灌がれた先に
カラ松とトド松を二階に残し、一階に降りてきた兄弟達は、やはり各々自由に過ごしていた。 そんな中、バランスボールに乗りながら十四松がパソコンで求人情報を見ているチョロ松の背後に近付いてこう言った。 「チョロ松兄さんはよかったね」 「んーー?なにが?」 「もし、おそ松兄さんがカラ松兄さんと同じ病気になってもおそ松兄さんにももう一個心臓があるから」 だからトド松と同じことはしなくて済む、そう言いたいのだろう。 チョロ松は振り返って十四松の頭を撫でると、優しく微笑みながら言った。 「大丈夫、一松が同じ病気になったら、きっとおそ松兄さんがもう一個の心臓をくれるから」 「そっか」 なら安心だ。 そう言って十四松が笑う。 「……」 傍で聞いていて落ち着かないのは、おそ松と一松だ。 今の会話ではまるでカラ松たちと同じ状況になった時、チョロ松がおそ松に心臓をあげて十四松が一松に心臓をあげることを二人が当然のように思っているみたいだ。 というか弟達にとっては当然なことなんだろう、だから聞かされた兄がどう思うかなど考えずに平気で会話にしてしまう。 ただそれはトド松のように恋愛由来ではないことも解る、チョロ松はおそ松が長兄として松野家に必要だからと考えるし、十四松は多分なにも考えてない。 (まぁ俺が死んだら多分みんな壊れちまうだろうしな) (そんなことで十四松死んだら僕も死ぬし……) まぁ、そんなものは所詮机上の空論、実際大切な人にドナーが必要となった時に迷わず自らの命を捧げられるかと言えばそうではない。 カラ松がそうなった時にそれを思い付いたのが六つ子の中でトド松ただ一人だったことからも言える。 (やっぱ愛だねぇ) おそ松は苦笑しながら天井へ目をやった。 うちの末っ子にそこまでさせたんだから幸せにしろよ、もう二度とうちの次男を悲しませるようなことすんなよ。 そして、おそ松は自分の左胸に手を当て、心の中で語りかける。 どうかうちの弟達を見守っていてくれよ。 69 69 69 69 69 69 数日後、久しぶりにトド松はゆっくりとスマートフォンを捜査することが出来ていた。 ただ、メッセージを送りあう相手は自分の兄弟達だけど……女の子たちにも久しぶりに連絡を取ってみようかと思うけれど、あの時フリーだった子ももう彼氏が出来ているかもしれない。 他人のものに手を出すのは面倒だ。 新しい出会いを求めて出掛けてみようかと思うけれど、帰って来たら兄達にどこ行ってきたのかと根掘り葉掘り聞かれるのだろう。 それも面倒だ。 ハァと溜息をついて大の字に寝転がる。 今、家にはトド松ひとりしかいない。 父母は法事があるからと長男を連れて泊まり掛けで田舎に行った。 次男は昼飯と夕飯の買い物。 三男は好きなアイドルの地方公演のチケットが取れたからと遠征中。 四男五男は野球のナイター、その後二人でカラオケオールするからとスマホに連絡が入ってきた。 『クソ松兄さんの言う事ちゃんと聞くんだぞ』と敬ってるのかどうか微妙なメッセージを読んでハァともう一度溜息を吐いた。 自殺未遂して以来ずっと自分に付きっきりだった一松と十四松がやっと離れたかと思えば妙な気を回されただけだ。 過保護な二人はお節介な二人にクロスチェンジしてしまった。 一つ上の兄のことは次男とは別の意味で大好きだがそろそろ本気で鬱陶しい。 もういいじゃないか、カラ松兄さんは生きてるし、僕だって死んでない――そう言うと自分の命をついでみたいに言うなと怒られた。 まぁ、そんなことをよりも…… 「今夜はカラ松兄さんと二人きり」 自分で呟いた言葉に赤面する。 (僕とカラ松兄さんて恋人同士だよね?うん、そうだよね、兄さん好きって言ってたし、エッチもしたし) ごろごろ左右に転がりながら赤くなる顔を両手で隠すトド松。 (エッチ……こないだは最後まで出来なかったけど、今日こそは……) なんだかんだ言いながら、一松と十四松のお節介には乗らせてもらう気満々だった。 (あの時はなんの予備知識もなかったし、あのまましちゃわなくてよかったかもしれない) トド松は寝転がって上を向いたままつい先日の事を思い出していた。 おそ松達によってカラ松が倒れた時の自分の行動を暴露されてしまい、その時に言った台詞までバラされたせいでカラ松への好意もバレてしまった。 なんの心構えもしていなかったトド松の頭が恐慌状態になってしまった時、カラ松から急に抱き締めらたのだ。 その後は焦って何を言ったのかあまり覚えていない、ただ、この事はもう忘れて欲しいと言ったらカラ松は少し怒った顔をしてトド松の唇を塞いできた。 その後、好きだと言われて押し倒されて、勢いのまま最後までやってしまいそうになった所で何の準備もしていないことを思い出した。 あの夜は愛撫と抜き合いだけに終ったが、カラ松はいつかトド松を抱きたいと言っていたしトド松もそれを了解した。 別に急がなくていい、トド松の覚悟が出来たら教えてくれ、ずっと待ってる……なんて格好付けてる時の百倍かっこよく言われときめいたりもしたのだが……トド松は焦っていた。 (カラ松兄さんの気が変わらないうちに既成事実作っとかないと) 恋愛ごとではクズじゃないカラ松はきっと一度寝てしまえば責任を感じてすぐに付き合いを解消したりはしないと思っているからだ。 トド松はどうもカラ松の恋を真剣なものとして捉えておらず、自分へ対する好意を一時的な勘違いだと信じ込んでいるようだった。 きっとカラ松もそのうち勘違いだったと気付く筈、嘘の下手な男だからトド松に正直に告げ別れて欲しいと懇願してくるだろう、それまでの期間を少しでも延ばす為には性交渉が必須だ。 自分はおそ松のように強いわけでもチョロ松のように頼れるわけでも一松のように優しいわけでも十四松のように純粋なわけでもないし、性格が悪いという自覚があるがカラ松の為に肉体的な奉仕はしてやれる。 いつか別れてしまってもカラ松の童貞をもらえて自分の処女をあげられた事実があれば、その想い出を糧に一生いきていけるくらいのことは思っていた。 トド松は末っ子だ。 末っ子ゆえに器用で要領よく外ではよく可愛がられる、ただ兄達には敵わないし兄達から搾取される側だった。 兄弟間での自分の役割は如何に兄達にとって都合のよい弟であるかどうか、その枠に収まることで漸く仲間にいれてもらえている、同じようにカラ松にとって都合のよい存在になれば恋人期間はそれだけ長くなるのだ。 トド松は末っ子ゆえに弟が可愛くてしかたのない兄心というものを全く理解していなかったし、カラ松がトド松を選んで共に行動する意味も全く理解していなかった。 「ただいま」 トド松の脳内の半分以上を締めていた人物は予想より早く、そして普通に帰宅してきた。 「ただいまトド松」 「お、かえりカラ松兄さん」 カラ松が居間に入ってくる前に上体を起こし、付けっぱなしのテレビの方を向いたトド松は彼に背を向けたまま返事をした。 家の中に二人しかいないという状況を変に意識してしまい、正面から彼の顔を見られなかった。 「昼は弁当でいいか?夜のことはお前に聞いてから決めようと思って」 “夜のこと”という言葉に内心ドキリとした。 「母さんに金もらったしチビ太に教えてもらった刺身の旨い居酒屋にでも行くか?」 そこはカラ松にとってはトラウマの場所だったがトド松が行きたいと言うなら行ってもいいと思いながら訊いた。 一方トド松はせっかく他の家族が留守にしているのだから外出するのは勿体ないでしょと、心の中で訴える。 「僕がなんか作るよ、そのお金は貯めとこう」 「そうか……二人で貯金するのもいいな、いつか旅行でも行けるように」 「へ?」 今度の釣り堀代にでも宛てようという意味で言ったのに、思わぬ提案をされてトド松は戸惑う。 こんな痛くてナルシスト通り越してサイコパスな兄と旅行?和風の温泉旅館でスパンコールの浴衣を着ていそうな兄と旅行?