“なにが悪いの?” “どうしていけないの?” 罪への感覚が麻痺している者は言う “ただ私は幸せになりたかっただけなのに” “世の中は不公平よ” 不幸ゆえに罪を犯した者は言う “どうして誰も私を愛してくれないの?” 傍から見たらその理由は歴然としていて “どうして?私は皆と同じように彼を愛しただけよ” 犯罪者の言葉はいつも理不尽で卑怯で身勝手だ “私は人を愛しちゃいけないの?” そう言って最愛の人を傷付けているのに無自覚で 愛する人の涙にも痛みにも鈍感で ――自分じゃ自分に気付けない―― 安寿は留守をしている間でも息子の部屋の掃除を怠るようなことはしなかった。 いつ帰ってきても良いように、引退という形ではなくとも今回のように一時の里帰りでもいいから。と思ってだ。 虎徹がそんな自室ではなくバーナビー達が泊まる客間に一緒に寝たのは無意識のこと。 《チリン》 風鈴の音に目を醒ます。縁側の窓が少しだけ空いていた。 虎徹が起き上がり隣を見ると寝ていた筈のバーナビーの姿がない、どうせトイレだろうと目を綴じたが気になってしまったことがあった。 『バニーが、俺以外の人間がいる空間で、酒も入っていないのに、ちゃんと寝れるのだろうか?』 会わなかった一年の間に成長し自分にも縋る事のなくなったバーナビーに対して随分自惚れた思考だけど、あながち間違ってもいない。 他人に弱みを見せたがらない彼ならうなされる事が怖くて落ち着いて眠れなかったのでは、閉まっていた筈の縁側の窓が少し空いているのも、もしかして…… そう思った後の虎徹の行動は早かった。イワンとパオリンを起こさぬよう慎重に布団から出るとそっと縁側に出た。 沓脱石に置いてあった下駄が一足無くなっている。ここで虎徹はバーナビーが外に出て行ったことを確信した。 もう一つの下駄を履いて極力足音を立てないように庭に出る。 バニーはきっと散歩に行っているだけだ。バニーなら心配いらないと言う声がした。それは自分を安心させる為の声。 それよりも今虎徹が抱いている想いは“心配”なんかじゃなかった。 (どこ行ったんだ) 生涯を星座の街で生きると決めた時から此処はもう己のテリトリーではなくなった。それでも数ヶ月前まで住んでいた土地だ。 妻が死んでから構ってやれなかった娘との数年を埋める様に二人で色んな所に出歩いた。その度にいつかバーナビーも一緒に連れてきたいと思ったものだ。 勘を頼りに歩いていると、思ったよりも早くバーナビーの姿を見つけることが出来た。 彼が何故を知っているのか不思議に思ったが―― (楓にでも聞いたのか?) 此処は墓地だ。バーナビーは鏑木家之墓と書かれた墓石の前に膝をついて、ジッと見据えている。 深夜というのに、不気味さは一切感じず、そもそもどうして先祖の眠る墓を不気味だと思ってしまうんだという何気ない疑問が一瞬だけ頭を過ぎった。 青く光る夜空の下で彼の周りは清良な空気に包まれているように見える。まるで澄んだ海底の映像だ。バーナビーが飛べば砂を撒きながらそのままどこまでも浮上してしまいそうだと思って初めて怖気がした。 (バニー) 彼は今、なにを想っているんだろう? 纏う雰囲気が酷く心許無いものに見えて音もなく近づいて、後ろから抱きしめたい衝動に駆られた。 ――ああでも此処は亡き妻の眠る墓前だ―― バニー、と今度は音を立てて隣に立つ、バーナビーは少し驚いた様に上を向いて困ったように笑った。 「すみません勝手に抜け出してしまって……その……眠れなかったので……」 「いや、いいんだ……ところで」 「はい」 「ここで何をしていたか、訊いていいか?」 虎徹だってブルックス家の墓を訪れたいと思ったことはある、だからバーナビーが同じように墓参りをしたいと思ってくれたなら嬉しい。でも、先程見たバーナビーの様子は違っていた。鈍感な虎徹には解からない複雑な表情をしていた。 バーナビーは時々大人とは思えないような拙い我儘を抱き、言いたくても言えない状態になる。今もそうなのだろうか? 「アナタの奥様に挨拶していたんですよ、あと報告を少し」 「報告?」 「はい……最近のアナタのこととか……きっといつも天国で見守ってくれているんでしょうけど……でも好きな人のことを他人の口から聞くのもいいものだと思って」 それを聞いて友恵が喜ぶようなことばかり話してくれたんだなと虎徹の胸は暖かくなる。 ただ……さっきの表情からして、きっとそれだけじゃないんだろう、友恵を故意に傷付けるようなことを言っていないのは解かるがバーナビーは自分を大切にしないで他人に心配をかける天才だから。 (俺には話せないバニーの心の内にあるものだから無理には聞けないけど) 何よりも綺麗な相棒を見詰めながら虎徹は、もっと人間らしく汚くなっても良いのに、と思う。