「モンスタークロッシング」シリーズで「もしも、おそチョロが両片想いだったら」というIF話です。あの話のふたりは兄弟愛でしたが、それに恋愛をプラスしてみました。全体的にこんな空気。前編はチョロ松視点が多めで中編からはおそ松兄さん視点が多くなる予定です。



* * *


“俺”の中に壊れてしまった時計があった
一時十五分、数字の一と三のところで針の止まったままの時計が、いくつも、いくつも散らばっている
動き出すことも、短針と長針が交わることもない
そんなガラクタの山の上でひとり膝を抱えている
ここが崩れ落ちたら"俺”はどうなるのだろう?

二つ下の弟は『雷に撃たれたよう』だと言ったソレを――



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八月某日。

我が家にはハリネズミとアルマジロがいる。

おそ松が幼馴染みにそう言っているのを聞いてチョロ松は言い得て妙だと思った。
チョロ松はスマートフォンをタップしながら公園のベンチに腰掛ける、曇天が映り込み画面が見にくいが晴れの日のそれよりマシだ。
やはりパソコンの方が使いやすいが今の家中では調べ物に集中できる気がしない、何故ならハリネズミとアルマジロがいるから、とはいえそれは本物の動物ではない、動物だったら可愛いのだけれど生憎あの二人は可愛くはなかった。
ハリネズミとアルマジロこと松野家次男カラ松と四男一松は今は長男おそ松に見守られながら部屋の中の定位置に座っているのだろう。
チョロ松は画面の中の会ったこともない友人に丁寧な礼を返し溜息を吐く。

――これで手掛かりが一つ掴めた!

一見手帳に見えるスマホケースの蓋を閉じて(実際トド松以外からは手帳だと思われていたろう)就活用のバッグにしまうチョロ松。
自宅へ帰る道すがらコレからのことを独り考える、二ヵ月前に自立すると書置きを残し家を出ていった十四松とトド松のことだ。
誕生日の翌日、酔いつぶれた長男から四男までが起きると既に二人の姿は何処にもなく、何処へ行ったのか手掛かりすらなかった。
六人のニート生活がいつまでも続くとは流石に考えていなかったけれど、この展開は読めないでいた……いや、チョロ松も少しは考えていたことだ。
この兄弟達からの呪縛から解き放たれるには強硬手段しかないと、きっと心の何処かで皆が思っていたことで、けれど皆そんなことはしないと高を括っていた。
大丈夫だと思っていたのに、あの狂人とドライモンスターときたら、勝手な真似をして……と、そこまで考えてチョロ松の気分は酷く沈んでいった。
口が悪いのは生まれつき、赤ん坊の頃から男兄弟六人で喧嘩も沢山してきたから攻撃力も口撃力もそれなりにあると自負している、ただ思春期にあったある事のせいでチョロ松は他の兄弟より少し当たりがキツくなった自覚もあった。
あの時の選択に後悔はないけれど、もう少し言い方や態度を変えていたら、たった独りで決めてしまわないで皆で相談していればもっと違った結果があったのではないかと思う。

――僕のせいだ

だから、自分があの二人を見つけるのだとチョロ松は心に誓った。
皆に相談すべきことかもしれないけれど誰かに相談するということは自分の心のうちを誰かに打ち明けることになる、あの頃なら出来たかもしれないが、今はもう手遅れなのだ。
家に着くと長男が「おかえりチョロ松ー」と声を掛けてくる、次男も目線を寄越して小さく「おかえり」と言ってまた目線を窓の外に移した。
なんだそれお前元演劇部だろもっと声を張れと言いたいのをグッとこらえチョロ松は三人に「ただいま」を言い、雑誌を持って部屋の隅に座る一松のすぐ近くに座った。
長男が次男の傍にいるなら、自分は四男の傍にいようという役割分担の精神だ。
八つ当たりをされるおそれもあるが普段おそ松に散々なことを言われているので一松が吐く毒如きではビクともしない自信がある。
チョロ松は求人誌の中で今まで無視していた日当が貰える短期の仕事のページを捲った。
まずは資金集めから。

「なに?就活続けんの?弟が居なくなったってのに余裕だね」
「……まぁね、アイツらが帰ってきた時に兄さん達まだ働いてないのー?なんて馬鹿にされたくないから」
「……」

一松の厭味を蹴散らしてチョロ松は一番日当の高い求人先に丸を付ける、相当な肉体労働のようだが以前のように末っ子を追い掛け回したり五男に付き合って追いかけっこをして無い分、体力は有り余っている。
電話を掛ければ即採用だろうが、今帰ってきたばかりだし、長男を少し休ませてやりたい、チョロ松はおそ松に目配せをして外出するように促すことにした。
幸い今日は次男が落ち着いている、僕ひとりで大丈夫だからと微笑めば長男から安堵したような苦笑が漏れた。

――あ、今の顔すきだったな

黙って出ていく兄の背中を見送って、チョロ松はパソコンを取り出しながらそう思う。
先程仕入れた地下アイドル仲間からの情報で十四松とトド松があの日に乗った新幹線は解ったのだが、二人が何処の駅で降りたかは解らない、戸籍や住民票にロックが掛かっていた。
この用意周到さからして家出の主犯はトド松だろう、主犯がトド松ならきっと行くのは海のある場所だとチョロ松はめぼしい駅の名をいくつかピックアップし検索を始めた。
新幹線の停る駅から一日で移動できる範囲、海側、移住支援や就労支援をしている街、そんな条件で探すと数十箇所候補が絞られる、その一覧をスマホに転送したチョロ松がパソコンを閉じるともうすぐ夕食の時間だった。
卓袱台の上を片付け噴き上げ、台所で母が用意してくれていた夕食を温めていると、長男のおそ松が帰ってきて今だ動こうとしないカラ松と一松に手伝うように声を掛けていた。
二人とも長男の言うことで、理不尽でないものは素直に聞く。

