ああ、そうか……」 先程からの態度でなんとなくそんな気がしていたカラ松だったが、やはり言葉にして言われると嬉しい。 意地っ張りな末っ子の意地をこうして崩せたことも嬉しかった。 「……こんな僕でいいなら、カラ松兄さんのものにして」 首に手を回したトド松に耳元でそんなこと言われれば、もう自制が効かなくなる。 「トド松、この辺に静かで人気のない場所ってないか?」 「えっと……海水浴客向けの休憩所が……今の季節なら誰もいないかも……」 「そうか、それはどこにある?」 我ながら余裕がないなと思いながらカラ松が訊ねるとトド松は口元に手を置いて答えた。 「僕らが住んでる家のすぐ近……あ!!」 「え?」 突然なにかを思い出したような声を上げられ驚くカラ松。 「さっき、おそ松兄さん達も来てるって言ったよね!?一松兄さんも?」 「あ、ああ……」 「ヤバい、十四松兄さんに会っちゃうじゃん、大丈夫かな?チョロ松兄さんがどうにかフォローしてくれるといいんだけど……」 「トードーまーつー?」 「へ?」 こんな時に他の男の名前を出すなと先程言ったのに、この末っ子ときたらコレだ。 なにも解っていないキョトンとした瞳に毒気やら色んなものが抜けて、カラ松は「フフッ」と柔らかく微笑んだ。 「では、十四松とやらを救いに行きますか?騎士様」 「え?騎士様??さっき自分を騎士って言ってなかった?兄さん」 「だから、俺が騎士ならお前もそうだろ?」 そう言ってウィンクを投げれば、トド松は一瞬呆気にとられたような顔をした後、満面の笑みを浮かべ。 「そうだね、それがいいや!」 カラ松へウィンクをし返した。 浜辺から家に帰る途中、コンビニの前で昼間からビールを飲んでいるおそ松とチョロ松を発見した。 何故か殴り合った痕のある二人に声を掛けると一松と十四松はお取込み中だと言われた。 トド松は「一松兄さんも十四松兄さんのこと好きだったの!?」と驚いて、この一年の自分達の苦悩はなんだったのかと嘆く。 「まあいいじゃん、おかげでドラマチックな再会ができたわけだし」 「僕なら御免こうむりたいけどね」 「うぅ……チョロ松兄さんも知ってたなら言ってぇ?」 「ヤダね」 「まあ離れてた期間のことはコレから取り戻していけばいいじゃないかトッティ」 「って兄さんはなんでトッティ呼びに戻ってんの!?さっきまで名前で呼んでくれてたのに!!」 カラ松の照れ隠しに気付かないトド松は更に嘆き、その様子にカラ松がオロオロと立ち回るという長男的に面白い場面が見れご機嫌なおそ松は、カラ松の肩に腕を回しひそひそと話し始めた。 「そうだ、俺は明日チョロ松の新幹線に合わせて帰るけど、お前と一松どうする?」 「は?」 「明後日、俺達の誕生日だろ?当初の目的忘れてんのか?」 トド松にプレゼント渡しに来たんだろうと聞かれ、カラ松はハッとする。 無駄にキリッとした表情を浮かべ、おそ松に「そうだったな、あまりにもマイハニーがキュートだったから忘れていた」と意味不明な理由を言ってのける。 (うわっウザッ!) 最近すこしマトモだったと思ったのにトド松と両想いになった途端これだ。 しかし、おそ松は「まあカラ松はこうでなくちゃ」と思い直し、そろそろ家に戻るかと、弟を慰めようとして逆鱗に触れているチョロ松へ声を掛けた。 久しぶりに六つ子が揃うんだ。 今夜は最高になるし、きっと明後日も最高の夜になるだろう。 69 69 69 69 69 69 数カ月後―― 「トド松ーーー!!!」 「うっわ!!」 チョロ松とトド松が居間でテレビを観ていると、別の部屋から十四松がわっせわっせわっせわっせと走ってきて、どぉーんとトド松に抱き付いてきた。 「どうしたの兄さん!?」 どうしたの?と訊いているが、どうせいつものアレだろうとチョロ松は再びテレビの方へ目線をうつした。 「あのね、トド松あのね」 トド松に抱き付いた十四松はテンション高く「あのね」を何度か繰り返し、そして更に強く抱き付きながら…… 「一松兄さん好きぃー」 そう言ってプシューと力を抜いてゆく。 相手間違えてませんか?とチョロ松は思う。 するとトド松も十四松の背中に手を回しギュッと抱きしめ…… 「僕もカラ松兄さんが好き」 と言う。 意味がわからない。 「意味がわかんない……」 チョロ松は思ったことを言葉に出していた。 「一松兄さんが優し過ぎて死にそう」 「僕もカラ松兄さんのせいで毎日心臓ばっくばく」 「ねぇ、なんで此処で言うの?」 本人のいるとこで言えばいいのに、と無駄だと思いつつツッコミを入れる。 「そうだね、十四松兄さん……二人きりになれる所に行こう?」 「いや、そういうことじゃなくてね……」 「うん、屋根裏でいい?トド松」 「危ないし汚いから上っちゃダメって言ったでしょ!?」 なんていうチョロ松のツッコミも聞いていない。 「駄目だこりゃ……」 チョロ松は頭を抱えた。 末二人の弟は家に帰って来てから時々こういうことをする、その度に他の兄弟(というかカラ松と一松)のフォローをするコチラの身にもなって欲しい。 「じゃあね、チョロ松兄さん!僕らはどっか出掛けてるってことにしといて」 「オナシャス!!」 「はいはい」 結局二人の言うことを聞いてしまうチョロ松も甘い。 なんでも十四松とトド松は、約一年間おはようからおやすみまで「今日も大好きです」「カラ松兄さん好き」「一松兄さん好き」「優しい」「カッケー」「今日も兄さんを想えて幸せでした」と言い合う生活をしてきた故、家に戻った今でも気を抜くと本人に言ってしまいそうになるらしい。 チョロ松からすれば本人にこそ言ってやれと思うのだが、二人はどうしても恥ずかしいのだと言う。 「あーもう、さっさと治んないかなぁ」 一人残された部屋でチョロ松はちゃぶ台に突っ伏した。 ああやってカップルの片割同志でこっそりされる方がカップルに堂々とラブラブされるよりも弊害があるのだから堪らない。 「てか、言ったらいいじゃねえか、せっかく好きな人に好きって言える立場なんだからよぉ」 酔っぱらってもいないのに管を巻き出したチョロ松の元に、カラ松と一松が「トド松を知らないか?」「十四松知らない?」と聞きに現れるのは数分後のこと。 一松の首に紫のタオルが掛けられ、カラ松のポケットから細身の眼鏡ケースがはみ出しているのを見て、微笑ましく思う。 チョロ松の脳内で悪魔と女神が「本当のことを教えてやれよ」「ダメですよ弟との約束でしょ?」と格闘し、結局女神が勝って嘘を教えてしまうのだ。 いつか悪魔が勝つ日がくればきっと面白いことになるだろうなと、彼は密かに楽しみにしているのだった。 END |