モンスターディスティネーション
じゅうじゅうと肉を焼く音、香ばしいブイヨンの香り、聴覚と嗅覚を刺激する中。 おそ松の視覚を占領しているチョロ松が幸せそうに呟いた。 「今日はアタリの日かなぁ」 卓袱台を挟んで向かい側、求人雑誌から顔を上げて台所を振り返るチョロ松に、おそ松が訊ねる。 「なに?アタリって」 「トド松が言ってたんだよ、十四松の料理にはアタリハズレがあるんだって」 まぁおそ松兄さんの料理よりはマシだろうけどねぇ……とニヤニヤ笑う二つ下の弟にうるせえと一言返す兄だが部屋の雰囲気はやわらかい。 十四松とトド松が家出から帰ってきて以降、軽口を言い合えば腹が立つどころかなんてことない幸せを噛み締めることの方が多くなった。 まあきっとそれも今のうちで、暫くすればまた喧嘩まで発展してしまうようになるんだろうけど、それすらきっと楽しい。 「今夜はカレーかなぁ」 スパイスを炒める香りも漂ってきて、チョロ松はまた幸せそうに微笑んだ。 「カラ松とトド松、早く帰ってくるといいな」 だから、おそ松も笑ってそう言った。 今日はあの海街からカラ松とトド松が帰ってくる日だ。 三ヶ月前の誕生日前々日に再会した松野家六つ子だったがトド松と十四松はすぐに家に帰ってこれた訳ではない。 仕事も急には辞められなかったし引っ越しの手続き等もしなければならず、結局全ての準備が終えたのが七月の初頭だった。 十四松はその時に一松と共に帰ってきたのだが、トド松は払ってしまった家賃がもったいないからとギリギリまであの海街の家で過ごすと言い、それに付き添う形でカラ松もあの街に残った。 結局ふたりきりになりたかったのだろう、薄情な弟達だとおそ松は最初は拗ねていたが、五男と六男の行方も判らなかった時期に比べればこれくらいの寂しさはどうってこともない。 「アイツらどこまで進んだんだろうなぁ〜」 「さあねぇ」 ケラケラと笑うおそ松にチョロ松は「帰ってきたら存分に聞いてやればいいじゃない」と答えた。 この一年間で末弟への優しさを一生分使い果たした気でいる三男は、久しぶりに彼を弄れることを楽しみにしているようだ。 おそ松はそんな二つ下の弟を眺めた後、こいつも元気になって良かったと思う、カラ松や一松と共に初めてあの海街を訪れた日にボロボロに泣いている彼を見た時の感情は、今思い出しても…… 「おそ松兄さん?」 雰囲気の変わった兄を心配してかチョロ松が雑誌を置いて傍に寄ってきた。 「いや……早く会いてぇなあ……って」 「そうだね」 そんなことを思っていたのではないと気付きながらもチョロ松はおそ松の言葉を肯定し、彼の膝にピタリと自分の膝を付けて、彼の手を優しく握る。 末弟への優しさを使い果たした彼でも長男へ向けるものはまだ残されていたようだ。 それはどうしてか切ない気持ちにさせた。 「いつか」 「ん?」 「お前は家を出て行っちまうんだよな」 ぽつりと零れた言葉は、心の中に燻っていたものだ。 家族同士で愛し合う他の兄弟とは違い、おそ松とチョロ松はいつか他人と結婚してそれぞれに家庭を築きたいと思っている、そうすることで両親や弟達を安心させるのが自分の役目だからだ。 チョロ松は就職活動にも積極的で、いずれ本格的な結婚相手探しに乗り出すのだと言っていた。 ずっと家にいるつもりの長男とは違い三男はそんな相手が見つかればこの家を出るだろう。 「大丈夫だよ、おそ松」 チョロ松は時折おそ松を昔の呼び名で呼ぶ、ふたりだけの世界にいた頃と、同じ想いを込めて。 「いつまでも一緒にいる為には、いつも一緒にいちゃダメなんじゃないかな」 十四松やトド松だって、家を離れていたけれど、その間に絆が潰えたわけじゃない。 「離れても大丈夫だからこそ、傍にいる意味があるんじゃない?」 さみしいから一緒にいることは、きっとさみしいことだから、独りで立っていられるからこそ寄りそうことが幸せなんだろう。 