「おかえり兄さん」
「ただいま」
「カラ松兄さんお皿とお盆出して注ぐから」
「ああ」
「一松は取り皿とお橋持ってって、おそ松兄さんはお茶とコップね」

それからは無言で夕食の準備をして、無言で夕食を食べ、片付けた後に四人連れ立って銭湯へ行った。
ひとりで体を洗いひとりで湯船に浸かりコーヒー牛乳も飲まずに帰路に着く、今度はおそ松が一松の隣でチョロ松がカラ松の隣だ。
末の弟ふたりが家出してから二ヶ月。
十四松が居なくなってから一松は更に自分の殻に籠って身のうちに毒を溜め始めたし、トド松がいなくなってからカラ松の雰囲気は刺々しいものになった。
流石にこのままではいけないと、長男と三男は強硬手段に出ることにした。

ハリネズミとアルマジロを正面からぶつけてしまえ。

一松は何も言わないカラ松に苛ついていたし、今のカラ松の沸点はかなり低いので、暫く二人きりにしておけば勝手に衝突するだろう。
部屋の半壊は免れないので大切なものを倉庫へ移し、トト子やチビ太への近況報告もかねて長男と三男は呑みに出ることにした。



数日後。

おそ松とチョロ松がそれを敢行すると部屋の半壊どころか街のあちこちを損壊させてしまった。
二人が走り抜けた道を追いかけながら、やり過ぎだとおそ松は呆れている、大切な弟が当然なにも告げずいなくなり相当鬱憤が溜まっていたのだろうけど、と言う彼はまだカラ松や一松がトド松や十四松に恋愛感情を持っていることを知らない。
常識的に考えればそうだろう、とチョロ松はおそ松の横で思う。
気付く方がきっと可笑しいのだ。
二人が壊したものにお弁償代を考えると胃が重たくなったが、しかしこれで急に日当のバイトを始めても怪しまれることはないなと前向きに考えることにする。
漸く追いついた場所はカラ松にも一松にも思い出深かろう公園の桟橋だった。
一撃必殺のカラ松の攻撃を避けながら一松が空いたところへ軽いジョブを入れている、ここに来るまで塀の上などを飛び跳ねていたのだろうし、総合的にみて運動量は一松の方が多い、急所に入らない限り先にダウンするのは一松だろう。

「アンタは、まだ気付かないのか!?自分が何に対して怒ってるのか!!」
「うるさい!!」

一松の悲痛な叫びにカラ松の怒号が答える、チョロ松は心臓がキュと締め付けられた。
トド松への恋愛感情に気付いていないカラ松はチョロ松から見てももどかしい、己が苛立っている理由が解からないのも彼を苦しめる一因になっているのだろう、一松はきっとカラ松の気持ちに気付いているのは自分だけだと思っていて、だから彼を放っておいたり出来ない。
優しい弟だ……でももっと勇気を持たないと、優しさを正しい形で示さないと相手に誤解を与えてしまうんだよ、そんな風にチョロ松は一松を見ていた。
ただ、今はちゃんと勇気を持って兄にぶつかって行っている、正しいやり方かどうかは解らないけれど……その時、疲労がピークに達したのか一松の動きが一瞬止まった、その隙を見てカラ松が腕を大きく引く、チョロ松は再び息を呑んだ。
そして、おそらく戦意を喪失させてやるつもりでカラ松が放ったパンチの前におそ松が入り込んだ。
もともと寸止めするつもりだったソレはおそ松の顔面スレスレで止まった。

「……おそ松兄さん」
「言っとくけど俺が間に入らなくたってカラ松は寸止めするつもりだったよ、そうじゃなきゃ俺は殴られてた」

四男に笑いかける長男、突然現れた兄に次男も驚いているようだ。

――ったく、心臓にわるい!!

チョロ松は内心舌打ちを打って立ち止まると二人を諌めるように語り掛けた。

「まったく、お前らが喧嘩して怪我でもしたらあの二人が帰ってきた時悲しむでしょ」
「……十四松が帰って来た時……」

それを聞いてヘナヘナと座り込んでしまった一松を見て、チョロ松は優しい微笑みを浮かべる。
カラ松の方はどうだろうと目線を向けると彼は俯いて拳を握りしめていた。

「すまない……おそ松……すまない……俺は……」

カラ松は声に懺悔を滲ませながらおそ松に謝った。

――もしかして……

チョロ松の中にある仮定が浮かぶ、その仮定を裏付けるような会話が目の前でなされていき、そしてカラ松はこう言った。

「俺は、トド松を愛してる……兄としてじゃない、一人の男としてアイツを愛してしまった」
「どうしてそれを謝るんだ?」

仮定が確定に変わってしまったと気付いた三男は、次男がそれに気付いていたことよりも長男がそれを知ってしまったことの方に動揺した。
しかし長男は平然として、真っ直ぐな瞳で愛を吐露する次男を見ていた。

「どうしてって、俺まで弟を好きになってしまったら、お前に全部押し付けることになるッ!!」

チョロ松は咄嗟にカラ松の後ろに回って背中を支える、そうすることで自分も支えようとする、ああ一松なんて涙を湛えているではないか、きっとこの中で一番泣きたいのは今まで何も知らなかったおそ松なのに。

「俺は、たしかに長男やってるのかったるいなとか、面倒くさいって思ったことはあるけど、それをお前らに押し付けられたなんて思ったことは一度もない……お前らみたいな弟を持って、そりゃあムカつくときもあるけど、スゲエ楽しいんだよ」
「兄さん……」

チョロ松から思わず零れた声は、呼びかけなどではなく、驚きでもなく、おそ松の言葉がしっとりと胸に沁み込んだ結果だ。
きっと自分はこの夜を一生忘れないのだろうと思う、うまく消化できず、どう昇華していいのかわからないままずっと心に居残り続けるだろう。
カラ松や一松はこの言葉によって許され自由になれるけれど、チョロ松だけは違う、おそ松もきっと違うのだと思う。

「だから、どんだけ面倒くさくってもお前らの兄でよかったって本気で思うし、お前らの兄の座を他の奴に譲る気なんて全然ねーし」

――ああ、好きだな

「実の弟を好きだっていいじゃねえか、そんなことで俺ら兄弟の仲が壊れるとでも思ってたのか?」
「だが、俺は次男で……」
「だからお前には末っ子の面倒を頼むよ、一松には五男のな」
「え?あ……うん」

