その日、家にはチョロ松とトド松しかいなかった。
後の四人は揃って近所のプールのプール開きへと行っている。
最初に五男が四男にプール開きの知らせを見せ一緒に行こうと誘い、二人だけだと心配だからと長男次男も付いていくことになったのだ。
次男からお前も来ないかと誘われた六男は日焼けするからと断り、三男は夏風邪気味だからお留守番だと長男に申し付けられた。
「カラ松兄さん今頃かっこつけてるんだろうねぇ、平日の市民プールなんて人妻と子どもしかいないだろうに」
その光景を思い浮かべたてうんざりと呟く末弟にチョロ松は兄弟相手にあざとさを発揮するお前に言われたくないだろうと思いながら、額に貼っていた冷却シートを外す。
六時間持続するとパッケージには書かれているけれど朝から貼って昼には全く冷たさを感じなくなっていた。
扇風機にビニール紐を付けて回せば一松のネコダチが手をおいでおいでするように動かして掴もうとする、これが見たくて毎年ビニール紐を付けるのだ。

「お腹空いたねぇ」

ちりんと風鈴の下、陽炎が踊る庭を眺めていた末弟が言う。

「なにが食べたい?食欲ある?」
「うん、おかげさまで」

ボケ担当の四人が出掛けているのでチョロ松は随分と休めている、トド松も今日は大人しくしているし、生意気な事も言わないのでただの可愛い弟だった。

「キャベツと豚肉あったから生姜焼きでもいいね、たくさん作って肉巻きおにぎりにして兄さん達が帰ってきたら勝手に食べるだろうし」
「ああプールの後って凄いお腹空くし、眠いよね」

さっと食べれてすぐ寝れるものがいいかも、と言いながら肉巻きおにぎりというチョイスに苦笑した。
どこまでが打算でどこまでが天然なのかよくわからないけれど、皆が喜ぶならそれでいいだろう、労力の出し惜しみはしても好きな人が笑顔になることは渋らないところは好感が持てる。

「じゃあ作ってくるね、扇風機台所に持ってくよ」
「はいはい」

猫から扇風機を取り上げて運んでいくトド松と、その後を追いかけてゆく猫、今度は揺れるコンセントに飛びつこうとしている姿が可愛くてトド松は笑いながらくるっと一回転している。
さっさと行けよと思いながらチョロ松はエアコンのスイッチを入れた。
台所への扉は開けているから少しはトド松まで冷気が行くだろう、窓を閉める前に空を見上げた。
今夜は晴れるだろうか――

「一生懸命働いても一年に一度会えるか解からないなんて、僕らを見てどう思うだろうね」

今夜は七夕、織姫も彦星も一年中ニートの自分達の願いなんて叶えたくはないだろう、それにこの願いなら神様に頼まなくても神様以上に叶えてくれそうな相手がいる。

「おにぎり四つ作ったらご飯なくなっちゃった」

三十分くらい経ってから、居間へ戻ってきたトド松は意気消沈した様子でチョロ松に報告してきま。
そういえば今朝は皆おかわりを何回かしていたなと思い出す。

「もうこのおにぎり二人で食べちゃおっか……」
「いや、折角作ったのに、ていうか生姜焼きもあるんだろ?」
「うん」

とはいえ今から米を炊いていたのでは生姜焼きが硬くなる。

「素麺茹でようか?たしか母さんが大量に買ってた筈」
「ああ!その手があったね!ナイスだ兄さん!!」

チョロ松の提案にトド松の目が輝き、台所へと引っ込んで行った。

(ナイスだ……って)

クスクス笑いながらチョロ松も立ち上がり台所へ行く、火を使っていたからか部屋よりも暑い。

(そりゃご飯足りなくなるだろ)

というくらい大きなおにぎりが四つ並んでいるのを見て苦笑する、
トド松が湯を沸かしながら素麺や器を用意しているのを尻目にお盆に生姜焼きと箸と麦茶を乗せ、おにぎりは一つ一つラップで包んであったのでそのままテーブルの上に置いておくことにした。

「代わろうか?熱いでしょ」

一度食卓に置いて戻ってくると丁度湯が沸いたところでトド松がパラパラと素麺を鍋の中へ放り込んでいた。

「いいよ、兄さんは笊とか準備しといて」
「わかった」

相手の体調を見て丁度いい案配で頼んでくるトド松はやはり人心掌握術に長けているように感じる。
これが他の兄弟だったら風邪気味なのだから、とにかく休んでいろと言われるだろう。
チョロ松はシンクに笊を置き冷蔵庫からめんつゆと氷を取り出し、そうだ、と思い立ち野菜室から小ネギを取り出した。
軽く洗って鋏で切っているうちに麺が茹で上がったようでトド松が鍋を持ち上げてシンクまで持ってくる。
水を出しながら笊に上げて軽く揉み洗い、器に移して水と氷を入れれば素麺の出来上がりだ。
めんつゆを入れたお椀の中に小ネギを落とし、先に行っていると声を掛けて居間に戻った。

