その瞬間、目の前が真っ白になって、人の声がザワザワとしか聞こえなくなっていった。 爆発事故の現場でドラゴンキッドが負傷した。爆風で飛んできた破片に激突したのだ。 咄嗟にワイルドタイガーが手を引いたが間に合わなかった。血まみれの彼女を抱きかかえ救急車へ運んだタイガーの表情はここからでは見えなかった。 ドラゴンキッドのことは気がかりだが、まだ救助を待つ人がいる限り此処を離れるわけにはいかない。 今すべきことは一刻も早い現場の収拾。 「折紙先輩」 喧騒の中その声だけがハッキリ聴こえる。振り返る前に背中をトンと押された。 「早く終わらせましょう」 ああそうだ、ボーっとしている時間はない。今すべきことを終わらせない限り、先へは行けない。 ヒーロー達は黙々と、時に声を張り上げながら必死で救助を続けた。皆が皆、病院へ運ばれた仲間を想いながら。 その夜、漸く現場が収拾した後、ヒーロー達はその足でドラゴンキッドの元へ駆け付けた。 皆トランスポーターの中で着替えを済ませ、清潔な状態で病院に入ったが面会の許可は下りなかった。 ICUの前で医師から説明を受ける。 「治療は既に終わっていますが予断を許さない状態です。意識が戻るかどうか後は本人の体力次第です」 ひょっとしたらもう目を醒まさないかもしれない、と言われているのだと解った。 「そんなッ!」パオリンの会社の社員らしき女性が悲痛な声を上げて医者に縋ったが医者はその肩を叩いて「今は彼女の体力を信じましょう」と言うだけ、けして大丈夫だとは言わなかった。 ヒーロー達は三か月前のことを想い出す、あの時も大きな事故があり虎徹が重傷を負って同じ事を言われた。 虎徹は大丈夫だったがパオリンはどうだろう、二人の体力差を考えると安易に希望は持てない。だからといって希望を棄てるヒーローはいないけれど。 これ以上ここに居ても病院に迷惑が掛かるだけだからとネイサンが言い、明日も仕事があるのだからと解散することになった。どこか呆然とした様子のイワンも皆につられ病院の外に出る。突然訪れた想い人の危機にまだ感情が着いて来ないのだろう。 そんな彼にかける言葉が見つからず、また自分自身も余裕がないのだろうヒーロー達は暫く無言でその場所に留まっていた。静寂の後ぐずぐずと鼻を擦る音が響き始め、時が動き出したのを感じた。涙ぐむカリーナの頭をネイサンが撫で、アントニオがキースを飲みに誘っている。 では折紙は……? 心配になって虎徹が見るとバーナビーが彼の背中を押してタクシーに乗り込んでいる所だった。 「折紙先輩」 イワンの耳にはまたバーナビーの声だけがハッキリと聞こえた。 「ドラゴンキッドを助けたくはないですか?」 イワンはその声に誘われるままタクシーに乗った。他のヒーロー達からは先輩を心配した後輩が彼の気持ちが落ち着くまで支えようとしているように見えただろう。 今までのバーナビーを思えば確かな成長だと、虎徹は目を細め。僅かに疼く胸の痛みを無視した。 車の通りが少ない道をほぼ独占し、すいすいと進むタクシーの中で真っ直ぐ前を向くバーナビー。イワンは期待を不安を綯い交ぜにしたような声を掛けた。 「あの……パオリンを助けるって……可能なんですか?」 「ええ、貴方の協力があれば必ず」 タクシーが止まったのはシルバーステージにある一軒のカフェの前だった。夜なので当然店は閉まっているがバーナビーは構わず扉を押した。 キィと小さな音を立て扉が開くのを見ながらイワンはバーナビーが此処に来るまでに携帯電話で誰かと連絡を取っていたのを思い出す。今から会う人だろうか。 「ここに棲んでいるNEXTの女性に頼めばドラゴンキッドは助かります、その為に貴方は大事なものを失うことになりますが……」 「え?」 歩を進めながら、イワンは頭の中で言われた言葉を反芻する。 これから会うのは治癒能力を持つNEXTだろうか?どれなら何故自分が大事なものを失うことになるというのだろう。 