カラ松の想いを聞いて、一松の気持ちにも気付いたのか、おそ松はそんなことを笑いながら言った。
彼の言いたいことなんて、もう解っているのだ。
チョロ松は目を閉じて地面に着けた足に意識を持っていき、どんな言葉も耐えゆる準備をする。

「安心しろって、俺いつか可愛い嫁さんもらって、お前らの分まで可愛い子作って母さんたち安心させてやるよ」

断罪された。
まだ犯してもいない罪を――いや想うことすら許されなかったのかもしれない。

「俺たち六つ子だから俺の子どもはお前らの子どもみたいなもんだよな?」

追い打ちをかけるように、おそ松は二人を励ました。
長男が決めたことならもういいや、とチョロ松は溜息を吐くと、咎めるような声でおそ松へ語り掛ける。

「その前に就職しなきゃでしょ?おそ松兄さん」
「ははは、それは何とかなるって」

まったく能天気な兄だ。

「チョロ松は……いいのか?」
「え?なにが」
「俺がトド松を好きでいても……」

そしてコチラは仕方のない兄である。
最悪養ってやるとまで言った人間のそんな不安そうな目を見て、常識を振りかざせるとでも思っているのか?

「そんなの僕に口出しする権利ないだろ?まあお前がトド松泣かせたりトド松がお前を泣かせたり……兄弟みんな幸せにならなきゃ許さないよ」
それは紛れもない本心だった。



公園からの帰り道、おそ松が被害状況を見ながらどうにか誤魔化せないかと算段立てているが、絶対に松野家の兄弟の仕業だとバレるから無駄だよと呟くチョロ松。
数分前に失恋が確定してしまったというのに彼の心は今宵の月のように凪いでいる。

そう恋を失ったのだ。
チョロ松はおそ松にずっと恋愛をしていた。
そこから恋を失くせば愛しか残らない。

「カラ松」
「ん?なんだ?」
「いや、お前……足……」
「ああコレか、大丈夫だぞ?お前こそ大丈夫か?だいぶ動いたろ」
「えっと……大丈夫、攻撃入らなかったし」
「そうか……」

凪いだ心のまま耳を澄ませているとカラ松と一松の声が聞こえる。
すっかり元通りというか、元よりもちゃんと会話が出来ているような様子に安堵した。

――でも、カラ松兄さんがトド松を好きだと自覚あったのには驚いたな

彼が末っ子を特別視しているのは傍から見ていれば解りやすかったが、本人は無意識だと思っていた。
たとえばカラ松がトド松を『トッティ』とあだ名で呼んだ時、チョロ松は『オイオイいいのかよ?』と内心でツッコんでいた。
それは無意識でも特別扱いにはならないか?と毎回ヒヤヒヤしていたのだ。
カラ松は自分を慕う不特定多数の他人をボーイやガールと呼び、仮にも結婚まで進んだ相手をフラワーと呼び、兄弟をブラザーと一括りで呼ぶ、それは皆を平等に扱っていたいからだとチョロ松は思っていた。
おそ松を呼び捨てするのも、長男に対して気安さを感じているのもあるだろうが、他の兄弟と差を付けない為もあるのだろう、きっと博愛主義の次男は兄弟を平等に扱う為に自分がこの世で唯一長男にしか使えない『兄』という呼称をあえて付けていないのだ。
そんな彼が兄弟とは違った呼称を末っ子に使う、気に入ったようで何度も何度も、それはまるで特別扱い、いや特別扱いに違いない。
末っ子もそう呼ばれることに嫌悪感を示さなかった(おそらく次男の気持ちには気付いていないだろうが、たとえば誰かが……そんなの長男しかいないが、からかって自分を『カラ松ボーイズ』と呼べば泣いて拒否するくらいにはトド松は次男の博愛対象になりたくないと願っていた筈だ)
無自覚ではないとすれば、あれはカラ松なりにトド松を想っているというアピールだったのだろうか?チョロ松は、カラ松にその真意を問うてみたかったが、墓穴を掘ってしまいそうなので諦めた。
自分だって確実に『兄さん』を付ける相手はおそ松だけだから、それを特別扱いだと思われたら堪ったものではない。

「なぁなぁみんなさぁ鍋食いたくない?」
「はぁ?」
「なに言ってんの?今夏だよ」

考え事をしていた脳が現実に引き戻されると丁度背後の三人はそんな会話をしているところだった。
振り向くとおそ松が次男を背負いながら(やはり足を痛めていたらしい)一松と横並びで歩いている。

「いいじゃん、鍋!なぁチョロ松?」
「え?うーん……そうだね、もつ鍋とかキムチ鍋なら」

夏バテ予防になりそうだと言ったら、カラ松と一松が面食らった顔で見ていた。
一番ツッコミそうなチョロ松が同調したからである、もっともツッコミを入れても最後には長男に同調するのが皆の中の三男像なのだけど。

「よっしゃ!決定な!俺キムチ鍋がいいーー!一松明日買い出しな」
「え?なんで俺が……」
「だってカラ松足痛めてて動けないし」

それを聞いて一松の肩が震える。

「……いや、大丈夫だって兄貴」

カラ松がおそ松を兄と呼ぶのは、こんな風に兄として意識を持ってほしい時が多いように思う、チョロ松もそうだ。

「もう、そんなこと言うなよ、おそ松兄さん……なあ一松、僕も手伝うから一緒に買い出し行こう?」
「へ?」

チョロ松が兄弟の買い出しについて行こうとするのは珍しいことではないが、それは長男や末弟のようにお釣りで自分の好きな物を買おうとする相手の時が主だった。
一松が不思議そうな顔をしているのを見て、もっと不思議がらせたいと、悪戯心が湧いた。

「そしたらイイこと教えてやるから」

チョロ松は笑ってみせる。
チョロ松からすれば十四松が一松を特別視しているのも解りやすい。
これは、いつも自分ばかりが相手を意識して振り回されていると思っている一松への朗報だ。
きっとそれを聞けば今より良い顔になれるのではないかと楽しみだった。