「ふぁー涼しい、こっちは天国だね」
「ほんとだよ」

素麺と生姜焼きの並んだ食卓に座り二人そろって「いただきます」をする。
既製のタレで作ったとはいえ味の沁み込み方と焼き加減が絶妙だとチョロ松は思ったけれど口には出さず、ただ箸を薦めた。

「そういえば素麺の中に一本だけ緑とかピンクの麺が入ってることあるじゃん」

と、トド松が言うが今回の麺は全て真っ白だった。

「うん?そうだな」
「ねえ気付いてた?そういう時って絶対おそ松兄さんが緑の麺をとるんだよ?」
「……へ?」
「偶然かなって思ってたけど、いっかいボクがとろうとしたときにスッと割り込んできてとったもん、多分わざとだよ」

そう言ってニヤリと笑う末っ子にめんつゆぶっかけてやりたくなったが寸前で堪えるチョロ松、その頬はほんのり赤い。

「じゃあピンクの麺は?アイツがとるのか?」
「えー?どうだろ?だいたいボクがとってると思うけど……カラ松兄さん意識もしてないんじゃないかな?」

別に誰もカラ松のことだなんて言っていない。

「あと、おそ松兄さんサクランボ入ってる時は兄さんにあげるよね、あれチェリー松とかからかってるけど実は違うのかもよ?」
「……」

トド松の言葉に返事をせずチョロ松は千切りキャベツを頬張る。
これ以上余計なことを言っては怒られると察したトド松は話題を変えようと部屋を見渡して、リモコンを発見した。

「ねえテレビ観ていい?」
「……ん?いいよ」

テレビのスイッチを入れると平日の昼にやっているグルメやファッションの情報番組が映った。
レギュラー出演しているアイドルが可愛いという理由でチョロ松も好きな番組だけれど、時々人生を謳歌しているような若者が出て来ると劣等感が湧く。
今日は七夕なので七夕特集なるものが始まっていた。

「そっか七夕かぁ……何年か前まで短冊書いたりしたよね?」
「そうだな、高校生の頃は十四松は“野球”って大きく書いてたよ」
「野球がしたいのか野球が上手くなりたいのかわかんないよね」
「一松は肉球が押してあった」
「解読不可能だったね」
「カラ松は“みんなを笑顔にしたい”とかイタいことを……」
「努力の方向を間違えてなければイタくないのにね」
「おそ松兄さんは“カリスマレジェンド”だっけ?もうアイツ意味わかんない」
「そう言うチョロ松兄さんは即物的なこと書いてたよね毎回」
「うっせぇお前だって」

その時に欲しいものを書いていた。
だって大それた願い事は恥ずかしいじゃないか。

「今だったら何て書く?願い事」
「はぁ?この歳になって?」
「いいじゃん、いくつになっても夢見るのは自由だよ」
「夢って……だいたい織姫と彦星がいたとしても俺達みたいなのの願い事きくわけないだろ」
「えー?なんで?」

そう聞かれ、小一時間ほど前に空を見上げて思った事を口に出す。

「だって織姫と彦星は一年間一生懸命働いたって一年に一度逢えるかどうかも解んないのに、僕ら働かなくても好きな人に毎日逢えるんだぞ?俺が織姫だったら絶対そんな奴らの願い叶えたくねえわ」

すると、トド松は目をぱちくりと瞬かせた。
そんなにビックリするようなことを言ったろうかとチョロ松が首を傾げると、トド松は首を左右に振ったあと嬉しそうに「それもそうだね」と笑った。

「でもボクらこのまま就職しなかったら我が家の神様から追い出されちゃう可能性も……」

神様という名の両親の顔を思い出し溜息を吐く、チョロ松も同じ事を思ったのか苦々しい表情をする。

「まぁカラ松兄さんとボクはチョロ松兄さんが養ってくれるとして」
「ってオイ!!おそ松兄さんにあの二人を任せる気か!?」
「大丈夫だって一松兄さんも十四松兄さんも実はイイ子だから」
「それは知ってるけど」