「ふーん、お前さぁ本当思い込み激しいよなぁ」 少しだけ元気を取り戻したような兄の声に反応して視線を合わせると、おそ松は透明な瞳でチョロ松のことを見ていた。 「ん?なんのこと?」 「別に、大したことじゃねぇよ」 ただ…… 「さみしいから一緒にいたいんじゃなくて、一緒にいたい奴といられないからさみしいって、思うんじゃねえの?」 それなら無理に独りで立とうとしなくてもいいのではないか、傍にいたいという気持ちこそが大事で、その意味を見出す為に離れるなんてしなくていいのではないか、おそ松はカラ松とトド松、一松と十四松を思い描きながら語った。 あの二組がずっと共に歩いていけるなら自分はなんでもする、自分が長男だからというよりも皆が大切な存在だからだ。 カラ松に謝られた時から、一松の想いを認めた時から、チョロ松の涙を見た時から、うちの兄弟達をひとりだって不幸にして堪るか、そんな気持ちでずっといる。 「コイツとはいつまでも一緒にいられるんだって思えば、いつも一緒にいたって平気だろ?」 自分達はいつか離れ離れになる日がくると知りながら、そんな事を言う兄に、チョロ松はやはり敵わないと思った。 落ち込んでるようだから慰めてやりたかったのに、この強い人は自分ひとりで結論を出してしまうのだ。 「ふーん、僕達ってほんと意見合わないよなぁ」 この人を支えられるように、自分も自立しなければならない、誰が見ても幸せなリア充になって安心させてやらなければならない。 読み過ぎてヨレヨレになった求人雑誌を横目に見て、どうしてか切なくなったけれどその心に蓋をした。 「そういえば誕生日もカレー作ったって言ってたよね十四松」 「ああ、言ってたな」 無理矢理話題を変えても気にした様子もなく、話しを合わせてくれる長男。 誕生日にこの家に戻ってきたおそ松とチョロ松は両親と少し豪華な夕食とケーキを食べたが、海街に残ったあの四人は十四松お手製のカレーを食べたとチョロ松の携帯に写真を送ってきた。 「アイツの中じゃ六つ子はカレーなんだって」 「はい?」 「ご飯は俺、肉はカラ松、ルーはお前、玉ねぎは一松、自分はジャガイモ、人参はトド松なんだって」 「……意味不明なんだけど、おそ松兄さんがご飯っていうのは何となく解かるかも」 「俺もお前がルーってなんとなく解かるわ」 そう言ってクスクスと笑い合う。 「来年の誕生日は俺達もカレーかもなぁ」 「そうかも……そういえば僕結局誰からもプレゼントもらってないな、誕生日」 「えー?俺からやったじゃん、カラ松と一松をトド松と十四松に会わせてやったじゃん」 「ヤダよ、あんなプレゼント……あの時も言ったけどメチャクチャ悔しかったんだからな……」 確かにあの二組の再会はあの時のチョロ松の一番望むものだったが、怖くて出来ないことでもあった。 それをやってのけた長男に悔しさを覚えたし、同時に怒りも覚えた。 (失敗したらおそ松兄さんが責められるのに……) どうせ弟達の仲が余計に拗れてしまっても全て己の所為にしてしまったんだろう、だからあの時チョロ松はおそ松を殴った。 そうしたら、おそ松もチョロ松がトド松や十四松の居場所を知っていて内緒にしていた事に怒り殴り返した。 それから暫く殴り合いの喧嘩をした後、二人で謝りあって「ありがとう」を言い合ったのを思い出し、苦笑が漏れる。 「プレゼント貰えないどころか兄さんからハンカチとられちゃうし」 十四松が一松へのプレゼントに選んだタオルに「1」の文字を刺繍するのに付き合い、チョロ松もハンカチに刺繍を入れていたのだが、あの後おそ松から取られてしまった。 涙でぐしょぐしょになったハンカチを躊躇なく奪って「これは預かっとくからな」と言われたけど、未だにその真意は解からないままだった。 「えーだってあのハンカチに刺繍してたの数字の「1」じゃん、俺の数字だし糸の色も俺の色だろ?」 