じゃなければ生き辛いだろう。 まだ海底にいるようなバーナビー、そんなに膝を曲げて息は苦しくないかと心配になる。 「虎徹さん」 彼の呼びかけは澱みなく響いた。 「虎徹さんには、自分の力じゃどうしても叶えられない願いってありますか?」 「……」 「“ずっとヒーローを続けたい”みたいに自分の力でどうにかしようと思うものじゃなくて……もう諦めてしまっていたり、叶える方法がないと思っている願いです」 バーナビーの言葉に虎徹は「どうしたんだよ」と言えなかった。言ってしまえば今この時の彼を見失ってしまう。 海底で剥き出しになった心を、どうにかして地上に持ってこれないかと何度か思った。 「……そりゃ人間だからな、あるにはあるよ」 「そうですか……それは僕が聞いてもいいものですか?」 「……」 言えない、バーナビーに知られる訳にはいかない想いが虎徹にはあった。たとえバーナビーに知られていいと思っていても友恵の墓の前で言ってしまえる覚悟はない。こんな所だけが慎重になる自分を嘲笑った。 「ふふ……すみません。特に深い意味はないですよ、ただ夕方見たアニメの主題歌が『何が君の幸せで何をして喜ぶのか、解からないまま終わるのはイヤだ』って歌だったので」 何も言わなくなった虎徹にバーナビーは笑いかけた。虎徹はすぐ嘘だと解ったが「なんだビックリしたぜ」と落胆のような安堵のような笑みを返した。 「戻りましょう、少し肌寒い」 虎徹の実家のシャンプーと石鹸の匂いがする身体。横をすり抜ける肩を抱いてしまいたいと思う。 ――ああ、俺はバニーに本気なんだな―― そんなことを今更他人事のように感じた。彼の隣に歩み寄る前に彼女の墓を振り返る。青く澄んでいたのはひょっとして墓石の方だったのかもしれない。此処は海の底……だからこんなにも愛しい(かなしい) * * * それから数日後のシュテルンビルド。 「僕はね、マリアさん」 「うん」 「タイガーさんの奥さんのお墓の前で、彼女に謝りたいと思っていたんです」 昼間虎徹がしていたようにバーナビーはマリアのカフェのカウンターでポツリポツリと話を始める。カフェが店じまいをしてから数時間、彼女の赤ん坊と過ごす時間を奪ってしまっているのは心苦しいけれど、誰かに聞いてほしかった。 「あの頃の僕はたしかに彼のバディ失格でした」 マリアはすぐには否定せずに黙ってバーナビーの話を聞いた。あの頃とはマーベリック事件以前のことだろう。 「彼の異変にも気付かず、彼を責めて追い詰めて……忘れて、彼の正体を世間に曝してしまった」 「それは貴方の所為じゃないでしょう?」 「そうですけど……でも僕はタイガーさんを守れなかった、それどころか娘さんまで危険な目に……」 それだってバーナビーの所為じゃないと思う、むしろバーナビーが一番の被害者だとマリアは思ったが沈黙したまま彼の言葉が続くのを待った。 利用されていただけとはいえマーベリックに加担してきたことはバーナビーにとっての真実だ。辛い記憶とはいえ安易に否定してもいけない。 「……あの時、彼を撃ってしまったことも申し訳ないけど“最悪”ではないです。“最悪”なことはもっと他にある」 「なに?」 虎徹の状態に気付けなかったのは己の失態なのには変わりない、なんの言い逃れも出来ないが、それでも虎徹の意思に従った結果がアレだ。だから“最悪”ではない。 「タイガーさんのバディになってから僕はずっと彼を独り占めしようとしてたんだって気付いたんです。離れていた一年間、ずっと彼の家族が羨ましくて堪らなかった……彼が僕のものじゃないと最初からちゃんと解かっていたのに」 出逢って当初は虎徹のすること全てに反発していた。生意気で可愛くないルーキーで、それでも彼を自分の事情に巻き込むまではまだマシだったと今は思う。 彼に心を拓いてからは虎徹が他の人間に優しくするのを見るのがツラくて、誰かが虎徹を見ているだけで嫉妬して、彼に当たったり無視をしたりした。この頃も彼を沢山悩ませて迷惑をかけたけど、傷付くのは自分一人だったからまだマシだった。 離れてから一年で、彼への恋心を自覚して、それからが自分の“最悪”だ。虎徹は最高のパートナーだと思ってくれているだろうに、それを裏切った形になった。あろうことか彼の家族に嫉妬して……家族は家族はふたりにとってとても大切なものだったのに 虎徹の優しさと性欲につけ込んで体だけでも繋げたいとまで思った。“男の僕なら奥さんを裏切ってることにはなりませんよ”なんて最低な科白で彼を誘えという悪魔の囁きを自分の中で聞いた。 真剣に自分を欲しがってきた人には正直に“好きな人がいるから”と断ったこともある。そんなことに彼の存在を使うことすら罪悪感を抱いてしまった。 