スイセイコチョウラン
カラトドでオチだけおそチョロ。夢想妊娠(夢の中で妊娠する・他人に感染する奇病)トド松


疫病を運んでくるものは何か――
風か水か、それとも全ての流れ行くものか
もしもそれ以外のものが運ぶとしたら
きっと人の欲に呼び寄せられてのことだろう――



゚.+°スイセンコチョウラン ゚+.゚



ふわふわとした午後の陽気、綴じていた瞳を開くと黄色いバランスボールに乗った一つ上の兄が気持ちよさそうにまどろんでいた。

「おはよトッティ」
「んーーおはよう十四松兄さん」

バランスボールに半分ほっぺたを潰された兄のちょっと舌ったらずな声に特段違和感も感じずに挨拶を返す。
そんなトド松の声も寝起き特有の間抜けさがみられた。

「トッティ、このところ昼寝ばっかりだね」
「あったかくなってきたからねぇ」

三月の暦を見ながら、もう年度末なのかと初めて意識した。
自営業やバイトを掛け持ちしている友人が確定申告でヒーヒー言っていたのは記憶に新しい。
たまに日雇いのバイトをするくらいの六つ子には縁のない話だと思いつつ、他の皆が新年度に向けての準備をしていると少々焦りが出てくるというもの……だったのだが、最近のトド松は特に気にはしていないようだった。
ニートも四年以上を過ぎたら五年でも十年でもそう変わらない気がする(四年間は周りが大学生だったので少し劣等感があったが今は尊敬するくらいだ)就職も三十路過ぎるまでに出来たら良いと思えてきた、六つ子の例に漏れず楽観的である。

「しあわせ〜って顔して寝てたよ」
「ほんと?ふふっ……だろうねえ」
「いいなぁトッティ」
「今日も良い夢みれたからね」
「ねえどんな夢?」
「んー?十四松兄さん絶対みんなに教えちゃうからダメ」

バランスボールを抱っこしたままひっくり返っている十四松はタイヤで遊ぶパンダのようだ。
そんな兄になごみながらトド松はその願いを一刀両断するが「言えコラー」なんて言ってボールをぱしぱし叩いている、なごむ。

「他のみんなには黙ってるよ」
「そんなこと言って十四松兄さんカラ松兄さんがパチンコで勝ったのバラしかけたじゃん」
「ぼく言ってないし、それにトド松ぼくが何も言わなくてもカラ松兄さんが勝ったの解ったでしょ?」
「まあ兄さん解りやすいから」

再びバランスボールに乗っかった十四松は焦点の合わない瞳でトド松を見た。

「じゃあカラ松兄さんもトッティがずっと幸せそうにしてるの気付いてるよ、でも自分がワケ聞いたらトッティ答えなきゃいけないから聞けないんだー」
「……」

嘘を吐くのは嫌いだから言いたくないことは言わない、隠し事があってもそこまで重要ではないし兄弟であっても関係ないことは関係ないと思っているから。
でもカラ松に聞かれたらなるべく答えるようにしている、長男三男のようにしつこくはないが拗ねると面倒くさいし思考回路がサイコな奴なので妙な邪推をされると此方の名誉が傷付きかねない。
本当はそれ以外にも理由はあるが、兄弟に何故カラ松には話すのかと聞かれたときにはそう説明していた。

「辛いとか悲しいとかなら自分がどうにかできるかもしれないし他人に話すだけでも楽になるかもしれないから聞き出すけど、トッティが幸せそうならいいんだってぇ独り占めしたい大切な秘密かもしれないし自分に話したことでトッティの幸せが減っちゃうなら知らなくていいんだってー」

十四松はあまり喋る方ではないから、ゆっくりとバランスボールを玩び玩ばれながらカラ松に聞いたらしい言葉を思い出す。
トド松はそれを聞いている途中で片膝を立てて今にも飛び出していきそうな体制だった。
だが、彼の中に迷いがあるのか決心するまで数分かかり、漸く立ち上がったときには十四松はその場にはいなかった。

「よし!」

さっきまで二階の窓際でギターを弾いていて、玄関を開ける気配も窓から突き落とされる気配もなかったからまだ家の中にいるはずだ。
トド松は廊下に出てタタタと階段を駆け上がる、他の兄弟……というか十四松は確実にいるだろうが関係なかった。