「そりゃ、十四松がタオルに刺繍したがった文字が「1」だったから僕もお手本として同じものにしただけだよ、赤色にしたのは緑に一番映える色だと思うから……いや、いい……今のは忘れて」 この兄弟大好き長男を調子に乗らせる余計なことを言ってしまったとチョロ松は頬を赤く染めながら後悔する。 「えー?もう聞いちゃった……そうかチョロ松は緑に一番映えるのは赤だと思ってんだなぁ」 「緑が赤の補色だからだよ!美術で習ったろ!!」 「そっかお前それ知ってて緑色を着てたんだぁーーへえーー」 「クソ黙れクソ長男!!」 そう言っておそ松に馬乗りになり殴りかかろうとするチョロ松だったが、その前におそ松の手が伸びてきてチョロ松の頬に触れた。 チョロ松の動きがピタリと止まる。 兄がまた全てを見透かしたような透明な瞳で見て来るから―― 「あの時、お前泣いてたろ……?」 「……」 十四松の話を聞いて、悲しくて、自分を責めて泣いていたろ? 「もう、俺がお前を泣かせたりしないから」 そう言っておそ松はチョロ松を頬を優しく撫ぜた。 その瞬間ドクリと瞼の裏が脈打った気がする、目頭が熱くなって、組み敷いているおそ松の顔が歪んで見えだした。 「もし泣くことがあっても俺が拭ってやるから……」 おそ松はパーカーのポケットから綺麗に折りたたまれたハンカチを取り出し、チョロ松の目元に当てた。 「ここ以外の場所で泣いたりするな……」 チョロ松はそのハンカチを掴み取り、自分で涙を拭う、おそ松は自分の胸元に落ちてきたチョロ松の頭を撫でる。 どうして、こんな日に優しくするんだろう、どうして二人きりの時にそんな事を言うんだろう。 台所から一松と十四松の楽しそうな声が聞こえる、両親は今は出掛けているが夕食までには帰ってくる。 カラ松がトド松を連れて帰ってきて、今日からまたずっとこの家に居られる。 それだけでチョロ松の胸はいっぱいなのに、さっきからおそ松はチョロ松の心を揺さぶるようなことばかりしてくるのだ。 軽口を叩き合って、笑い合って、弱みを見せて、強さを見せて、こんな近くで昔のような顔をして、こんなに優しくしてきておいて…… (泣かせたりしないって、今泣いてんの誰の所為だと思ってんだよ……) ――幸せなんだ。 ――今が一番幸せで、もうずっと此処から離れたくないって思うんだ。 でも、それは許されない。 六つ子が変わるキッカケを作ったのは自分で、皆が傷付いた原因は自分にあるとチョロ松は思う。 みんな揃ってニートになんてなってしまって両親はどれほど気を揉んでいるんだろう、これまでどれほど苦労をかけてきたのだろう。 だからせめて自分は普通に生きなければならない、そして自分の相棒のおそ松にも誰かを悲しませるようなことはさせたくない。 おそ松は誰かを幸せにして幸せになれる人だから……心からそう信じているから、口煩く真面目になれと言うのだ。 (このままでいたって、僕は幸せなのに) 他人を幸せにする為には、他の世界を見なければいけない。 いつまでも“他人と”一緒にいる為には、いつも“家族と”一緒にいちゃダメなんだ。 「大丈夫、大丈夫だよ……チョロ松」 ハンカチから漏れ出した涙が赤いパーカーの色を変える。 それに気を悪くした様子もなく、おそ松はチョロ松の整えられた髪を撫でる。 「兄ちゃんは、お前らを誰ひとりだって不幸にしないから」 けれど自分が幸せになるとは言ってくれない兄に、チョロ松は黙って頷くしかできなかった。 END なんか切ない感じに終りましたね…まあこのシリーズの当初の目的はカラトドと一十四に多大な迷惑を掛けられる速度松が書きたかったからだからいいんです(よくないよ) 今んとこ速度松をコンビのつもりで書いてるんですが(いや、速度が相方を兄弟的な意味で大好きなのは公式だ←言い聞かせてる) もしこの速度松に恋愛やら他の感情がプラスされたら凄い拗れるだろうなことになるだろうなって思います… ていうかチョロ松の方はもう既に好きなんじゃ……?って思ったりもします(やめてあげて切ない) |