「えー?イイことってなんだよ?兄ちゃんも知りたーい」
「だめ、プライバシーに関わることだからデリカシーのない兄さんには教えない」
「それは俺にもか?」
「ごめんカラ松、これは一松にしか教えられない」

だって鈍感な三男が長男や次男より先に気付けた貴重な秘密で、今は一人しかいない弟を勇気づけられる内緒話なのだ。
それを教えてやれば、彼に弟達と再会した時にちゃんと目を合わせる勇気が生まれてくれるかもしれない。

――鈍感な僕が気付けたのは後悔と罪悪感のせいなんだけどね

そうチョロ松は鈍感だ。
ただ十四松が一松を大切に想っているのは案外わかりやすかったし、常に他人を振り回しているような彼が実は一松の言動に影響を受けてているのも知っていた。
たとえば一松が兄弟から社会に馴染めないと言われたりバーベキューをしている男女を羨ましがっている姿を見た後に彼が猫ともっと仲良くなれるようにデカパン博士に頼んだり、一松が他の兄弟とも素で接し始めてトト子に対して庇うような言動をしてから自分も外に素で接することが出来て助けたいと思える女の子を作ったり(もっともどれが十四松の素かは不明だが)
カラ松と一松に交際疑惑が立った後に意味が解っているのか知らないが『同担拒否』だとかチョロ松がそれまで描いていた十四松像とかけ離れた事を言ったり、兄弟が一松に対して『お前はなんなんだ』と訊いてから『自分はなんなんだ』と悩み始めたり、その時の一松の回答を『見た目が十四松なら十四松』だと解釈した彼の自意識の中には自分の姿があったり、風邪を治す為に皆が十四松化した時だって身体のどこかに一松の存在を感じ、皆が消えた世界でも一松は最後まで残ったり。
沢山一緒にいるからかもしれないけれど、十四松だって一松に左右されたりするのだ。

――十四松だって、人間なんだよ……ちゃんと考えて行動する人間だ

狂人だの馬鹿だから寒さを感じないだの言っていたけれど、実際はきっと違う、自分は五男についてなにもわかっていなかった。
トド松にだって心がないだのドライモンスターだの散々言っていたけれど、本当の彼は兄想いなところもある可愛い末っ子なんだとチョロ松は思っている。

――僕が言い過ぎたから、自分達のことを“化物”だと思っちゃったんだ
――自分達は“恋愛”をすれば相手を傷付けることしかできない存在だって、思いこんじゃったんだ

ふたりが出て行ったのは自分の所為だ。

――だから、コレは罰なんだ

弟を傷付けてきた。
兄に嘘を吐いていた。

『どうしてそれを謝るんだ?』

先程のおそ松の言葉が浮かびあがってくる。
本当は戸惑っていたし、怒りたい気持ちがあったろうに弟たちの為にそれを抑え込んで、なにより愛する己の自由を潰した長男。
それはカラ松が嘘を吐かなかったからで、一松がひどく傷ついていたからだ、とチョロ松はあの時感じた。
チョロ松だって嘘を吐かなければ……傷を隠さなければ、おそ松はチョロ松の為に大事なものを棄ててくれる、自意識がライジングした人生設計ではなく本当に自分がやりたいと思うことだったら絶対に聞いてくれる。
そして、おそ松だったらきっとこう言う『おじいちゃんになったって、お前の居場所は空けといてやるから、だから好きに生きろ』と、言うに決まっているんだ。
そんな兄に『生きたい場所はお前の隣』だなんて我儘を言えるわけがないだろう。
こんなにも相手を困らせて、相手の大事なものを棄てさせるような想いを告げるわけにはいかない。
気付かれるわけにもいかないのだ。

「あ、そうだ!おそ松兄さん、さっきお嫁さんもらって子ども作って母さんたち安心させるって言ったけど、それ最初に言い出したの僕だからな?絶対に僕の方が先に就職して結婚してやるから」



そう言った直後、心にもう一つ時計が足されて膝を抱えた“俺”の足元に転がった
いつも通り“あの時”と同じ、一時十五分で止まったままの時計が……



69 69 69 69 69 69



夕焼けが赤く見えるのは、それだけ空に浮遊物が多い証拠なのだという
小さい頃は、太陽の色が変わっているのだと思っていた
空は太陽を写す鏡だから自分では変わらないのだと思っていた
けれど実際は空が人間と太陽の間にあるフィルターで、空が変わってみせるから太陽も変わってみえるだけのことだった
太陽の光は虹色で、昼も夜も宇宙で光り続けている
その光を人間が直に浴びれば一瞬で消えてしまうけれど、もし自分が燃やされるなら赤い光がいい
フィルターなんかなくても“俺”には夕焼けが赤く見えるよ
夕陽が沈み朝陽が臨むまでの間、太陽はここではない他の地を照らす
十五夜の月に目を閉じれば
瞼の裏は赤く染まった