きっとパンドラの箱みたいに開けてしまえば醜いもの達が溢れ出てしまうだろう。本当に“最悪”だ。 「彼の奥さんに謝ること出来なかった……だってそんなの赦してほしいみたいだ。」 そしてマーベリックとの関係は市民全ての知るところにあるけれど、虎徹への穢れた想いは隠しているから、誰も責めてくれない、断罪してくれない。いっそ友恵から雷を落とされたいくらいだ。 「あんな優しい笑顔をする人に裁いてもらいたいなんて僕は……ほんとうに自分のことしか考えてない」 ――写真の中の彼女しか知らないけど、虎徹さんの愛した人ならきっと無理をしてでも僕を赦そうとするだろう―― 「……本人に告白する気はないの?」 マリアが言った。いつもテレビで見る彼と昼間出逢った彼ならきっとバーナビーの心を受け入れてくれる。バーナビーの自責を、杞憂だ。間違いだ。と諭してくれるに違いない。 「駄目です」 「どうして?ずっと溜めておける気持ちじゃないでしょう?いつか破裂して本当に二人の関係を壊してしまうかもしれないわよ」 わざと不安を煽る言い方をすれば一瞬エメラルドの瞳が見開かれた。恋をすれば誰でも抱くレベルの感情を“穢いもの”としてしまうバーナビーをタイガーに助けてもらえばいい。我儘も欲望もそんな抑え込む必要はないんだと誰より信頼する相棒に言ってもらえば彼の未来は明るいものに変わるに違いない。でもバーナビーは頑なで、 「……僕が失恋して悲しむのはいいんです……でも僕が悲しむとタイガーさんも自分のことのように悲しみますから……だから僕はこの恋をどうにかして諦めなきゃいけないんです」 ねえ?どうして?そんなに大切にされてる自覚があるなら、もっと違う風には考えられないの? マリアは詰め寄りたいのを必死で隠して、ただ寂しそうに俯いた。バーナビーの心は自分がどうこう出来るものじゃない、能力を使ってもきっと無理だ。 誰かに心配させるから自分を大事にしようと言うような人間がどうして自分のことしか考えてないことになるだろう? 仮にそうでも食事や睡眠を疎かにして、自分のことすら考えてなかった以前のバーナビーに比べたら随分マシだ。 以前の彼はウロボロスの件を邪魔されない様に、危険巻き込まない様に必要ない人との関わりを遮断していた。 信じてみようと思ったのも自分の所為で怪我させてしまったのも相棒が初めてだという――だからやはりバーナビーのことはワイルドタイガーに任せるしかないのだと思う。 こうして滅裂なことを言い出す夜は何か温かいものを与えることにしている。マリアは暖かいミルクティを差し出した。 「ありがとうございます」 するとバーナビーは柔らかい笑みを浮かべながら両手でそれを受け取った。切なくて、でも、こちらを優しい気持ちにしてくれる笑顔は昔から変わらない。 ――その笑顔を見れば誰も貴方をほっとけなくなるのに!貴方に醜いところなんてどこにもないのに! 「ねえ、マリアさんには本当に感謝してるんです」 一口飲んでカップを下したバーナビーは神妙な表情をしてマリアの瞳を見詰めた。 「……能力を使ってワイルドタイガーとドラゴンキッドを助けた事?でもそれで貴方達の大切な気持ちを奪ってしまったじゃない」 「言ったでしょ?僕のタイガーさんを想う心は醜いんだと、それを素敵な奇跡に代えてくれたマリアさんは僕にとって本当に女神さまみたいな存在です。折紙先輩には申し訳ないことをしたけど」 「やめてよ……そんなの」 マリアの胸がギュっと痛くなる。 「マリアさんのお陰で、僕は天使になれるかもしれない」 「……え?」 「僕は虎徹さんの天使になりたいです」 ほぅと息を吐いたバーナビーはどこか遠くを見ていてタイガーさんと呼ぶことすら忘れている。 “穢くて、打算的で、自分のことしか考えていない僕だけど虎徹さんの前では綺麗でいたい” “虎徹さんを想う気持ちをもっと綺麗で純粋なものにしたい” 「だからお願いです。マリアさん」 “日系人の彼にとって天使のイメージは可愛らしいものかもしれないけど、僕の中の天使は正義の為に闘う戦士なんです” “僕は虎徹さんの背中を守って彼がずっとヒーローでいられるように手助けしたい” “二度と彼に縋るような真似をしたくない” “本当の意味で強くなりたい一緒にいて安心できる存在でいたい” “彼を守って、助けて、安らぎを与えて” “奇跡を起こす、天使でいたい” 愛すことが赦されないなら、せめて―― 「もう一度、僕の気持ちを使って、虎徹さんを幸せにしてください」 マリアは眩暈がした。 「僕は虎徹さん天使になりたいんです!」 いつか、バーナビー自身が言っていたじゃないか! ――自分じゃ自分に気付けない―― まさにその通りだ。 END |