まさか法外な金額を請求されるとか……?でもバーナビーの口振りを見るとそれは違う気がする。それに金銭が関わるなら自分ではなく彼女の会社の女性に話を持ちかける筈だ。 「いらっしゃい、久しぶりね。バーナビー」 「御無沙汰してます。ミス・ケニー」 やがて、店の奥にある階段を昇るとバーカウンターがあり、そこに一人の女性が座っていた。 鳶色の瞳をしたその人の目をイワンはジッと見詰める。本当なら初対面の相手に真っ直ぐ向いていられるイワンではないがホァンを助けてくれるかもしれない女性なら別だ。 「子供が待っているから手短にね、バーナビー」 ほわほわとした茶色い髪と東洋系の顔立ちからか若く見える。それでもこんな夜更けに留守番出来るくらいの子がいるのか、しかしバーナビーがミスと呼んだからには独身じゃないのかな? 「子供まだ赤ん坊だけど母に預けてるのよ?坊ちゃん」 「え?あ……スミマセン」 イワンはハッと余計な検索をし始めていた自分を叱咤し、首を振った。今はそんな場合じゃない。 「私の名前はマリア・ケニー、このカフェのオーナーよ」 「ボクは、イワン・カイリンといいます」 「そう、イワン……バーナビーから貴方が私に頼みがあると聞いたんだけど」 「はい!」 やはりバーナビーが先に話を通してくれていたらしい。良かった、これでパオリンも助かる。イワンは説明しようと口を開いた。 「実は今……僕の大切な人が……」 声が震えてしまうのは緊張からではない、言葉にしてしまうのが怖いから 「命が危ないんです……だから」 胸がジワリと痛む。つい昨日までは元気でいたのに。 おどおどする自分にいつも暖かい笑顔を向けてくれていたパオリンを思い出す。そんな彼女が今、死にそうになっていて独りベッドで闘っているのだと思うと堪らない。 「助けて下さい」 「いいわよ」 パッと顔を上げてマリアの顔を見る。二つ返事でOKするとは、よほど強力な治癒能力のあるNEXTの持ち主なんだろうか? 「貴方が彼女を想う気持ちを差し出すと言うのなら」 「え?」 彼女は治癒のNEXTではない。しかし、その力は治癒よりも確実で強いものだった。 「私は『心を奇跡に代えるNEXT』なの」 「心を奇跡に……?」 「ええ、解りやすく言うと人の願いを叶えるNEXTね……その代わり願う理由となった『心』は消えてしまうけど」 つまり、どういうことだ?とイワンが隣に座っていたバーナビーを見ると、バーナビーは軽く溜息をついて言った。 「マリアの言っている事そのままですよ。この能力をつかえばドラゴンキッドは助かりますが代わりに先輩のドラゴンキッドを助けたい気持ち……つまりドラゴンキッドを好きだという気持ちが消えてしまいます」 「そんな能力」 「あるのよ……」 NEXT能力は千差万別であり、どんなものでも一概に有り得ないなんてことは言えない。こんなことでバーナビーが嘘を吐くとも思えないし、マリアも嘘を吐いているようには見えない。つまり真実だとイワンはすぐさま結論をだした。 しかし、それはとても本末転倒な能力じゃないだろうか。『パオリンを助けたい』それは仲間として大切に思う気持ちであるが一番大きいのは彼女を特別に想う気持ちだ。 ――それを失うのか? 「……わかりました」 しかし彼が決意を固めるまで時間はかからなかった。 「いいの?」 「はい」 イワンはしっかりと頷く。彼女を想う心を失ってしまっても、彼女を失うよりはマシだと思えるから。 「どの道、あの子を失ったら心が全て死んでしまいます」 「……」 「それなら……」 俯いたイワンにマリアは優しく微笑むとそっとその髪を撫ぜた。そのまま頭に手を翳し目を青く光らせる。NEXT発動だ。 彼女の能力を使う様がまるでマーベリックが記憶を改竄する時のようでバーナビーは眉を顰めて顔を逸らした。自分が彼に薦めたことだから逃げ出しはしなかったけど 「あ……あ……」 心が消されていく感覚はどうなものか経験したことのない者には説明しようもない。