午前一時の夕焼け
朝陽なんて二度と昇らなければいい



ここで一つ懐かしい話をしよう、松野家の六つ子がまだ見分けがつかない程そっくりだった頃、松野おそ松の横には高確率で松野チョロ松がいた。
どうしてそうなったのか理由は誰も覚えていないだろうが、一番性質が似ていたのがお互いだったからではないかと、今は二人ともそう認識している。
一卵性とはいえ性格に差異はあったけれど、チョロ松にとっておそ松はもう一人の自分であり、本当の自分の姿のように見えていた。
おそ松とはいつも同じ気持ちでいる、おそ松がしたいことは自分のしたいこと、おそ松がほしいものは自分のほしいもの、おそ松が好きなものは自分の好きなもの。
チョロ松はそう思って何の抵抗もなくおそ松に合わせていたし、分けられるものは分け合っていたし、どうしても自分を優先させたいこともあったが、そういう時は喧嘩して奪い取ってきた。
僕は君で、君は僕――自分達は六人で一人の『松野おそ松』という人間を作っている、そして六つ子だから、他の兄弟もそう思っているのだと、チョロ松は当然のように思っていた。
しかしそれは違うのだと、末弟のトド松と喧嘩した時に解ったのだ。
内容はたしか長男と次男が本気で闘ったらどちらが勝つか、自分は当然おそ松を推したがトド松はもしかしたらカラ松が勝つかもしれない、やってみなければ解らないと言い張った。
それから殴り合いに発展して十四松に無理矢理(というか泣かれてしまい)仲直りさせられるまで一週間チョロ松はトド松と一言も口をきかなかった。
腕っ節は自分の方が強く、口でだってどんくさいトド松には負けない、だけどあの時チョロ松はトド松に恐怖を感じたのを覚えている。
トド松の頑なにさに、自分がこれまで信じてきたものがポロポロと剥がれ落ちていくような気がした。
あの時の喧嘩の決着はいまだ付いていないと思うけれど、今なら自分の負けを認められるとチョロ松は思っていた。
おそ松の方が強いけれど、トド松の言う通り『やってみなければ解らない』それに全員が長男の味方をするとは限らないのだ。
少なくとも今のチョロ松は長男と次男が闘うとしたら中立をとる、昔みたいに無条件でおそ松の隣には立てないのだ。
幼少期その時のことがずっと印象に残っていて、おそ松を見ているとき不意に言い様のない不安にかられた。
おそ松は六つ子の核だ。
周りの者は皆おそ松を六つ子の代表のように扱う、まとめて呼ぶ時も誰が誰だか解らない時も呼ぶのはおそ松の名前だ。
六つ子の指標を決めるのもおそ松だ……おそ松が率先してそうしていると思っているけれど、本当は他の兄弟がおそ松に任せきりにしているだけかもしれない。
みんな自分というものはない、ただ『松野おそ松』に倣っているだけ、自分をおそ松に投影させて生きているのかもしれない。
そのきらいが激しいのが三男のチョロ松と次いで次男のカラ松、四男の一松はおそ松というよりそんな兄達に影響されやすかった。
だからチョロ松が『このままじゃおそ松が潰れてしまう』と言った時に真っ先に賛同してくれたのだ。
そうだ中学校に上がったチョロ松はこう思っていた。
“このまま六人で一人のような状態が続けばいずれ核となっているおそ松が潰れてしまう”
本人に自覚はないだろうが想像しただけでうんざりしてしまうくらいの圧力が彼に掛かっている筈だ。
俺達の長男松野おそ松は優しいから、バカだし悪い子だけど本当に優しいから、俺達の為に自分を犠牲にしてしまうかもしれない。
そんなのはイヤだ。
チョロ松は彼を解放してあげたかった。
カラ松風に言えばこの支配からの卒業だ。
だから自分はおそ松と正反対に真面目になり、おそ松を『兄さん』と呼び出した。

――その瞬間の十四松とトド松がどんな顔していたかなんて、今更知るよしもないけど

チョロ松のキャラクターが急に変わって、おそ松も初めは驚いていたが、チョロ松へは何も言わずどうぞお好きに?という態度をとっていた。
次第に兄さん呼びにも慣れ、兄として弟を可愛がったり、弟にも親にも以前より甘えるようになったと感じた。
自分のしたことで彼がほんの少しだけ楽になれたのだと信じたい、チョロ松はおそ松の笑顔を見ていてそう思った。

そんなある日のこと、チョロ松に倣ってキャラチェンジ中の一松と、いまだ元のキャラから脱していない十四松が路地裏にいるのが目に掛かった。
まぁ元々十四松はおそ松と似ていないし、無理にキャラを変えさせる必要はないかと、チョロ松は自分本位な思考で何気なくふたりを眺めていた。
猫に餌をやる一松の背後から少しぎこちなく『一松』と声を掛ける十四松。
一松の口がボソボソと動き何か呟いた。
その瞬間、十四松の目は大きく見開かれ、声が漏れそうになる口元を咄嗟に押さえた。
一松のセリフ(おそらく俺なんかといたってつまらないだろ?とか、俺と話すことなんてないだろ?とか、そんなとこ)が終わると十四松は口を押さえていた手をゆっくり下ろして、無理矢理に笑みを作った。
そして一松の後ろに飛び付いて猫が驚き拡散して一松に怒鳴られて『ごめんなさい兄さん』と泣きながら謝っていた。
驚いた一松は今初めて兄さんと呼ばれた事にも気付かず『いや、俺も怒鳴ってごめん、泣くなよ』相変わらず泣き虫だなと少し笑って十四松の涙を拭い、十四松も『えへへ』と恥ずかしそうに笑っていた。

――違う、違うよ一松……ソイツが泣いたのはお前が怒鳴ったからじゃないよ

きっとその前に、今までの二人の関係や彼の気持ちを踏み躙るような何かを一松が言ってしまったのだ。
チョロ松は逃げるようにその場を去って、小さい頃いつも遊んでいた空き地の土管の中に潜り込んだ。

『お……俺のせいだ……俺の……ッ』

目にこびり付いて離れない十四松の横顔、後に雷のようだと形容された一松の言葉、ふたつともチョロ松の言葉を契機に六つ子の関係が急激に変化したから生まれてしまったもの。

『俺のせいで弟が泣いた』

チョロ松の瞳にも涙が溜まってゆく。
次男は長男と三男のコンビに影響され易く、四男は内心で兄達に憧れていたから、だからすぐに変わることが出来たのだろう、あの二人は本来自分の中にあった性質を開花させていけばよかった。
だけど十四松はきっと自分の本来持つ性質というものをまだ解っていない、きっと解らないまま開花させて、そのまま大人になってしまう。
トド松だって急にカラ松が変わってしまって戸惑っている、まだカラ松にも余裕がなくて自分の世界に浸る間、彼は周囲をシャットアウトしてしまう、そんな時トド松は何を感じているんだろう。