「カラ松兄さん!!」

襖を開け、探し人の存在を確かめるとその人の前に滑り込むように正座して叫んだ。

「ボクね!ずっと妊娠してる夢みてるんだ!!」

そう、最近ずっと幸せそうだったのはそのせいだ。

「え……?に、にしん?」

一方、突然のことに驚いていてつまらないボケを発揮するのはカラ松だ。

「ニシンじゃないよ妊娠、夢の中だけどね」
「……誰の子を?」
「カラ松兄さんに決まってるでしょ」

その言葉を聞いた瞬間、ボッと真っ赤に染まった次男。
そんな心配まったくしていなかったが引かれたり気持ち悪がられなくて良かったとトド松は思う。
あと自分がこんな態度だから悲観しているとも思われていないだろう、よしよしいいぞいいぞと自分を褒めてやった。

「えー?カラ松なの?俺は俺は?」

その代わり、空気の読めていない弟大好きっ子長男が面白そうに訊ねてきた。

「いや、カラ松兄さんだから、今回はナンバーワンじゃなくてオンリーワンの話だから」

シッシッと追い払うようにすると長男は三男と四男と五男に飛びついて「弟がつめたーい」と甘えた声を出す。
チョロ松の全身から殺気に似たオーラが立ち込めているがおそ松はどこ吹く風だ。

「長男マジお前もう喋んな」
「今の冗談だとしても無いわー」
「だからトッティ幸せそうだったんだね、カラ松兄さん」

足を伸ばして座っていた三男の膝の上に転がって両腕で四男五男を引き寄せる長男に一人は怒りを込め一人は冷たい台詞を吐き一人は無視して他の兄弟に話しかけていた。

「妊娠……オレとの……そうかトド松お前っ」
「あ、勘違いしないでね別にボク子ども欲しいとは思ってないよ」

ベイビーが欲しかったのか!そうか気付いてやれなくてすまない早速デカパン博士に相談所しに行こう!いやもしや神松のように気持ちだけで二人の愛の結晶が産まれるかもしれないぜ――
などと、職もくせにそんなことを吐こうとしたカラ松を遮りトド松は言った。

「夢の中は誰でも妊娠できる世界だから当然ボクはカラ松兄さんと子ども出来ちゃうんだろうなって思ってたらそうなっただけ、別に子ども産まれるの楽しみにしてなかったし、悪阻も重みも無かったから一生産まずに過ごそうって思ってたくらいだし」
「お前ヒデェな色々と」

横から三男のツッコミが入る、なにやら刺々しいのは夢の中でも子どもを産みたくないと思ったことを責めているのか、そういえば結婚して親に孫を見せたいと考える人だった。
それが役目だから常識的だからではなく世界にひとつだけ自分だけの家庭を持ちたい、純粋に自分と愛する人の遺伝子を受け継いだ者がみたいと思うのだろう。
そういう気持ちのない者を、人の心がわからないドライモンスターと呼ぶ、トド松はムッとして、だから分別の付かないまま捲し立てた。

「子どもなんか要らないと思うくらい好きな人がいるっていうのも、れっきとした人の心だし乾いてるとも思わないよ」

ふんっとチョロ松を鼻で笑えば、逆にムッとされ「じゃあなんで妊娠する夢なんて見たんだよ」と聞かれる。

「カラ松兄さんの分身がボクの中にいれば、カラ松兄さんの意味不明な優しさがちゃんとカラ松兄さんに還元されると思ったんだよ、あと妊婦さんが旦那さんにお腹撫でてもらえるのが羨ましくて」
「……」
「夢の中のカラ松兄さんボクに凄く優しかったし、大切な宝物を触るようにボクのお腹撫でてくれてたの、幸せそうに見えてたのそのせいだよ、子ども生むよりずっとお腹の中に入れときたいと思うのも同じ理由」