ただ大切な何かが目の前から遠ざかって行くような。虚無感と恐怖が襲った。 悲しい、切ない、寂しい、つらい、掴みようもないものなのに伸ばさずにはいられない。イワンは思わずどくどくと頭が沸騰して熱い涙が頬を伝う。 ――二度と帰ってこない、大切な大切な“彼女を想うキモチ” 「……今日はありがとうございました」 そう言いながらバーナビーはぺこりと頭を下げる。彼の相棒がするようなオリエンタル式の礼にマリアは微笑んだ。 あの後タクシーを呼んだバーナビーは気を失ったイワンを背負って店の外に出た。タクシーを待つ間、罪悪感の拭えないバーナビーにマリアは優しく諭す。 「大丈夫よ、今夜の記憶は残るんだし彼女が素敵な子のままならまた恋に落ちるわ……」 「……ええ、そうでしょうね。でも、先輩とド、パオリンさんは両想いだったんです」 先輩達は気付いてなかったみたいですけど、と悲しげに目を伏せる。イワンからパオリンを想う大切な心を奪ったのと同時にパオリンからもイワンから想われる心を奪ってしまったと感じた。 能力の使い方がマーベリックと似ていた為に余計罪悪感と嫌悪感が募る、マリアとマーベリックは全く質の違う人間だと解っていても、そんな能力を使わせてしまった自分が嫌いで仕方ない。 「バーナビーあのね、私はこんな能力を持っているけど悪い使い方をする人に協力したことは一度も無いわ、人を不幸にする為に使ったことも無いつもりよ……結果的に誰かが悲しむことはあるかもしれないけど、でも私は自分の良心に逆らうような願いを叶えたいとは思わないわ」 「わかってます。あなたはそんな人じゃない」 マリアは視線をイワンへと投げかける。 「その子みたいに誰かを助けたいとか、愛する人との子供が産みたいとか」 「え……?」」 「命から命を生まれるのはこの世で一番ありふれた奇跡でしょう?」 と、ふんわり笑うマリア、この人のよく笑うところがバーナビーは好ましく思い、寂しくも思う。 彼女の能力は知っていても具体的なことは何も聞いていない。マリアも他人に語るのは初めてだと言って続けた。不妊に悩むカップルにとっては感謝してもし尽せない奇跡に違いない。ただ、けして結ばれない人との子を宿すことも出来るのでは? 「……それは正しいことなんですか?」 バーナビーは自分の思ったことを率直に聞いた。 「それに願いを叶えればその人の子供が欲しいという心が無くなってしまうのでしょう?そしたらその子を愛せなくなるんじゃ……」 「大丈夫、愛する人との子供だもの……妊娠してる十か月の間にまた心から産みたいと思えるようになるわ」 妙に実感の籠った言葉に怪訝な表情を浮かべる。そういえばマリアは独身の子持ちだ。 「……ごめん」 「え?」 「バーナビーの気持ちを軽くしようと思って話したのに余計沈ませちゃったかなって」 「え?あ、いえ……すみません。つまり一度失ってしまった気持ちでもまた芽生える可能性があるってことでしょう?」 「うん」 そうだな、とバーナビーは思った。パオリンを助けたのはイワンの意思とはいえマリアに協力を頼んだのは自分だ。 だったらイワンに元の気持ちが戻るよう手助けをしなければならない。 (ドラゴンキッドが折紙先輩に告白する前に) あの二人は両想いだったのだから―― 「僕も、先輩のキューピッドになれるよう頑張ります」 「ふふ頑張りすぎないでね?貴方いつも空回りするんだから」 「……気を付けます」 バーナビーが苦い表情を浮かべた時、丁度タクシーが目の前に留まった。 少年の頃から馴染みのあるマリアは未だにバーナビーを子供扱いしている節があるが、昔のように不快ではない。 歳をとって以前より可愛がられることに抵抗がなくなってきた。虎徹さんで慣れたのかな?と思うと自然と笑みが浮かぶ。(ほんと可愛くなっちゃって……) 「では、今日は本当にありがとうございました」 「もう遅いから気を付けてね」 「はい」 素直に頷いて手を振るバーナビーにマリアも手を振り返す。