――トド松は、カラ松が好きなのに

そしてきっと十四松は一松が好きだった。
自分が時計の針を無理矢理早めたから、二人は好きな人とあべこべの時間を進まなければならなくなったのだ。

『チョロ松?おーいチョロ松』

ふと、名前を呼ばれてそちらを見れば、兄が土管の入口からコチラを覗き込んでいた。

『おそ松、兄さん……』
『よっこいしょと、わー久しぶりに入ったけど狭ぇな、昔は六人で入っても平気だったのに』
『兄さん、どうしたの?』
『どうしたもこうしたもお前が夕飯の時間になっても帰ってこないから迎え来たんじゃん』
『夕飯……え?そんな時間!?』

一松と十四松を目撃したのが放課後になってすぐだったから、まだ夕方だろうと思っていた。

『ごめん兄さん、うわっ外真っ暗じゃん』
『明るいうちからこの中いたの?今日の夕陽キレイだったのに勿体無ぇな』
『夕陽?』
『うん、すっげー赤くてキレイだったよ』

――ああ、それなら見なくて正解だった

涙で充血した瞳のチョロ松におそ松は何も聞かないでくれる、きっと心の中では気になって仕方ないのに、昔なら誰がチョロ松を泣かせたんだと聞き出して両親以外ならその相手に仕返ししようぜと言ってくるのに、今は涙に気付かない振りをしてくれている。
すっかり『お兄ちゃん』が板についた。
自分とは違う人間の『松野おそ松』になった。
それがチョロ松は哀しくて、嬉しくて、そして実の兄へ想うことではないかもしれないが世界中の何よりも尊く感じる。

『さて、帰るか』

と、先に土管から出て行ったおそ松を追って外に出ると真っ暗の夜空が広がったいた。
でも、前を歩く兄の背中はハッキリ見える。

チョロ松の視界全てを埋め尽くす――赤――

何故今まで気付かなかったんだろう。
たとえ弟が泣いても、それがおそ松のためなら許せるのだ。
たとえ自分が泣いても、それがおそ松のせいなら赦せるのだ。

――俺は、コイツが好きなんだ

好きだから、おそ松が解放されるなら六つ子がバラバラになってもいいと思っていたし、好きだからずっとおそ松の傍にいたいと思っていた。
でも、十四松とトド松が実の兄を好きだと言うなら自分の恋は諦める。
真面目になって、ちゃんとした職に就いて、結婚して子どもを作って両親を安心させてやる。
それがチョロ松の罪滅ぼしだった。



「とはいえ、結婚どころか就職もまだだし、恋愛は諦められそうにないって……はぁ」

回想を終えたチョロ松はパソコンの画面を睨みながら独り言を呟く。
あれから十年なにも上手くいかなくて八つ当たりのように二人を狂人だドライモンスターだと罵っていたし(十四松に対してはそんなにいきなりキャラを変えなくていいよという気持ちもあったけれど)恋愛感情を持て余してイライラが募り相当キツく当たっていたように思う。

「だから僕が見つけてやんなきゃ」

家出した十四松とトド松の行方を追うのに探偵などを雇うことも考えたが、それよりも自分の手と足で見つけ出してやりたかった。
チョロ松は二人に対し怒っていないし、保身も逃げも悪いことではないと思う、そしてこの家を出たい気持ちも充分理解していた。
なんせ自覚した時期が違うだけで片想い歴は殆ど同じの兄弟たちなのだ、味方してやりたいと思うだろう。

「あっ」

それは偶然チョロ松が二人がいるかもしれない地域のクチコミサイトを眺めていた時だった。
聞き込みと食事をする為に人が集まりそうな飲食店を探していたのだが『双子が接客する昔ながらの大衆居酒屋』という紹介文が目に付いた。
そして、そのページに貼られてある、投稿者が撮った店の外観と内装写真の隅にそれぞれ、十四松とトド松の後姿が映り込んでいたのだ。

「……」

ちらりとしか写っていないが、これはたしかにウチの弟だ。
間違いない、自分が見間違う筈がない。
チョロ松の体にブルブルと震えが走った。

「見つけた……やったよ、兄さん……」

零れ落ちる涙を拭いながら、あの日の夜に思いを馳せる。
真っ赤な夕陽を見損ねた帰り道、おそ松はチョロ松にこう言ったのを覚えている。

『帰れなくなった弟を見つけ出して迎えにいくのが兄ちゃんの役目だからな』

その役目を自分にも果たせる時がきたんだ。



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見つけ出した弟は最後に見たときよりも痩せていて、そして少し大人っぽくなっていた。

チョロ松が降りた新幹線の駅の売店には酒のつまみになりそうな魚の干物がずらっと並んでいた。
十四松やトド松の土産は何がいいだろう、一応ふたりが好きだった店の焼き菓子を買ってきたけれど、一緒に飲むならコチラの方がいい。

「でもアイツらいるの海街だし、ここで買えるようなものはありそうだよな」

結局、肉の干物を買って普通電車のホームへ移動した。
人の多い駅だったけれど、目当ての電車に乗る人は少ないのか、なんとか席を確保できたチョロ松は安堵の溜息を吐いた。
ここから乗り継ぎなし二時間でつく街にふたりはいる。
そう思うと変に興奮してくるし、それが他の兄弟には内緒なのだと思うと変に緊張してきた。

――大丈夫、快く送り出してくれたし、バレてない筈

十四松とトド松がいなくなって数ヶ月、チョロ松は一度もライブに行かず家族のために気を遣っていたし、カラ松と一松が壊した公共物の弁償代を稼ぐためにバイトをしていたからか、彼が好きなアイドルの遠征に行きたいというと長男は『たまには気分転換してくるといいよ』と言ってくれた。
以前少しの間だけ就職していたときの貯金(なんとなく使いたくなくてとっておいた)とバイト代の残りで交通費は確保できたけれど、二人から追い返された時に必要な宿泊代は用意出来なかったから今日は野宿になるかもしれない。
まぁ長男次男が相手じゃあるまいしアイツらが自分に野宿なんてさせるわけがないと、チョロ松は楽観的に構えることにし、外を眺めた。
座席の向かい側には誰も座っていなくて街の光景がよく見える。
電線の向こう側のビルと見知らぬ店の名前が書かれた看板。