だから別に出産願望ないし、実際は妊娠出産できないんだから願望ない方が良いだろう、それなのに責めるような視線を投げてくるとは何事だ。

「まぁお前ら自分大好き過ぎて子育て無理そうだもんなぁ」
「失礼なこと言うね」

長男の言葉にもカチンときたが、横から伸びた手が自分を抱きすくめたのでトド松は「うわっ」と言って床に手をついた。

「カラ松兄さん?」
「……」

なにやら興奮ぎみの次男をはてな?という目線で見下ろすが、鎖骨に埋められた口からグルルルルと獣の様な息遣いが聞こえるだけだった。

「……たぃ」
「兄さん?」

小さな小さな声を絞り出すカラ松に耳を寄せると今度ははっきり聞こえた。

『孕ませたい』

欲望を必至に抑えた低い声から野生の色気のようなものが滲み出ている、いつスイッチが入ったのだろう、トド松の脳裏に「なに言ってんだコイツ!!」と浮かぶが嫌悪感は感じなかった。
先程まで苛立っていた相手……認めたくはないが一番頼りになると思っているチョロ松に目配せすると呆れたような瞳でトド松たちを見ていて「諦めろ」と首をふってきた。

「おそ松兄さんどいて、一松十四松いくよ」

と、おそ松の頭をぽんと退けて弟ふたりに退室の声をかけた。
彼が襖を開けた頃おそ松が「置いてくなよ」と言って三人の後へ続く。
襖が閉められた後、猛獣の檻に閉じ込められたような気持ちになったトド松、それでもいいやと開き直る。

「……オレが」
「ん?」

下に何も敷いていないから掃除が大変そうだなんて、思いながら自分が押し倒されるのに協力する。

「もっといい夢みせてやる」
「それは楽しみだねぇ」

夢の中は痛みも苦しみもなく、カラ松はただただトド松に優しく尽くしてくれて、それでも自分の中にカラ松の分身がいればそれを当たり前のように思えて楽だった。
現実のカラ松はサイコパス風味で、ちっとも思い通りにならないし、独り善がりな理由で身を削りトラブルを引き付けては兄弟を困らせる、はっきり言って馬鹿だ。
現実のトド松だって、見栄っ張りでお調子者で臆病で兄弟を出し抜きたいのにいざという時にツメが甘いから結局兄弟に頼ってしまう、まだまだ未熟者だ。
たとえ本当に子どもを産めたとしたって二人とも良い父親になれるとは限らない、だからボクらにはこの世界がいいのだ、と、トド松はとてものんきに受け止めた。

――それ以来パッタリとその夢は見なくなった



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《夢想妊娠症候群》

チョロ松は手元にある《奇病辞典》という古めかしい本の一ページをまじまじ見詰めていた。
《夢想妊娠症候群》とはその名の通り夢の中で妊娠してしまう病、患者は最初の夢で妊娠させられ十ヶ月間その続きを夢に見せられる、想像妊娠のように体に異常はきたしはしないそうだ。
この病は大昔、鬼だか天狗だかが好いた者の想い人をつきとめようと用いた法だとかそんなことが書いてあったが所詮伝説に過ぎない。
なんでも恋心を拗らせると患うらしく、罹って十ヶ月後に出産の夢を見ると生まれた子が父親(その者の想い人)の元へ行き恋を叶えるよう説得してくれるんだとか、許されざる恋だとしたら有難迷惑もいいところだ。

「トド松さ、夢の中で妊娠何ヵ月くらいだったの?」
「へ?」

この病は大変珍しく江戸以降は廃れたとさえ言われているが周りの者にも感染するらしい……発病するのは女性と書いているがもしかしたら男性にも罹る者がいたのかもしれない。

「妊娠七カ月くらい、お腹がふっくらしてきて赤ちゃんがよくお腹蹴るせいで耳を当ててたカラ松兄さんがびっくりしてた」

そのことを思い出したのかニコニコと幸せそうに微笑むトド松に、チョロ松が「じゃあ感染させたのは僕の方か」と心の中で申し訳なく思った。
ただ一定以上の恋心がなければ感染しないとも書いてあるので、失礼だが少し安心してしまったのである。

「それがどうしたの?」

不思議そうな顔をして訊ねてくる弟に、兄は笑って首を振った。
この病を治す方法はみっつ『夢の中の妊娠よりも現実の方が幸せだと思うこと』『この子を産みたいという気持ちを消すこと』『夢の中で毒を喰らい子を堕ろすこと』

ひとつ目は無理だった。
ふたつ目は……どうしても無理だった。
だからチョロ松はみっつ目を選ぶしかない。

「チョロ松兄さん?」

不安げなトド松を安心させるようにチョロ松は微笑んだ。


「なんでもないよ」


――夢の中のチョロ松は臨月を迎えている――





END

奇病を手作りするのが趣味です(やな趣味)
タイトルを漢字で書くと「睡醒子寵卵」なんですが何語だよって感じ