遠ざかって行くタクシーを見送りながら自分も早く帰り支度を済ませようと店の中に入る。 あの二人を見ていたら早く我が子の元に帰りたい気持ちが湧いてきた。 七年前に亡くなった、恋人との、大事な赤ちゃん―― それから二ヵ月ほど経った頃、また大きな爆発事故が遭ったが今回は無事に終了した。 全ての人を救出し安堵の息を吐いている虎徹の横でバーナビーは二次災害を警戒していた。 いつの間にかパオリンの隣についているイワンを見て眉間の皺を僅かに解く。 たとえ恋愛感情が無くなっても仲間として心配で不安なんだろう、自分にも覚えのある感情だ。 特に今回は退院して初めての大きな事件でパオリンが怪我した時と同じ爆発事故だから余計に…… 「大きな事故だったが怪我人も思ったより少なくて良かったな」 不意に虎徹から声を掛けられる。フェイスガードを外し目を合わせた。 そういえばずっと別行動をとっていたのに何時の間にこんな近くに来ていたのだろう。 「そうですね」 「なんだその顔、ひょっとして俺が心配だった?」 自分がどんな顔をしているのか解からないが今回はそれほど心配していないのでバーナビーは首を横に振った。 ――虎徹は勘も悪運も強い方だし、多少危険な目にあっても回避出来る力がある――そう考えて 「あなたへの心配なんて一番最初に切り捨てましたから」 「へえ嬉しいな一番最初に俺のこと考えてくれたのか……」 「……」 そう考えてしまった時点で虎徹のことをかなり心配していたということに気付き自分で自分に呆れてしまう。 別に心配したっていいじゃないか、相棒なんだから当然でしょう?と「俺のことより自分の安全と被害者救助に集中しろよ」と形だけの注意をしてくる虎徹を睨んだ。 「そんな事あなたにだけは言われたくありません……」 バーナビーは虎徹に自分の安全を二の次・三の次にしてしまう所がある事を良しとしていないので、つい厳しい口調をついてしまった。 途端に不安になる……再びフェイスガードを被りトランスポーターへ向かいながらバーナビーは昏い思考に囚われていた。 ――この言葉は相棒という立場から逸脱してないですよね? あの日の夜、パオリンの意識が戻ったと知らされた後イワンからお礼を言われ、そして訊かれた事を思い出す。 『バーナビーさんもマリアさんの能力を借りたことがあるんですか?』 それまでのことを考えれば当然の疑問だと思う。だが出来れば聞かないで欲しかった。 『……マリアさんに出逢ったのはウロボロスの情報を追っていた頃だったんですが』 もし両親を想う気持ちやウロボロスを憎む気持ちを対価に情報を得たとしても本末転倒にしかならない。 だから、仇を打つまでマリアに頼ったことは無かったと説明した。するとイワンは納得し、それ以上の事は訊いてこなかった。 (折紙先輩には本当に申し訳ないことをした) たとえパオリンを助けるためであっても自分は赦されないことをした。 ずっと後見人に記憶を弄られ続けてきたから、他人から心を奪われるツラさは誰よりわかっているつもりだ。 責任を感じていたし、イワンもパオリンも大事な先輩だから。 (ふたりは両想いだったんだし……) せめてイワンには恋心を返してあげたくなった。 大丈夫、一度好きになった相手なんだ。 ずっと近くにいればまた恋に落ちる。 (やっぱり、僕が二人のキューピットになるしかないですね!) そう決意したバーナビーはパッと空を見上げる。 「おい、待てよバニー!一人ですたこら行きやがって!」 追いついた虎徹が隣に立つがバーナビーは無言で空を仰ぎ続ける、そんな彼にも慣れている虎徹もその場で立ち止まって苦笑する。 ワイルドタイガーのものより広く丸みを帯びているフェイスガード、映る雲の形が爽やかさを助長して思わず見惚れる程だ。 もっとも虎徹はその下にもっと魅力的な顔があると知っているのだけれど―― 【続く】 |