どうしよう。

自分独りでこんな所まで来てしまって、今更不安になる。
人と人が別れるとき普通電車ではなく新幹線が選ばれるのは勿論新幹線が早いからだけれど、きっと他にも理由があるのだろう。
ガタンゴトンと景色が流れていく中に薄ら自分の影も写っている、トンネルに入ると自分の表情まで見えてしまう。
兄弟と一緒に乗っていたら、自分の住まう街を走っていたら、きっとこんな表情はしていないのだ。

アタマの中に自分そっくりな背中が浮かび上がってくる、それは身も世も捨てて、浅瀬に立ち、振り返る、悪魔のように冷たい瞳。

そんなときチョロ松の目の前に広がったのは、深い青色をした海だった。

窓の外の後継に一瞬にして目を奪われ、膝の上に置いていた弟達への土産を落としかける。
海が素直にしてくれるというのは本当で、兄弟のうちの一人を思わせる色を見て気分が落ち着いた。
そしてトド松が海のある街を選んだという自分の直感が正しかったこと、直感というよりも確信に近かったことを、改めて思い知る。
苦笑いと同時に目的地へ着いたと車内アナウンスが告げた。
どうも最近情緒が不安定でいけない。
駅を出たチョロ松は二人が働いている居酒屋へ行き、弟に会いに来たのだが家が解らないと開店準備をしていた店主とバイトに訪ねた。
チョロ松を見てすぐ二人の身内だとわかった店主達は海沿いの道を真っ直ぐ歩いてポストのある角で曲がった坂の上の家だと言う、そこからは最高の朝陽が見えるのだと教えてくれた。
店を出て海沿いの道を進むとところどころから魚を焼くいい匂いが漂ってきて腹がなってしまう、夕食時に来てしまって迷惑かもしれないと思うが、あの二人にそんな気を遣わなくてもいいかと橋下にゃーの新曲を鼻歌で唄いながら海を眺める。
綺麗な海、こんな海の前でならきっと素直に涙が流せるのだろう。

――僕も、この街でなら――

不意に浮かんだ考えに首を振る。
駄目だろう、自分は逃げちゃ。
就職して結婚して両親に孫の顔を見せてあげて、そうやって一つ上の兄と一つ下の弟に約束したろう、長男にも宣言したろう。
兄弟に嘘は吐けないし裏切れない、それに自分までいなくなったらそれこそ長男にすべて押し付けることになる。
今日は十四松とトド松の無事を確認して、いつでも家に帰っていいと伝えてやって……褒めてもあげなきゃいけない。
二人のやったことはとても悲しいことだけど、きっと兄弟全員を思い遣ってしたことだから、自分達が壊れる前に逃げることはきっと間違ったことではないから褒めてあげなきゃ。
家出の原因がカラ松や一松への恋愛感情だとしたら……いくら兄弟でも簡単に打ち明けられないのは理解できる、何故相談してくれなかったなんて言えないだろう。
いつも普通になりたがって常識を説いている自分になんて、二人を化物だと言っていた自分になんて相談できる筈ないのだから……
そう思っているうちにチョロ松は目印のポストの前に着いていた。
この坂を登った先に二人の住んでいる場所がある、チョロ松はその坂に最初の一歩を踏み出す。
大した斜角ではないが心拍数がどんどん上がっていく、落ち着かせようと手を握ったり放したりしながら、見上げた空は濃いオレンジ色に染まっていた。

『なにやってんだチョロ松!早く来いよーー!』

高いビルなどに遮られない空は幼い頃に見たものと同じくらい広くて、体全体を暖かく照らしてくれているようだ。

「わかってるよ、おそ松……兄さん」

呟いてから口角が上がる、足取りはさっきまでより軽い、漸くあの二人に会えるんだという嬉しさが体中を巡り出した。
たどり着いたのは旧い平屋だった。
庭には錆付いた物干し台と小さな花壇があって、すこし雑草が茂っているのが気になる、けれど玄関の前は綺麗にしてあり、傘立てに挿してある黄色とピンクの小さめの傘が子どもみたいでつい微笑みが浮かんでくる。
二人がいなくなってチョロ松の日常にある色は赤と青と紫とそして緑になった、それで思い知ったけれど、黄色がいないと明るくならないし、ピンクがいないと中和しない、六つ子はやはり六人だからいいんだ。

「なんで……」

チョロ松がそう思った時、背後からか細い声が聞こえてきた。
振り返ると、華やかで優しくて、人を幸せにしてくれる色が佇んでいる、表情は青ざめているけれど。
見つけ出した弟は最後に見たときよりも痩せていて、そして少し大人っぽくなっていた。



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「なぁチョロ松ぅーーお前またバイトかよ、最近多いよな」
「多いったって半日くらいだし、今までが少なかったくらいだからね」

玄関で靴を履いていると、寝起きのぼさぼさ頭で腹をぽりぽり掻きながら長男が声をかけてきた。
こういう姿を見る度にどうしてこんな奴に惚れているのだろうとチョロ松は思うのだが最近また長男らしいところを見せら惚れ直したりしている、しかしおそ松が長男扱いされるようになる前から好きだから本当に昔の自分はどこを好きになったのか解らない。
だいたい結婚して子ども作って両親を安心させると言っていたのに全く行動に移していないのもどうかと思う(すぐ行動に移されてもショックだが)ただ十四松とトド松がいなくなって以来、弟達が長男に支えられているのも事実だからとチョロ松は小言が出そうになる口をキュッと閉じた。

「……熱海」
「ん?」
「みんなで熱海行きたいなら兄さんも頑張ってよ」

玄関から廊下に立つおそ松の瞳を真っ直ぐに見上げた。
やっぱり好きだなという気持ちが漏れないように、しかたないなぁと呆れた風に苦笑した。
つい甘やかすようなことを言ってしまいたくなるのは兄弟愛の範疇だろう。

「……バイト探すか」
「がんばって、ちなみに僕が行ってるとこは当分新しい人いれる気ないってさ」
「あーーいろいろ当たってみるわ」

あの死んでも働きたくないようなおそ松がギャンブル以外で稼ごうとするなんて、あの十四松とトド松のお陰でいい影響が出たな、と弟達の居場所を知っている余裕のせいかチョロ松は思ってしまう。