やはり風邪気味なのかツッコミのキレが悪いし、そもそもツッコミどころがズレている兄をそっと心配しながら、トド松はテレビの方を見た。
今夜の天は澄み渡っていて、都市から少し離れれば天の川が見れる可能性が高いという、願い事をするつもりはないけれど星を見るのはいいかもしれない。
帰ったら兄達に提案してみようか、その為にはチョロ松の体調が夜までに良くなってくれなければいけないが。

「そうだ、彦星さんにチョロ松兄さんの風邪が早く治るようにお願いしようかな」
「は?」
「って言っても我が家の彦星さんにだけどね」
「え?」
「フフ……さっきチョロ松兄さん自分が“織姫”だったらってナチュラルに言ったでしょ?だから自分達を織姫彦星に置き換えて想像したことあるのかなって」

そうじゃなければ自分のことを“彦星”に喩えるだろう……と、指摘されたチョロ松はバツが悪そうに眼を逸らす。

「図星?」
「……悪いかよ」
「ううん、でもどうだった?想像してみた感想」
「いや、まずせっせと働くおそ松兄さんなんて有り得ないだろ」
「アハハ!言えてる」
「つまり神様が結婚を許した時点で二人とも怠け者なんだよ、だから離れ離れになることはない」

うんざりした風を装いながらも断言する兄にトド松は「なるほどね」と頷いた。

「そういうお前も想像したことあるんじゃないの?」
「ええー?ないよそんなの」

その返事に意外だなとチョロ松は思う、カラ松が演劇部だった頃は台本を読ませてもらっては登場人物に感情移入していた記憶がある。
だがしかし、何故か主役ではなく悪役の方に共感していたような……そこは可愛い王子様やお姫様ではないのかと何度か思った。

「だいたいボクは織姫彦星よりデネブになりたいし」

今回もそのようだ。

「デネブって……夏の大三角形の?」
「そうそう、天の川の真ん中にある星だよ、最初から川の中にいたら織姫彦星どっち側でも行けるじゃん」

これは言外に自分は長男と三男のどちらの味方にもなると言っているのではないだろうかと怪訝に思っていると、トド松はクスクス笑い出した。

「楽しそうだなって思うんだ……織姫と彦星の話しをしたり彦星と織姫の話しをするの」
「……トド松」
「さてと、ごちそうさま!チョロ松兄さんもさっさと食べちゃってよ」

いつの間にか昼食を終えていたトド松は、全然箸の進んでいないチョロ松にそう言って、自分の使った食器をお盆の上に乗せ食後の麦茶を飲んでいる。
器の中には半分に減った素麺、皿の上には生姜焼きが二切れとキャベツの丘、チョロ松はもう一度いただきますをして、まずは素麺の方へ手を伸ばした。
この末っ子は自分のことはあまり話さないのに、自意識が高い話は厭がるくせに、ベタベタすれば鬱陶しいという顔をするのに、兄弟達の恋愛話は好きだと言うのだ。
真っ白な麺を一口一口噛み締めながらトド松を見ると彼は涼し気な表情をしてスマートフォンを眺めている。

「ごちそうさまでした」
「おそまつさまでした」

器と食器を重ねて二人で台所へ運ぶ、食器を二人で片付けているとトド松はチョロ松に内緒話をするように打ち明けてきた。

「実はあの肉巻きおにぎりね、一つだけご飯の中にも肉が入ってるのがあるんだよ」

選んだ人は当たりだよ、ラッキーだねと言うトド松に、やはりこの弟は打算的だとチョロ松は思った。
きっとカラ松に当たれば単純に嬉しく、たとえカラ松に当たらなくても兄弟が自分の作ったものの為に喜んだり悔しがっているのを見て嬉しいと思うだろう。
それに何よりこんな些細な事でも、好きな人に対し『ボクは誰か一人を特別扱いできるんですよ』というアピールが出来る。
きっとウチの次男を釣り上げるのには有効な手だ。

「でも、まあ……よね」
「へ?なんか言った?チョロ松兄さん」
「別に?」

“きっと気付かれてるよね”という言葉は、食器を水切りカゴに伏せる音で掻き消されてしまった。
ト何故カラ松がピンクの素麺をとらなくても平気でいられるのか、何故トド松が自分たちを織姫彦星になぞらえたりしないのか、トド松自身は一生気付けないかもしれない。

(けど大丈夫、お前がデネブならきっと僕もそうだから……どんな大波がこようともけして二人から離れたりしないよ)


――と、チョロ松が一つ上の兄に劣らぬイタいことを考えてしまうのは、やはり風邪が原因なのだろうか――





おしまい