世界遺産で変なポーズとって日本の恥だと言われそうな兄と旅行? そうやって頭の中で必死に否定要素を並べるが、カラ松と二人で観光を楽しむ様が浮かんでいるのか、期待と歓喜が表情に出ていた。 「ふーん、兄さん達に見つからないようにしなきゃね」 わざとぶっきらぼうに言う弟にカラ松はフッと笑って買ってきた弁当を卓上へ下ろした。 再びテレビの方を向いたトド松の後ろを通り廊下へ出る、背中から抱き締めてやりたいがその前に手洗いうがいをしなければ風邪菌などを有しているかもしれない、退院して以来体調に気をつかうようにしていた。 洗面所へ向かいながらカラ松最愛の弟について考える。 思いつきで旅行と言ってみたがトド松が喜んでくれたようでコチラも嬉しくなった。 自分の兄弟を恥ずかしいと言いながらトド松はカラ松の誘いには乗って来てくれる、トド松がわかりやすく甘いのは十四松へ対してだが他の兄達にも甘いところがあった。 これは自分にも当てはまるけれど、まずトド松が本気で怒ることは滅多にない、そして辛辣なツッコミをいれてくるが本気でそれをやめさせようとはしない、どちらも諦めているだけかもしれないが諦めと受容は似ていると思う。 だからこそトド松から「兄さん達が恥ずかしい」と言われた時に皆ショックを受けたのだろう、それはあの時まで兄の尊厳を守ってくれていたという証拠だ。 あとは末っ子だから兄の変化によく気が付く、カラ松の服装のこともいつも駄目出しされる。 ただ、他人が自分の為になにかしてくれることをいつも嬉しそうに受け止めるトド松なら「お前の為に服装に気合を入れた」と言えば「イタイよねぇ」と言いながら心の中では喜んでくれるに違いない。 (愛しいな) 再び居間に戻ったカラ松はトド松の後ろに座り、そっとその体を寄せた。 「兄さん?」 驚いたような不思議そうな声がトド松から上がるがカラ松はこんな時に限って良い言葉が思い浮かばなかった。 なんせ大人になった次男は寡黙というか口数が少なく、喋ったかと思えば意味不明な単語ばかり、トド松には彼からの愛なんて一割も伝わっていないのだろう。 「……死ぬなよ」 「……?」 結局カラ松はずっとこの弟に言おうとしていた言葉を選んだ。 一松達からトド松が死のうとしていた時のことを聞いて以来ずっと強く思っていた言葉だ。 あの日は言えなかった。 おそ松からトド松を触られたのを見て湧き上がった独占欲と執着が、トド松の『僕の心臓をカラ松兄さんにあげてください』という文字によって満たされてしまったのだ。 本当なら嘆き哀しみ諭さなければいけない弟の行動に対して、あの一瞬だけは歓喜を覚えてしまった。 こんなの絶対に忘れてなんてやらない。 『トド松は俺に命を捧げている、トド松は俺のものだ、ああなんて愛おしいんだろう……!!』 後々考えると怖くて堪らない。 あの瞬間の感情はもう一生閉じ込めておかなければならない。 「うん、兄さんが生きてるうちは死なないと思うよ」 嘘吐きだ。 その兄さんの為に死のうとしたくせに。 だけどそんなことは言えなかった。 それを言えばトド松の笑顔が翳ってしまうと知っていたからだ。 「今日は静かだな」 「うん、僕ら以外誰もいないからねーー」 一松兄さんや十四松兄さんも帰ってこないらしいよ。 告げる声がほんの少しだけ震えているのは気のせいだろうか。 カラ松がトド松の耳元で「じゃあ二人きりなんだな?」と聞くと「うん」と言って顔を膝に埋めてしまった。 その肩に顎を寄せ桃色に色付いたうなじに首を預けた。 あたたかい。 「それならトド松」 格好つけたいのに、心臓がバクバクと波打つのが相手にも聞こえているだろう。 でも、それが自分らしいのかもしれない。 「今日くらい甘えてみろよ」 トド松がカラ松の腕から逃げ出し、強制的にかくれんぼが始まるまで数十秒―― 『クソ松兄さんの言うことちゃんと聞けた?』 そのメッセージに気付いたのは翌日の朝だった。 END トド松がネガティブだとカラ松の彼氏力が高くて カラ松がネガティブだとトド松の彼女力が高い だいたいそんな傾向 |