「それがいいよ、あの二人もだいぶ落ち着いたしね」

あの二人とはカラ松と一松のことだ。
自分達の恋愛感情を認めて、長男から認められたことによって、むしろ以前より落ち着きと色気が出てきたように思う。

「……そうだな」

兄さんのお陰だよ、って思っていることは伝わっているだろうか……弟達が急に寂しくなったり悲しくなった時に思い浮かべるのはこの人だということをこの人は知っているだろうか、そこにある瞳はこれから夜を迎える空と海のように、優しい黄昏色をしている。

「行ってきます」
「おー行ってらっしゃい」

きっと人生の中で何百回何千回と行われる言葉を今この人と言い合えていることを幸せに感じながら、チョロ松は玄関をくぐって行った。
十四松とトド松が家でしてから半年以上が過ぎた十二月の半ば、クリスマス前で町中が浮かれている中、最近始めたオモチャ屋の梱包・仕分けのバイトに精を出す。
この時期は彼氏彼女へのプレゼント代を稼ぐために大学生が短期でバイトすることが多いらしく、みんながみんな浮足立っていた。
自分はクリスマスに休暇希望を出していないが、他のメンバーはどうなのだろうか?チョロ松はふと思い立ったことを実行しようと雇い主の男性に声を掛けた。

「あの店長、クリスマスなんですけど、人手足ります?」
「え?あー……そうか君は出てくれるんだもんね、心配だよね」

苦笑しながら答える雇い主に、ああやっぱり人手不足なのだと感じた、それなら……

「もし良ければなんですけど、当日にバイトできそうな奴らを知ってるんですけど」

言いながら頭に″クリスマス当日にバイトできそうな奴ら”を思い描く。
今年も誰一人彼女が出来ないし約束する相手もいないだろうから絶対大丈夫だ。

「本当かい!?」
「は、はい……体力だけは有り余ってる奴らなんで裏方の仕事なら」

喰い気味で訊いてきた雇い主に少しだけ恐怖を感じながら続けてそう答えるチョロ松、長男はともかく次男と四男は与えられた仕事はきちんとするだろうし、長男だってヤル気さえ出せばできる奴なのだ。
元々日雇いのアルバイトが多い仕事なので、そう難しい内容ではないからあの四人でも大丈夫。
「出てくれるなら助かるよ!」
心底助かったという顔で笑う雇い主に今年のクリスマスも兄弟で過ごせそうだとチョロ松は笑顔で返した。
そんな彼が帰宅後「勝手に決めるな」と大ブーイングを受けたのは言うまでもない。
クリスマスのバイトが終わった後、雇い主が労いの言葉とともにケーキをワンホールと、売れ残りの光るトナカイの角をくれた。
家には数日前に買ったシャンパンとビールが冷えてあるし、母がチキンをとっておいてくれると言っていたので、それで今夜は飲み明かそうぜとおそ松はカラ松と一松と肩を組んで歩いている。
今年はプレゼント交換もなしでトト子の家に土下座しに行くこともなかったけれどそれなりに充実したクリスマスになりそうだ。
頭上でトナカイの角をピカピカ光らせながらチョロ松がケーキを崩さないようにゆっくりと三人に着いて歩いていると、携帯電話がメールの着信を告げた。
トド松用に設定してある着信音は橋下にゃーの曲のアルバムバージョンのサビ、他の人からの着信はシングルバージョンを使っているけれどファンでなければ聞き分けが付かないだろう。
丁度あの二人は精神が腐ってないだろうかと心配していたところだった。
ちらりと前を見るとおそ松はカラ松と一松にちょっかい出すのに夢中になっていてチョロ松が遅れて付いていっていることに気付いていないようだ。
チョロ松は立ち止まってポケットから携帯電話を取り出し、メールを開いた。
トド松のメールは理路整然としていて解かりやすいのだけど絵文字や顔文字を多用するから目がチカチカする。
要約すると『こっちはあったかいけど、コート買うお金がないからセーター編んだよ』という内容だった。
添付された写真には二人がお揃いの青いセーターと紫のセーターを着て手でハートを作っている様子が写されていた(十四松がわざわざ袖を捲っているのが微笑ましい)
『彼色だね』と一言だけ返信して、暫くその写真を見つめていると更に返信がきて『彼色って!ばかじゃないの?確かに編んでる時はカラ松兄さんのこと考えながら編んだけど!別にボクの彼氏じゃないからそんなこと言ったら失礼でしょ!あ、でも良く似合ってると思わない?流石ボクと十四松兄さん』という本文と共に更に別ショットが数枚送られてきた。
思わず笑みを零したあと、チョロ松は二人の写真をそっと撫でる、紫の毛糸が絡んでしまった猫と慌てて解こうとする十四松や、青い毛糸玉を抱っこして眠りつくトド松など、バイトの疲れも吹っ飛ぶような画像ばかりで困る、他の三人にも見せてあげたくなってしまう。

「チョロ松?どうした?」
「あ、ゴメンおそ松兄さん」
「……」
「今行くね」

立ち止まっていたチョロ松におそ松が声を掛け、持っていた携帯をポケットに仕舞い直した。
思ったより時間が経っていたようで他の二人は随分先に行ってしまっている、きっとおそ松は自分の為に引き返してくれたのだろう。

「なに?」

今度はおそ松の方が立ち止まってしまったので、チョロ松は不思議そうに首を傾げる。
すると、相手は首を振って、いつものようにガシっと腕を組んできた。

「え?」

いきなりの接触に驚くが長男が速足で歩くので、すぐそれに合わせることに意識を移される。

「いーや、なんでもないけど、寒ぃし早く帰ろうぜー」
「うん」

チョロ松は気付いていない、この時の自分の声がとてつもなく甘やかだったことを、携帯電話の画面を見つめる自分の瞳がとても優しかったことを、気付いているのは唯一人おそ松だけだった。
余談だが、チョロ松はこの後トナカイの角を付けた兄弟達の写真を撮ってトド松の携帯へ送り、末二人の弟をたいそう喜ばせたのだった。




To Be Continued